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第三章:喫茶店『ファラダ』にて

事件の概要と後に続く小さな歯車。

「いや実に青春と言う遣り取りでしたな。浪漫、とも申しましょうか。喧嘩して仲直りして、と、仲睦まじいではありませんか。全く持って楽しそうで何より。いや、羨ましいですな、ヴィルヘルム先生?」

「……聞いていた、のか、ベルトルト、さん。」

 部屋を出た瞬間、実に嫌味ったらしい笑みを浮かべながらそう語り掛けてきたベルトルト・サヴィニーに対して、ヴィルヘルム・グルムバッハはあからさまな嫌悪感を顔に出した。エミール・フォン・ヴァンシュタインは二人の間でどうしたら良いか解らない、困惑した表情を浮かべている。

「聞きたくなくても聞こえて来たのですから仕方ありません。しかしあの台詞は良かったですな。『私が、」

「そんな事はどうでもいい。それより、お聞きしたい事があるのだが。」

 台詞だけで無く動作も…これはあくまでもベルトルトの想像であるが…加えて、一連の遣り取りを再現しようとする中年刑事を制する様に、ヴィルヘルムの唇が素早く言葉を紡いだ。

「はい何でしょうな?」

 その行為を図星と捉えたか、ベルトルトはあの笑みを浮かべたまま彼を見た。

「ドルト…ドロテーア・ヴィルトの事件について、だ。」

「余りそう言う話を部外者にするのは不味いのですがね。まぁ、あなたでしたら良いでしょう。口も硬そうですからな。それでは場所を代えますか。折角だ、一杯引っ掛けながらでも。」

「いいんですが、勤務中ですよ。」

 半ば呆れ半ば期待する顔のエミールの前で、

「何、酔わなきゃいいんだよ。」

 そう呑みに行くと言うジェスチャーを嬉しそうに示すベルトルト。

 尚、昼間から酒を呑むと言う事は皇路覇では普通の事である。これは、古代ゲルマン人に端を発する酒の文化に起因すると言えよう。寧ろ呑む事より、呑んだ後で自意識を保ち、毅然とした態度を取る事が出来るかの方が重要であり、批難の対象となる。呑むなら酔うな、酔うなら呑むな、と言う事だ。

 だが、そこでヴィルヘルムは頭を振った。 

「残念だが私は酒を呑めないんだ。」

「おやそれは土壱人にしては珍しい。や、本当に残念。ならそうですな、喫茶店で珈琲ならどうでしょう?」

 近くに良い所を知っています、と言うベルトルトに対し、そこならば、とヴィルヘルムは応える。

 そして、一行が向かったのは病院から十分程歩いた先にある喫茶店『ファラダ』。

 解鎮絃広場に像があるガチョウ姫の童話に登場する、喋る馬の名を冠したその喫茶店は、流石大学都市と言うべきだろう、円卓を中心とする席の、その殆どが学生らしい若者達で埋め尽くされており、至る所から学問や政治の問題に対する議論の声が、珈琲を啜る音と新聞を捲る音と共にがやがやと上がっていた。

 その片隅の窓際の円卓にて、並ぶ様にベルトルトとエミールが、その反対側にヴィルヘルムが座っていた。

「こんな騒がしい所ですみませんな。何分、ここ位でして。」

「いや構わない。私も大学に通っていた身だからこの空気はそれなりに慣れている。」

 それよりも本題に入りたい、とヴィルヘルムが告げると、ベルトルトはぐっと頷き、

「えぇ解っていますよ。エミール。」

 隣に座る青年に目配せした。

 エミールもまた頷き返すと、鞄から数枚程の紙を取り出す。

 それは全て写真であり、いづれも全て同じ、何処かの部屋を映し出したものであった。部屋は実に酷い有様である。家具と言う家具は壊され、原型を留めていない。柱は衝撃痕を中心にひん曲がり、壁には何かの…白黒である為に、それが何かは解らなかったが…液体が、直ぐ真下の床に至るまで夥しくへばりついていた。どす黒く汚れたその床は踏み抜かれ、ささくれ立った板が飛び出している。

 キチキチと片眼鏡越しにそれを見て行くヴィルヘルムは、最後の二枚に来て捲る手を止めた。

 写真を通して、人間と精巧に作られた人形を見分ける事は難しい。人間と人形を区分するものは、得てして外的なものでは無く、もっと内的なものであるからだ。それはまた逆の場合にも言える。欠陥だらけの人間と人形つまりは物を見比べて、どちらがどうと断定するのは厳しい。

 ヴィルヘルムが見ている二枚の写真に写っているのは、後者のものである。周りを瓦礫に囲まれていた為もあってか、病院の老人やドルトヒェンの様に、写っているそれが一瞬何なのか解らなかったのだ。

