断章
理想を掲げるには、其れに見合った力と環境が必要だ。
だが、そのどちらも手に入れた時、理想は真の形をとるのだろうか。
男が傍らに立つ少女に語ったのは、もう2000年も前になる。
「この世界はひどく歪だ。
神、魔、人間が支配している」
男の声が響き渡る。
広い部屋の空間に、二人だけが存在した。
二人が立つのは磨き上げられた石貼りの床上。
もう、この床を掃除する者は居ない。
「どうして歪なの?」
少女は可愛らしい声で、小首を傾げたが、その瞳には闇だけが拡がっていた。
「よく、考えてごらん。皆同じ形容をしている。
同じ形容をしているのに、その性質が違うだけで呼び名を変え区別している。
私はね、我々は元々ひとつの生物だったのではないかと考えているんだよ。
そして、元のひとつに戻るべきだとも……。
そうすれば、お互い利用しあう事も、種族間で優劣をつけようとする事も、こんなにも醜い争いが起こる事も無いと思っている。
在るべき姿に戻るべきだ」
男は相手が子供だという事も関係ないという風に、平然とした顔で言う。
「殺すの?」
少女は相変わらずの無表情で、先程とは反対に首を傾げた。
「はは、違うよ。
言っただろ? ひとつにするんだよ。
それに、殺すという事は生むという事と等しく難しい。
種族を滅ぼすなんて、正しく奇跡だよ」
「一人目を産むより、二人目三人目を産む方が楽……。
一人目を殺すより、二人目三人目を殺す方が楽……」
彼女の言葉に男は苦笑する。
「物騒な事を言うね。
人間に例えるとそうかもね。
まあ、そういう事だ。
殺す事と生む事は似ている」
その男には特徴というものが無かった。
平凡な顔つきに、平凡な服装。
彼の支配する街中を歩いていても、誰も彼の事を、自分達が崇めている存在だという事に気が付かないだろう。
男は神だった。
しかし、彼自身には何の力も無かった。
出来損ないの神だった。
彼は何かを恨む訳ではなく、ただひたすらに理想を語った。
だが、神だからといって、そうそう簡単に考えていることが現実に成るとは限らない。
理想に向かっているつもりでも、何処かでほんの小さな誤差が生じて、納得のいく結果にならない事が多い。
彼らの時間は悠久だ、たった一羽の蝶の羽ばたきが、後の世で、更には全然違う場所で影響を及ぼす事もある。
平凡な出来損ないの神と、無表情で死んだような目をした少女は、2000年後に生じた誤差を、どう修正するのか――




