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第二章:四肢無し娘ドルトヒェン・ヴィルト

ヴィルヘルムとドルトヒェンの最初の出会い。

 ヴィルヘルム・グルムバッハが手早く二階まで駆け上がり、白衣を脱ぎ、診療道具を纏めたと言う革鞄と白の帽子を抱えて一階に戻ってくると、一行は解鎮絃郊外にある近隣唯一の大病院まで脚を進めた。

 彼等が外に出ると、素晴らしい青色に染まっていた空は子供が乱雑な筆遣いで灰色の絵の具を塗り手繰ったが如き暗澹た る様子を呈していた。広場を通って行く時も、市民達の姿は既に無い。

 あの人形師の姿も同様であった。

 これは一雨来そうだと、憂鬱そうな顔を浮かべながらエミール・フォン・ヴァンシュタインは思った。急激な天気の変化は、この地方に住んでいれば嫌でも体験出来るが、それでもなかなか慣れ難い事ではある。

 だがヴィルヘルムは、そんな空模様等最初から意に介す事無く、真っ直ぐ前を向きながら、先を行くベルトルト・サヴィニーの後をきっちりと突いて行く。その顔には何の表情も浮かんではいなかったが、だからこそ今彼が何を思っているかを雄弁に語っていた。

 老練のベルトルトにしてみれば、振り向かなくとも気配でそれが窺い知れる。苦労しそうな男だな、と言うのが彼の感想であった。良くもまぁ義体職人なんて”斬った貼った”な仕事が出来るものだと思う。

 ヴィルヘルムの方はその様に思われてる事に気付いているのか居ないのか解らない。ただもし気付いていたとしても、それを顔に出す様な人間では無い事は、今までの態度からして明らかであった。

 そして一行はほぼ街を縦断し、解鎮絃病院へとやってきた。ここはまだ建造より十年も経っていない。都市の中央に位置している解鎮絃大学が1737年建設である事と比べると比較的新しく建てられた施設であり、三階建てで横に長い煉瓦造りの建物だ。

 ベルトルトが両手で扉を開き、帽子を取りながら中に入ってゆく。後ろからエミール、ヴィルヘルムと続く。

 病院の中は清潔、と言うよりも静謐と言った方が良い状況であった。大きなホールとなっている玄関に人影は無く、踏み込んだ瞬間その足音がかなり遠くの方まで届いて行くのを感じる。生気に乏しかった。なまじ広く大きく、多くの患者を収監出来るだけに、人の気配が引き伸ばされて薄くなっているのだ。同時にその隙間を埋める様に、濃厚な沈黙と死の気配が辺りに漂っている。

 無愛想且つ事務的な受付にベルトルトが話を付けている間、辺りを眺めるヴィルヘルムの眉がほんの僅かに釣り上がったのだが、隣に居るエミールは欠伸を噛み殺すのに集中していた為にそれに気付く事は無かった。

「許可を取りました。こちらです。」

 ベルトルトがくいっと指を向けたのは、奥に見える階段である。

 一行は無言のまま三階まで登って行く。その間、カンカンと反響する靴音のみが聞こえた。

 三階は、建物の構造上細長く伸びた一本の廊下に対し、幾つもの部屋が面していた。そして、ここにも人が生きていると言う気配は希薄である。ただ一度、廊下に椅子を持ち出し、窓の外を眺めている老人の横を通って行く時があった。患者だろうその老人は、体を動かす事も無く、顔を変える事も無く、じっと空を見ていた。

 まるで人形である。或いは本当に人形であったかもしれない。

 その不気味とも感じられる廊下を歩き続けた一行は、暫くして一番端の部屋に辿り付いた。

 他の部屋が廊下の横側にあるのに対し、この部屋だけは歩いて正面に位置する。扉も分厚く頑丈そうであり、戸も二枚あれば、鍵穴も二つ付けられている。堅牢な作りで、明らかに異質であった。

「ここが?」

「えぇ……ここに入れたのはこちら側の配慮です。色々と、キてましてな。」

 ヴィルヘルムが指を差し、ベルトルトがそれに頷く。

 するとベルトルトは、トントンと手の甲で扉を打った。

「今日は、ドロテーア・ヴィルトさん。あなたにお客様を連れて来ました。この前言っておいた義体職人のヴィルヘルム先生です。入ってもよろしいですかな?」

「よろしいに決まってるじゃない……あんた、解って言ってるでしょ。」

 中年らしい低く渋い声に返って来たのは、甲高い少女の声である。

 そこには聞く者を怯ませる茨の棘が含まれていた。

 すっとベルトルトは肩を竦めながら、怪訝そうな顔を浮かべるヴィルヘルムに向けて片目を瞑る。

 彼は更に半身を翻すと、片腕を扉の方に向けた。ここから先は一人で、と言う事らしい。

「どうやら私は嫌われている様ですからな。それに、診察は医者と患者の一対一の方がよろしいでしょう。」

「……あぁ、解った。」

 ヴィルヘルムは小さく頷いた。薄ら笑いを浮かべるベルトルトの方を見ながら扉に手を掛け、そうっと開く。

半身を滑り込ませる様に中に入ると、なるべく音を立てぬ様に小さく閉めた。

 辺りを見回す。

 その扉の印象通りに、部屋は広かった。ただ広いだけであって、豪華では無い。家具は白いシーツと枕が置かれたベッドとその前に小さな四脚椅子が一つのみである。そして床も白ければ壁も白く、窓辺に揺れるカーテンも白。窓の向こうで蠢く灰雲と対比され、その白さは実に病的に感じられた。