 それは顔面の無い男性と胴体の無い女性の死体。正確に言えば無いのでは無い。抉り取られていた。まるでスプーンで掬い取ったかの様にすっぽり抉られた断面の様子は、赤身と脂身が混じった挽肉のそれである。

「見慣れてるかと思いましてな職業柄。黙って渡しましたが、それがドロテーア・ヴィルトのご両親です。」

 エミールが胡散臭そうな視線を送る横で、ベルトルトはヴィルヘルムを伺う様な笑みを浮かべた。

 ヴィルヘルムは、そんな中年刑事の視線等意に介さず、じぃとその写真を見つめている。

 ベルトルトは、お手上げと言わんばかりに肩をすくめ、

「まぁ見ての通りの有様です。事件があったのは三日程前の深夜。」

「そんな事件があったなんて、新聞には書いてなかったが。」

「指し止めしたんですよ。ヴィルト家は名家ですし、内容も内容だ。それだけが理由じゃありませんがね。まっ、噂好きの方々は何と無く察しが着いてるかもしれませんが。」

 先程の老人達を思い返しながら、更にやれやれと首と体を横に振った。

「それは置いといて、続けましょう。豪快な音と悲鳴を聞いて、運良く…こう言っていいのか解りませんがね…近隣を巡回中の警察官がヴィルト家に踏み込んだ所ご覧の様な有様だったと。で、二階から派手な音が立ちまして、行ってみると腕と脚が無いドロテーア・ヴィルトが居たと言う訳です。犯人は、警官が来たと同時に逃走したらしく、窓が開け放たれていましたよ。」

 そう言い終えると、再度ヴィルヘルムを見た。

 やはり彼は目の前の人物に一瞥もくれず、ただ写真を見つめている。

 その意図を読みかね、ベルトルトとエミールが顔を見合わせた矢先、彼は口を開いた。

「犯人は戦闘用の義体遣いだな。それも殆ど全身に渡って敢行している。」

 戦闘用の義体は、通常の義体同様戦時中試験的に敢行されていたものである。こちらの場合は負傷者の中でも志願兵にのみ敢行されたもので、通常よりも動力機の出力が高く、義体自体も木材や陶器では無く、鋼鉄等で造られた頑丈な代物が多い。だから寧ろ、戦闘用と言うよりも軍用、労働用と言った方が正しい。通常用の、つまり普通に生活する為の手足としては高出力等要らないし重いだけであり、また点検にも時間が掛かる。恒久的維持費はかなりのものだ。それらによって通常用と戦闘用は区分される。ただ、単に高機能なものだけでは無く、銃火器や刀剣類を直接義体として装着させるもの、或いはそれらを暗器の様に手首や膝、膝等に隠し、いざと言う時に一瞬で取り出せると言う、本当の意味での戦闘用義体もまた開発されていたと言う記録が僅かながら残されているが、人道的理由から余り進められはしなかった様だ。

「ほう、それは何故?」

 くすんだ青い瞳を輝かせながらそう問うベルトルトの前で、ヴィルヘルムはヴィルト氏の写真を向けた。

「これだけの破壊を僅かな時間で生身の人間が行うのは無理だ。破壊するにしてもかなり部分的で、また焼け焦げた痕も無いから、火薬の類は使っていない事から見てもまず間違いない。それから、この部分。」

 彼はす、と死体の直ぐ側の床を指差す。

「潤滑油が垂れている。」

「……この点ですかな?」

 半ば呆れる様に、指差された部分をベルトルトは見る。

 そこには確かに水滴が飛び散った様な痕があったが、余りに小さく、またかなり不鮮明だ。

「もう一つ。義体遣いならば、動機も推測出来る。見つかっていないだろう?被害者の失った部位。」

「その通りですが……そりゃまた何故?」

「後遺症だ。」

 義体化敢行には様々な弊害がある、と言ったが、その一つが後遺症である。義体化とは、欠損した肉体を機械で補う事に他ならないが、義体化の後、その部位に激痛を感じる場合がある。それが後遺症だ。この原因は単純に、義体と肉体の接合部の不一致の場合もあるが、そうで無い場合の方が多く、何らかの心的理由が絡んでいると思われる。が、しかし、詳しい事は未だ解明されていない。尚、義体職人の間では、この後遺症の有無が、義体職人としての腕と、患者の義体遣いとしての適正を計る一つの事象と考えられている。

「それと、犯人の動機と、何が関係するのですか?」

 店員が持ってきた三つ分のカップの一つを握りながら、身を乗り出す様にしてエミールが聞いた。

 ヴィルヘルムもまたカップを手に取り、豊かな珈琲の香りを鼻腔に招きいれながら応える。

「東洋の…私はあちらの方面に余り詳しくは無いのだが…の思想では、食事と医療は同じであると言う。またその中でも、痛んだ部位と同じ部位の食べ物を食べる事で、それを治癒しようとする考え方があるそうだ。似た様なのは、こちらでもあったな。人体の部位と似ている食材を薬として用いると言うものが。」

