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第四章:目的の錬成 手段の製造

後の闘争へと続く錯覚した平穏。

 ここで月日は巡り、時は一月ほど過ぎて行った。

 ベルトルト・サヴィニーとエミール・フォン・ヴァンシュタインは、戦中の義体に関する資料を送る様、鐘琳当局へと打電。ただ何故かその資料は散逸しているらしく、また軍事にも関わる事である為に、送る事は可能だが相当遅くなると言う事であった。この辺りは、各地方が半ば独立し、州を成している土壱のお国柄も関係していようか。おかげで二人の刑事はその資料が送られてくるまでの間、徒労とも言える聞き込みと現場調査…前者は犯行時刻柄ほぼ無駄であろうし、また後者にしてもヴィルヘルム・グルムバッハが指摘した以上の事を探すのは難しいだろう…を行うしかなかった。

 また事件が事件である為だろう、都市警察の方も動いた。市街及び周辺にまで多数の警察官が駆り出され、犯人捜索に向けて奔走した。更に事態を重く見た地方警察本部が直属の騎馬警官隊まで動員させた為に、かねてから噂になっていた『ヴィルト家の惨劇』はこの戦時下とも思える物々しい状況にあって、一挙に話題の中心となった。街角では女将達が、喫茶店では紳士達や学生達が新聞を叩きながらこの悲惨な事件を興味深げに論じ合った。しかしながら、それらは全て噂程度のものであり、事実と呼べる様なものは殆ど無かったが。

 その噂の当人であるヴィルト家の一人娘、ドロテーア・ヴィルト、愛称ドルトヒェンはと言うと、警察と病院の保護の元、周囲の喧騒とは無縁の生活を送っていた。傷自体…失った腕と脚だけは戻りようが無かったが…は既に完治しており、ベッドに寝たきりである事以外は普段の生活と変わらない日々を過ごしている。尤も、今のままではその生活が、彼女の普段の生活となってしまうのだが。

 所で病室から出られず、本を読むにも人の支えがいる様なドルトヒェンの数少ない楽しみと言えば、自動蓄音機が奏でるつたないながらも優美な音楽と、看護婦が時折差し入れに持ってくるお菓子類、そして、

「――今日は、ドルトヒェン。入っても?」

「いらっしゃいヴィルヘルム。えぇ構わないわ、さぁどうぞ。」

 ヴィルヘルムの訪問であった。

 何時でも良いから来て話をしたい、と言うドルトヒェンの願いを受けた彼は、義体職人の中の医者としての義務感か、或いは両親と四肢を失くしたうら若き少女に対する憐憫か、はたまた別の何かがそうさせるのか、実に律儀であった。つまりほぼ毎日、午後の診療を早々と済ませて、彼女の元に訪れたのである。

 そこで話される内容は、実に他愛の無いものであった。例えば最初に訪問した時の会話は、

「……そんな顔をしていたのだね。」

「そうよ。何、悪い?」

 初見の時に巻かれていた、包帯を取って現れたドルトヒェンの容姿についてであった。

 波打つ美しい黒髪の下に露となったのは愛くるしい少女の顔だ。色白のすべらかな肌には染み一つ無く、社交会に出れば誰もが声を掛けたがる様な美貌であるが、大きく見開かれた青い瞳や紅の薄い唇に宿った意地の悪い少年の様な笑みが、彼女の女性らしさを相殺させていた。

「いや別に悪い等と……ただ、可愛らしい顔をしているのだと、そう思っただけだ。」

「はいはい。世辞だとしても嬉しいわぁ。」

 そんな彼女の雰囲気に押され、目を泳がせて慌てるヴィルヘルムに、彼女の口元は更に釣り上がった。

 ヴィルヘルムとドルトヒェンの会話は概ねこの様なものである。ヴィルヘルムが持ち出した話題を、ドルトヒェンが…時に意地悪く、時に面白おかしく…返して、ヴィルヘルムが慌てる、と言う按配だ。

 それは傍目には、少々抜けた兄としっかり者の妹の様な、仲睦まじい家族にも見えただろう。

 ただ彼等の会話には、『ヴィルト家の惨劇』にまつわる話は一切出て来なかった。ヴィルヘルムは兎も角、ドルトヒェンもまたその話題を避けるかの様に、常に明るく愉しい話をせがんだ。勿論彼女は惨劇の当事者であるからして、その様な態度は当然と言えたが、余りにもあからさまなそれは、一種異様とも言えよう。その意味で実に歪んでいたのだがしかし、ヴィルヘルムはそれを良き傾向、自虐的且つ憂鬱的であった彼女が前向きに物事を見る様になったのだと考える事にしてあえて何も言わず、彼女が欲する話題を与えた。