 恐らく病院側もどうしたら良いのか計りかねているのでは無かろうか。

 ヴィルヘルムにはこの場所が、病室と言うよりも牢屋に思われた。

 彼はそこである事実に気付く。ベルトルトが呼んでいたドロテーア・ヴィルトと言う少女は何処に居るのだろうか、と。見た所、隠れられる様な場所はベッドの下位であるが、軽く屈んでみても見当たらない。

 疑問詞が脳天に浮かぼうとした時、ヴィルヘルムの耳に覚えのある声が聞こえて来た。

「女の子の部屋に勝手に入って来たって言うのに、何も言わないつもりかしら?」

 それはベッドの上から聞こえて来た。

 嗚呼成る程、と自分が犯した過ちに気付く。

 彼女、ドロテーア・ヴィルトは隠れるも何も最初からベッドの上に寝ていたのだ。廊下に居た老人が、余りに生気が無く、微動だにしなかった事で、人間か人形か区別出来なかった様に、彼女もまた、人間ならばまずあるものが存在せず、またぴくりとも動かなかったので、一瞬何処に居るのか解らなかったのである。

 そう、彼女には腕と脚が存在しなかった。

 正確には、肘から先と、膝から先が、である。

 白い看護服に包まれた眉の様な小さな体は、揺り篭の中にまどろむ赤子のそれであり、豊かな波を漂わせる黒髪は包帯で目を覆われた顔の上にあって、模様の如き様相を感じさせる。最初ヴィルヘルムが枕と思ったそれこそがドロテーア・ヴィルトであったのである。

 ベルトルトが『口にするのも憚る状況』と言っていた意味が理解出来た。

 だから私が呼ばれた訳か、と考えながら、ヴィルヘルムはベッドへと近付き、椅子へと座る。

「失礼、挨拶が遅れたな。私は義体職人ヴィルヘルム・グルムバッハ。君はドロテーア・ヴィルトだった、ね。ドルトヒェン、と呼んでもいいかな?」

 ヒェンとは『chen』と綴る。所謂愛称であり、意味合いとしては『ドロテーアちゃん』と言う所だろう。

 一般的に、土壱では初対面の相手を愛称では呼ばない。それでもあえてヴィルヘルムは彼女をそう呼んでも良いか、と尋ねた。前にも言ったが義体職人は医者としての性質を持つ。義体を付けるには、相手の体を熟知していなければならない。故に医者と患者の間には信用関係が不可欠であり、信用を得るには身近な存在とならなければならないのは当然である。

「ヴィルヘルム、ヴィルヘルム・グルムバッハ、ね。ご大層な名前……いいわ、好きに呼んで頂戴。」

 彼のこの飛び気味の提案を、ドロテーア、いやドルトヒェンは了承した。とりあえず、信頼はしようと言う事らしい。信用と信頼の違いは各自辞書を引いてもらうとして、そこには一種自嘲じみた感情が混じっていた事は特筆すべき事柄であろう。

「ありがとうドルトヒェン。」

 その事を感じているのかいないのかは解らなかったが、彼は薄っすらと笑みを浮かべてながら応えた。

 無論、目を包帯で覆っているドルトヒェンがその表情を見る事は出来なかったが、

「どういたしましてヴィルヘルム。で、結局貴方は何をしにきたの?」

 それでもせめて形だけはと言う事か、難儀そうに体をずらしながら、ヴィルヘルムの方を向いた。

「……先程も言ったが、私は義体職人だ。君の傷を治してくれ、と言う依頼を受けてここまで来た。」

「あらそれは直してくれの間違いじゃないかしら?」

 淡々と事実のみを伝えようとするヴィルヘルムの声に、ドルトヒェンの笑い声がくすくすと被さる。

 嘲笑を浴びせられ、彼は僅かに眉間に皺を寄せたが、努めて表情は変えずに言う。

「……君は機械じゃない。人形でもない。真っ当な人間だ。ならば直す、では無く、治すと言うべきだろう。」

「真っ当な、です、って?」

 その台詞を聞いた途端、彼女の表情が見る間に険悪となる。

 半分が包帯で隠れているにも関わらず、それは容易に感じられた。

「貴方の眼は節穴っ?ねぇ、節穴っ?この体の何処をどう見たら真っ当なんて言うのよっ。」

 そう叫ぶドルトヒェンの体は飛び上がる様に折れ曲がり、寝ている体勢から上半身のみ起こす。

 そして怒気を込めながら、べっと唾をヴィルヘルムの顔面目掛けて吐き掛けた。

 びちゃりと生暖かく滑った唾液がぶち当たり、たらりと頬を伝って行くが、彼は拭う事無く口を開く。

「すまない……確かにその通りだ。今の君の体は、常人とは違う。生活にも支障を来たすだろう。そのままでは一生寝たきり、赤子のまま老いて死ぬ……だが、私は義体職人だ。君の失った手足と、殆ど同じものを作れる。つまり……君を治す事が出来る、と、そう言う事だ。」