 例えばクルミ。それは脳味噌の形と似ている事から、頭痛等の頭の病への薬になると考えられていた。そもそもその名前からして、祈璃社ギリシャ語の『カリ』つまりは『人間の脳』から来ているのである。実際の所、確かに何かそれらしい成分はあるなのだが、真意の程は定かでは無く、中世以来の偽医学と言う所であろうか。

 だが、溺れる者は藁をも掴む。それが仮に一番の親友であったとしても、時に人は自らが助かりたいばかりにかけがえの無い友を利用してしまうものである。

 被害者達が失った部位は顔面、内臓、そして四肢。合わせれば、ほぼ全身に渡っていた。

「まさかそんな……。」

「……ちょっと想像出来かねますな。まともな人間の思考じゃない。それに、ここは土壱ですよ。」

 顔を青くさせるエミールの横で、疑いの眼を向けるベルトルト。

 その視線をしかと受け止めながら、変わらぬ声調でヴィルヘルムは続けた。

「あの有様を見れば、まともな思考をする人間である訳が無い。恐らくは元兵士だろう。思想の方は調べれば解る。後遺症に苦しむ人間が何処から仕入れてきたのか古めかしく怪しげな魔術に傾倒するのは良く聞く話だ。それに、現に部位は見つかっていないのだ。犯人が持ち出した?何の為に。それに、この傷口は刃物や何かで付くものでは無い。もっと原始的な…そう、獣が肉を噛み千切った様な、そう言う痕だ。」

 そう一通り捲くし立てると、ヴィルヘルムはカップを口元に寄せ、ズッと珈琲を啜った。

 呆気に取られるエミールを尻目に、ベルトルトは暫く考えた後、

「では、戦闘用の全身義体を敢行している元兵士で消息不明者探せば良いと?」

「ああ。その条件ならば、かなり限られてくる筈だ。」

 戦闘用の、それも全身ともなれば、数はぐっと少なくなる。また、戦闘用の義体にはその機構上通常用よりも頻度の点検が必要である為、誰が今何処に居ると言う事はかなりはっきりしている。

鐘琳ベルリンを通せば、特定出来そうですな……それに、ドロテーア・ヴィルト嬢の証言が頂ければ完璧でしょう。いや、ありがとうございますよ。警察官でも無いのに、事件解決の為に協力して頂いて。」

「いや、これも患者の為だ。」

「素晴らしい心掛けです。」

 彼はヴィルヘルムに対して軽く会釈。ヴィルヘルムも頷きながら、更に珈琲を啜る。

「はは、流石は流石は、元『七人教授』(ジーベン・マイスター)が一人。人間性も、観察眼も実にいい。因みにつかぬ事聞きますがあなたの右目ですけどね、それ、自前ですかな?」

 そのヴィルヘルムの手が、唇が、動作一切が、瞬き一つ取ってもぴたりと停止した。

「……自前だ。」

「ほほぅ、そうですか。」

 うんうんと陽気に頷くベルトルトに対し、ヴィルヘルムの顔は蒼白と言っても良い程に青褪める。

「貴方は、」

 ことり、とカップを置きながら、彼はかすかに唇を震わせながら言った。

「……何処まで知っている。」

「さぁ何処まででしょうな。」

「私を疑っているのか?私が恐るべき殺人者を生み出したのだと。馬鹿な事だ、私が、私がそんな、」

 少し熱の篭った言動を紡いでゆく唇はわなわなと震え、それに合わせてカップが揺らめき、珈琲が零れる。

「落ち着いてください、ヴィルヘルム先生。誰もそんな事は言ってません。ほら、珈琲でもお飲みになって。」

 ベルトルトの方と言えば、あくまでも冷静である。

 彼に促され、右の手首を左手で掴みながら、ヴィルヘルムは唇にカップを近づける。

 その間にも幾分か波立った珈琲が零れ、テーブルクロスに染みを付けた。

「……そう、だな。失礼した。」

「いえいえ、構いませんよ……それでは私達はそろそろ。」

「と、待ってくださいよ。」

 そう言いながら、帽子を被るベルトルトは珈琲代を置きながら立ち上がった。そのまま出口へと向かう彼を、慌てて写真を整え、珈琲を一気に飲み干したエミールが追い掛けて行く。

 ごとっと置かれた空のカップの横には、結局一口も付けられなかった珈琲が今だ湯気を立ていた。

「……。」

 ヴィルヘルムはカップを手に持ちながら、二人の警察官の後ろ姿を無言で眺めている。

 そこには何か思考している様子が窺い知れたが、それは周囲の喧騒に飲み込まれていった。

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