 尚、一番盛り上がったのは、ヴィルヘルムの恋愛についてである。既に二十七歳を数える歳でありながら、一度も女性と付き合った事が無い所か、まともに会話した事すら稀である事を不覚にも漏らした時程ドルトヒェンが笑った話題は無かった。

「顔は良いんだけどねぇ、きっとその性格ね。貴方根暗だもん。」

「……本人の目の前で言う事では無いな。」

 普段は苦々しくも笑って応えるヴィルヘルムであるが、この時ばかりは顔をしかめるより他無かった。

 その様な日々に変化が現れたのは、彼等が出会ってから二週間程経過したある日の事である。

 既に四月も終わりに近付いてきたその日は、雲ひとつ無いからっとした良い天気であった。その日、何時もの様にヴィルヘルムが訪れ、話題に花を咲かせていた時、窓から高く上った太陽を眩しそうに眺めながら、ドルトヒェンはぽつりと漏らした。

「ねぇヴィルヘルム……私、欲しいんだけど……。」

「……何を、だ。」

「貴方の、義体。」

 一瞬彼女の言っている事を理解出来なかったヴィルヘルムは、義体、と言う言葉に我が耳を疑った。

「それは、構わないが……。」

 元より、彼がドルトヒェンの元に来ていたのは彼女の心の傷を癒し、そして体の傷も癒す、つまりは義体化敢行を促す為であった。だが、今までそんな話は一切出て来なかった、いや出さなかったのである。この突然とも取れる心代わりに、彼は一瞬何と言って良いか解らなかったのである。

「”構わないが”何?何か文句でも?」

「……いや、無い。それは良い提案だ。」

 そんな彼の心中を察してか、ドルトヒェンはくすくすと笑った。ヴィルヘルムは心の何処かで納得行かざるものがあったが、彼女が義体化しようと言うのは喜ばしい事であり、直ぐに了承の意を示した。

 その日より数日間、ヴィルヘルムは彼女の元を訪れなかった。診療所も開けず、看護婦兼受付でもあるブッフ夫人にも暇をやり、独り工房に篭って義体造りに取り組んでいたのである。

「……ふぅ。」

 ヴィルヘルムは、袖を捲り上げたシャツ姿で、燃え盛る炉の前で額の汗を拭った。

 一階が診療所、義体職人としての医学、医者の部分であれば、工学、鍛冶としての部分は地下室にあった。

 地下と言う言葉から連想される閉鎖感とは打って変わって、そこは実に広く、大きな空間である。とは言え、巨大な鉄製の炉から漏れ出る熱と煙は、炉から伸びる煙突だけでは捌ききれず、居心地の程はさして良くなかったが。また中央には大きな作業台がその場所を取り、煤で汚れた壁には様々な素材と形状の義体、そして見覚えのある形から一体何に使うのか不明な物まで、様々な工具、道具が所狭しと掛けられていた。

 ヴィルヘルムは一日の殆どをこの中で過ごし、ドルトヒェンの義腕、義脚を造っていった。それは肉体と精神の極限の集中状態であった。1mmたりとも誤らぬ様慎重に寸法が測られ、それを元に形状を計算、型が作られる(ここにおいて『慎重に』とは別の意味もあったが、彼の人格を考えてあえて公言しない事としよう)。また彼女の未発達な子供且つ女性としての体を考慮すると共に一般生活に支障を来たさぬ様、同時に心理的要因から外的な美しさ、自然さを醸し出す為に、素材は陶器を使用。丹念に練り上げたそれを関節ごとに、或いは後々くっ付ける為に二つに分割させながら型に付けて行き、高温の炉にてこれを熱する。完成したそれらを型から外し、上薬を塗って再度焼入れする。この間に木製の骨組みを練り上げ、そこに動力機、歯車、神経糸と呼ばれる合成繊維に金属端子を付けた極小の糸…これは義体を本当の肉体の様に動かす為に必須のものである…等義体が義体として稼動する為に必要な部品を組み上げて行く。これによって出来上がったものを、義体職人の間では素体と呼んでいる。部品がはめ込まれ、完全に組み上がったそれは剥き出しの皮下が如き様相である。そして素体の周囲に外皮たる陶器を嵌め込み、全体を一つに繋ぎ合わせて、最後にちょっとしたおまじないを刻めば完成だ。

 浅学な筆者の説明では、解り難い所もあるだろうがしかし、その工程の複雑さは理解して頂けるだろうか。一端の義体職人であっても、多くの場合数人の弟子を伴って行われるこの作業を、ヴィルヘルムはたった一人で、それも僅か数日にて行ったのである。