「はっ、どうだかっ。」

 真摯なヴィルヘルムの言葉を唾棄する様に、ドルトヒェンは鼻で笑った。

「何故笑う?君は、一生そのままでいるつもりか?」

「直るだなんて思えないからよっ。それに直ったって、もう、パパとママは……。」

 そこで彼女の言葉が止まった。

 歪んだ笑みは剥がれ落ち、変わって今度は、噛み締められた一文字の唇から、零れる様に嗚咽が漏れる。

 余りに強く噛んだ為だろう、少女らしい薄い唇から細く血が垂れ、紅を引いて行く。

「……そんな風に言うものでは無いよ。天国に居るご両親が哀しまれる。」

「勝手な事言わないでよっ。なんて貴方にそんな事言われなきゃならないのよっ。」

「……そう、だな。それもその通りだ。すまない……だがこれだけは言わせて欲しい。」

 包帯越しにもありありと感じられるドルトヒェンの視線から逃げる事無く、ヴィルヘルムは返した。

「君は、私が、治す。それだけは確かな事だ、と。」

「はぁ……貴方学習能力が無いみたいね。何度も言わせないで、直るだなんて到底、」

「私が、治すのだ……っ!!!!」

 ドルトヒェンが何か言うよりも早く、ヴィルヘルムはそう断言した。

 それは喉から搾り出す様に、だがはっきりと告げられた。そこには、例え他の何を否定されようとも、これだけは絶対に譲る事が出来ないと言う、聞く者に対して有無を言わせぬ様な、凄味が篭っていた。

「っ……。」

 彼の迫力に、思わず閉口するドルトヒェン。

 軽く乱れた息を整えるヴィルヘルムは、そこではっと我に返った。

「いや、失礼。取り乱した……そう、義体化を敢行するかどうか、は君の意思、だ。無理強いしてすまない。」

「……ううん、別に。大丈夫、だから。」

 首を横に動かし、そう告げるドルトヒェンに対し、ヴィルヘルムはそうか、と頷きながら、立ち上がった。

 ががっと四脚椅子が後ろに下がり、床を擦る。

「行くの?」

「あぁ。突然遣って来て、勝手な事を言って、「解ってる解ってる。だからそんなに謝らないで。」

 大人の男性がしきりに頭を下げるのがおかしいのか、ドルトヒェンはくすりと笑みを浮かべた。

 思春期の少女はよくよく表情が変わるものだ、と自らもまた苦笑いを浮かべるヴィルヘルムに、彼女が言う。

「ね……義体云々は置いといてさ。」

「ん?」

「また今度ここに来て?暇だから、お話し相手になって欲しいんだけど。」

 それは十五歳の少女らしい、無邪気な提案であった。恐らくその性格の為に女性との付き合いは殆ど無かったのだろう、ヴィルヘルムはどう応えて良いか解りかねる様に口を閉ざしたが、直ぐに笑みを浮かべて言った。

「勿論だ。尤も、私の方も忙しいから。何時来れるかは解らないが。」

「何時でも構わないわ。こんな体だもの。何時だって大丈夫よ。」

 それに対するドルトヒェンの台詞の中の『こんな体』と言う言葉に、僅かだが表情を曇らせた彼であったが、彼女の表情に自虐的な感情が見出せなかった事で、そのまま微笑み返す事にした。

 そして帽子を胸元に当てながら、

「ならば、お言葉に甘えてそうさせて貰おう。それでは、またその時に。」

 軽く頭を下げると、踵を返して部屋を出ようとする。

「ああ、待って。」

 その背後から、ドルトヒェンの静止の声が上がった。

「?……どうした。」

 首を傾げる様に、軽く後ろを向くヴィルヘルム。

 彼女は、よいしょよいしょと肘の部分で自分の頬を撫でながら告げる。

「唾、ごめんね。後でちゃんと洗っといて。」

 言われて彼は、自らの頬についているそれの存在に気付いた。今の今まですっかりと忘れていたのである。

「ん……ああ、そうだったな。だが、何、気にしてないさ。」

「ちょっとそれ危ないわね。もしかして、そう言う性癖かしら?」

 意地の悪い微笑みを浮かべながら、そう聞き返すドルトヒェンに、ヴィルヘルムは苦笑いする他無く、彼はズボンのポケットから白いハンカチを取り出すと、手早くさっと拭き取って、

「そんな訳あるか……しっかり拭いておいた。それでは、今度こそまた、な。」

 再び、元来た扉に向けて歩き出した。

「はいはい。それじゃぁねぇ。楽しみに待っているから、さ。」

 その背中に向けて、彼女はかくかくと見えざる手を振るのであった。

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