午前2時51分
その防犯カメラには、午前2時51分になると、誰もいない廊下を歩く女が映る。
最初に気づいたのは、夜勤の警備員だった。
古いビジネスホテルだった。
場所は近畿地方の山あい。
駅から車で20分ほど離れたところにあり、平日は出張客、休日は観光客が泊まる程度の、小さなホテルだった。
女が映るのは、二階の東側廊下だけだった。
午前2時51分。
エレベーターの扉が開き、白い服を着た髪の長い女が出てくる。顔は俯いていて、はっきりとは見えない。
女は廊下をまっすぐ歩き、突き当たりまで行くと、次の瞬間には綺麗さっぱり消えてしまうのだ。
最初は映像の欠落だと思われたが、カメラもシステムも正常だった。
女が歩く間も廊下の非常灯は点き、窓の外も映り、時刻表示も1秒ずつ正確に進んでいる。
ただ、女だけが消える。
警察にも相談したが侵入者の形跡はなく、ホテル側は半ば「タチの悪いいたずら」として処理しようとしていた。
ところが、一週間後。
別のカメラにも女が映った。
今度は一階ロビーのカメラに女が映った。
午前2時51分。
誰もいない玄関前に立ち、数秒間じっと自動ドアを見つめた女は、防犯カメラの位置を知っているかのようにこちらを振り返った。
そして画面の端へ歩き去ると、映像が二階のカメラへ切り替わる。
女がエレベーターから降りてくる――最初の映像と同じ光景だ。
警備員は首を傾げた。
「これ……一階から二階に上がったってことですよね」
昨年からこのホテルに配属されたばかりの支配人が頷いた。
「たぶん」
「でも、エレベーターの防犯カメラには?」
「映ってないんだ」
そこで警備員は、映像を巻き戻した。
一階で画面から消えてから、二階のカメラに現れるまでほんの数秒。
その間、エレベーターは一度も動いていない。
警備員が映像を止めて呟いた。
「……変ですね」
警備員の言葉に支配人は答えず、画面の女の顔を拡大した。
ぼやけた画面のなか、女の口元だけが歪に笑っているように見えた。
「ああ、そういえば……この時期になると、毎年決まって同じ苗字の宿泊客が一人いるって話ですね」
警備員が、思い出したように言う。
「苗字は……なんだったかな……」
「聞いた事ありますよ、このホテルの噂話ですよね」
支配人はお茶を出しながら、警備員とわずかな休憩時間を取ったのだった。
翌朝、二階に泊まっていた客の男から「夜中、誰かがドアをノックしていった」と電話が入った。
「何時ごろでしょう」
「真夜中の2時51分です」
支配人の手が止まった。
「……何か、見ましたか?」
「はい」
男はしばらく黙った。
「ドアスコープから見たら女性でした……ずっと俯いていて、長い髪が顔を隠していて……」
「それで、何があったんですか?」
「部屋をノックしそのまま通り過ぎていったんです……。真夜中だったし、怖かったので出なかったのですが……」
支配人は宿泊客をなだめるように言った。
「それなら、たぶん酔った宿泊客か何かでしょう」
そう言って電話を切ろうとしたときだった。
「カメラを」
男が言った。
「防犯カメラ、見てください」
「はい?」
「廊下のカメラです」
「……何か?」
「女は、私の部屋の前まで来てません」
支配人は眉を寄せた。
「どういう意味です?」
男はそれには答えず電話を切った。
支配人が急いで二階の映像を確認すると、確かに女は男の部屋の前を立ち止まらずに通り過ぎていた。
しかし、支配人は別の異変に気づき息をのむ。
女の後ろ。少し離れた廊下の暗がりから、男が出てきて女の後を追っていたのだ。
一時停止した画面に映る顔は、電話をしてきた宿泊客だった。
そして彼が部屋から出てきた時刻は――午前2時51分、女と同じ時刻だった。
嫌な予感に襲われた支配人は、フロントの宿泊記録を引っ張り出した。
男の名前、住所、そして署名。
「日光院」
その妙にかっこいい苗字に、なぜ最初に気が付かなかったのか、と血の気が引く。
そのホテルでは20年前、日光院という姓の女が二階の突き当たりから飛び降りて亡くなっていた。
それ以来、毎年この時期になると、防犯カメラに女が映る。
そして泊まった客の中に、一人だけ「日光院」という同じ苗字の客がいる。
その客は必ず翌朝「夜中に女が歩いていた」と証言するのだが、ホテル側はその事実を記録に残せずにいた。
なぜなら――
――その客は毎年、女の後ろを歩き、二人で突き当たりの死角へ消えていく姿が防犯カメラに残っているからだ。
今年の映像も、そうだった。
午前2時51分。
女が突き当たりへ向かう。
その後ろを、日光院と署名した男が歩いている。
やがて二人の姿が、カメラの死角へ消える。
なんだ、これは……。
そして、さっきの電話は……。
しかも宿泊していた今年の「日光院」という男性は、とっくにチェックアウトしている。
意味不明な事の連続に、支配人は冷や汗が止まらなかった。
震える手で翌日の予約名簿を開く。
明日の宿泊客に「日光院」の名はない。
ホッとして画面を閉じようとした、その瞬間だった。
防犯カメラのモニターの隅にある時計が、静かに時を刻んだ。
午前2時51分
いつの間に!?
息を飲む支配人をよそに、モニターの中で、誰もいない一階ロビーの自動ドアが開いた。
白い服の女が入ってくる。
そして、その後ろから――「日光院」と書かれた名札を胸につけた、ホテルの支配人――自分――が入ってきた。
画面の中の『自分』が、ゆっくりとこちらを向いて笑う。
現実の『自分』は、まだフロントに立っていた。
恐怖に慄きながら自分の胸元を見下ろすと、そこにはいつの間にか、赤黒い文字で刻まれた「日光院」の文字があった。
一体……、と顔を上げると、照明は消えており、暗い廊下に立っている。
数歩前を白い服を着た女性。
どうしたのですか、夜中に危ないですよ、と声をかけようとしたが――。
――翌朝――
警備員は首をひねる。
支配人ってあんな顔だったろうか……、と。
ー了ー