 腕の良いと言う言葉だけでは到底表せぬ技量が、彼には備わっているのだ。

 こうして完成した義腕、義脚を専用の鞄に詰めて、数日ぶりにヴィルヘルムはドルトヒェンの元を訪れた。

「あらヴィルヘルム、いらっしゃい。何年ぶりかしら?」

「そんなに時間が経っている訳があるまい。君は私をからかって楽しいのかね。」

 久方ぶりの訪問者にドルトヒェンは悪戯っぽく応え、ヴィルヘルムも苦笑いを浮かべながら生真面目に返す。

 以前と変わらぬやりとりだが、今日はのんびりと談笑する暇は無い。

 義体職人は、義体を造ってそれで終わりと言う訳では無い。それを患者に付けるのもまた仕事である。失った箇所から伸びる神経と、義体の神経糸を結び付ける為に、その箇所に機具を付ける手術を執り行うのだが、その作業は造った当人にしか出来ない。数十、時に百近く及ぶ接続点と神経糸の配列等、他の誰が知ろうか。

「これが私の?……思ったより綺麗なのね。」

「そう言う風に造ったからな……ただ、これを付けるのにはそれなりに時間と手間が掛かる。覚悟は良いか?」

「勿論。無い訳が無いじゃない。」

 ベッドの上に乗せられた二対の義体を眺めながら、そう問われたドルトヒェンは、力強く頷いて応えた。

「了解した。」

 かくして病院の手術室を借り受けて行われた義体手術は、十数時間に及ぶ大手術となった。局部麻酔をかけた後両肘と両膝、計四つの箇所に機具を取り付けてるのだが、その作業は神経と神経を結び付けてゆくものに他ならない。数日間の激務の後に、それをやり遂げたヴィルヘルムの集中力と腕前は賞賛されて然るべきだろう。

 だがその彼をして驚嘆させたのは、術後のドルトヒェンの義体遣いっぷりであった。

 義体を肉体に接続させたからと言っても、普通ならば直ぐには動かせない。麻酔の所為もあるが、新しく神経が繋がった部位を動かすのに慣れる為には、相応の時間が必要である。義体の性能と、本人の性質にもよるが、義体を稼動させるのには最低でも一月程度訓練する必要があるとされている。それも、ただ動かすだけであって、精密な動きをさせるには更にもう一月は掛かる。合計二ヶ月であるが、これにしても余程の場合で、大抵の人間は半年、一年掛かるのはざらであり、最悪何年も馴染まない場合や後遺症を引き起こす場合も多い。

 しかし、彼女の場合は違った。最初は指、次に関節、そして全体と、驚異的な速度で義体を稼動せしめ、義体接続より二週間で、全ての義体をまるで元から付いていたかの様に、本物の肉体の様に動かしたのだ。

「……凄いな。今まで何十人と診て来たが……ここまで遣いこなす人間を見たのは初めてだ。」

 つい一月前までは寝たきりであった少女が、自分の目の前で立ち上がって、軽やかに歩き、それ所かスキップすら刻んで見せる姿に、流石のヴィルヘルムもその驚きを隠す事は出来なかった。

「へへん。ま、私にとっちゃ、こんなのお茶の子さいさいって奴ね。」

 ドルトヒェンもそれを自覚し、小さな胸を張りながら自慢げに笑った。

 ただ、常に病院に居る訳では無いヴィルヘルムは、後々になって病院側の医者達から聞かされる事となるのだが、彼女がその二週間で行った訓練は、並々ならぬものであったと言う。

 ヴィルヘルムに言い渡された訓練を、ドルトヒェンは何時間も行った。新しく繋がった器官に慣れぬ体が悲鳴を上げるのも構わずに、全身から滝の様に汗を流しながら。余りの疲労により、ベッドに入る事もままならず、床に倒れこんでいるのを、看護婦が見つけ、慌てて駆け寄ると言う事が、何回も見られた。

 そこまで彼女がしたのは何の為だったのか。まるで何かに追われるかの様に、或いは何かを追う様に、ともすれば変質的なまでに訓練し続けた理由とは、一体如何なるものであったのか。その真相は不敵な笑顔に隠されたままであり、誰一人として知る者は居なかった。そもそも誰も考えようともしなかったのである。ただただ、その結果にのみ人々は目を取られ、驚きと歓びの入り混じった感想を口々に述べるだけだった。

 その真意が判明するのは五月のある日。

 それは数ヶ月に及んだ『ヴィルト家の惨劇』に終止符が打たれた日でもあった。


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