あの夏の日
フィクションですが、ところどころノンフィクションもあります。
ちょっと涼しくなってください。
夏の暑い日と、夏祭りが来るたびに思い出して私は祈る。
誰もあちらに連れて行かれないようにと。
私はこの前八十歳になった。
ということはもうその夏から六十五回夏を迎えているということだ。
そろそろお迎えが来ても良い年だし、物を覚えることが困難になり、
思い出すことは若い日の昔のことばかりになった。
それでも、あの夏の日は忘れられない。
ぞっとしたあの日のことは・・・。
その祭りは市内でも有数の夏祭りのせいか、通りも神社の境内も人だかりの山だった。
私もその人だかりの一人で、ぶらぶらと気の合う友人と境内の屋台を冷かして歩いていた。
そんな私たちの前に親子であろう三人が楽しそうに話しながら歩いていた。
子どもは女の子で三~四歳だろうかかわいい浴衣を着ていた。
その頃の私はひねくれていたが、その子のことはロリコンではないが素直にかわいいと思った。
両親ともにまだ若くヤンキーっぽい二十代前半のようで、ジーパンにTシャツを着ていたが、子どもにはきちんと浴衣を着せていた。
子どもが時々飛び跳ねるたびに、ピンク色の浴衣の帯がでゆらゆらとゆれていたので、ついつい目で追っていた。
友人も同じだったらしく、私の肘をちょいとつつき、チビ可愛いな、と言った。
その家族とつかず離れず歩いていったのだが、縁日の通りの終わりに近づいた時だった。
通りの向こうからからくるおばあさんが、両親にものすごい剣幕で唾を飛ばしながら怒鳴っていた。
あまりにもすごい剣幕なので始めは何を言っているのかわからなかったが、よく聞くと
-あんたたち子どもを死なせたいんかね
この浴衣のきせ方は死人に着せるきせ方なんよ
こんなきせ方しとったらあっちに連れて行かれる
早よ着せなおさないかん
連れて行かれんように早よきせかえんないかん
とまあこんなことだった。
-死人の着せ方?
友人と二人で、なんだそれ、と言い合った。
その頃はそんなものがあるとは知らなかった。
その当時、着物を着ている人はほとんどいなかったが、それでも浴衣は夏祭りの定番で女の子たちの多くは可愛い浴衣を着こなしていた。
-死人のきせ方?
私たちは知らなかったが、両親も知らなかったようで一方的に老婆からの罵倒をあびて気分を害したようで、父親がその老婆に向かって
-うるせぇ、ばばあ、おかしな言いがかりつけてんじゃねえよ、浴衣はこれで良いんだよ
と言って、とん、と老婆を突き放した。
老婆はその突き放された反動で尻もちをついてしまったが、なおも父親に言いつのった。
しかし、父親は老婆に対して憤懣やるかたなしといった感じでなおも罵倒すると、子どもの手を引きつつ母親ともども足早に去って行った。
-すげぇ、なんだありゃ、ヤンキーこわっ
寸劇のようなその場面に居合わせた私たちは、その家族をボー然と見送りつつ、しかし尻もちをついた老婆に手を貸すこともなく居心地の悪い思いでその場を去ることにした。
老婆のそばを通り過ぎる時、なおも老婆はぶつぶつ言っているのが聞こえた。
-あんなに可愛い子なんに、あんな着せ方して、連れて行かれるが
もうだめやが、連れて行かれる、悪いものもいっぱいいるのに
-なあ、連れて行かれるって、なに?
好奇心に負けたのか、友人が老婆のそばにしゃがんでそう問いかけた。
すると老婆は友人をうつろな目で見て、
-連れていかれるんは、あの世のことや
左前に着物を着せるんは、この人は生きてませんてゆう意味をするんや
棺桶に入れる時にもうこの人は生きとらん、てことを知らせるんや
いつもと違うことをせないけん、正しい着せ方をしたらいけんのや
そしたらあちらの人が連れに来るんや
だから、あの着せ方をしていたらいかんのや
あちらに連れて行かれるんや
お盆も終わりなんやから、連れて行かれる
連れて行かれる
と言った。
-え、そうなんか?聞いたことないけど?
友人はそう言ったが、老婆はなおもぶつぶつ言いながら立ち上がり、ふらふらと神社の本殿のほうへ立ち去って行った。
そのあとは私たちも微妙な雰囲気だったが、無理やり違う話題をはしゃいだ声で話すうちに奇妙な出来事を忘れて楽しみ、花火を見た後解散してそれぞれ家路につくころには忘れていた。
そして次の夜、私はあの老婆の言葉を思い出してぞっとしたのだ。
風呂から上がり、冷蔵庫から麦茶を出して飲んでいたときに、なにげなくテレビのニュースを見ると、昨夜飲酒運転事故があったと言い、その事故で三歳の子どもが亡くなったというものだった。
-夏祭りの帰りに家族ずれで帰宅途中だったとみられ・・・
両親は軽傷でしたが三歳の子どもが亡くなり・・・
浴衣の帯が転倒したときに浴衣の帯が巻き込まれ・・・
十メートル引きずられ・・・
なおもニュースが違うことを伝えていたが、私はそのまま立ちすくみ呆然としていた。
-連れて行かれる
あの老婆の言ったことは本当だったのか。
たまたまだったのではないか。
たかが着物のきせ方が間違っただけで、あちらに連れて行かれたのだろうか。
あの両親は知らなかったとはいえ子どもをあちらに連れて行かれてしまったのか。
それともあのあと正しい着せ方に着せ替えたのだろうか。
その答えはわからないままだが、この出来事は本当にあったことだ。
あれから私は、自分はもちろん着物や浴衣は着ないことにしており、家族にも着物は着ないように言っている。去年成人した孫の成人式も振袖にはさせなかった。
あの時から私は、着物や浴衣を着ている人がいるたびに、目をそらすようにしている。着せ方が間違っていないか気にしないように。間違った着方をしているのを見ないで済むように。あちらに連れて行かれないかと気にしないで済むように。
どうでしたか。少しは涼しくなりました?
実話に近いけれどフィクションです、あくまでも。




