ブランの回想2
最初は、彼の顔を見るのも恥ずかしかった。
こんなに素敵な人が私の婚約者だなんて、夢の様だと思った。
彼が帰った後、私は自分がつけていたらしい日記を見つけた。
鍵を見つけるのに少し手間取ったけれど、なんとか開く事が出来た。
最初は、彼との思い出を取り戻すきっかけになればと、そう思っただけ。
楽しそうな思い出の中、最後のページにはたったひと言。
『私は彼に相応しくないのでは』
涙で滲んだらしいインクの文字が、苦しそうに残されていた。
前日までのページには、どれだけ彼に会うのが楽しみかを綴っていたのに。
学園祭でいったい何があったのか、思い出そうとすると胸が痛んだ。
それでも、何も思い出せなかった。
眠れない夜を過ごしてから、家族や使用人に彼の事を聞いて回った。
曰く、月夜の貴公子と呼ばれており、公爵家の跡取りとしても大変優秀で、愛人希望の令嬢が後を絶たない、と。
私は記憶を無くして良かったのかもしれない。
領地に引き篭もっているだけの私とは違い、彼には多くの選択肢があるはずなのに。
あのままだったらきっと、私は彼の優しさに甘えたまま、婚約の解消は出来なかったと思う。
でも今なら、記憶の欠落を理由に、彼に有利な条件でお別れする事が出来るはず。
大丈夫。
もっと相応しい人は他に居る。
彼に幸せになって欲しい。
でも、別れたく無い。
隣に居たい。
私の目を見て、ゆっくりと話してくれる、ちょっと掠れた声が好き。
額に触れた、細くて綺麗な、冷たい指が恋しい。
あの笑顔が、他に向けられるなんて考えたくない。
まだ少ししか知らないけれど、彼はどこまでも誠実な人だった。
私も誠実で在りたいのに、どこまでも卑劣で狡い選択を選んでしまう。
だからこそ、胸が苦しい。
結局、彼との婚約は破棄しなかった。
彼が自慢できる様な令嬢になれば良いだけ。
彼が望むなら、その時は・・・。
泣いて縋ってしまうかも知れない。
それから数年が経ち、私も学校へと通う様になった。
彼は高等学校へと上がったので校舎が離れてしまったけれど、すぐに会える距離に居る。
それだけで嬉しかった。
毎日、手紙を書いた。
彼がとても喜んでくれるから。
学校に通う様になってから、彼が見知らぬ女性達に囲まれている姿を遠目に見る事があった。
そういう時は必ず彼も私を見つけてくれて、手を振って笑いかけてくれた。
寂しいけど、嬉しかった。
他の方がどれだけ焦がれようと、彼は私の婚約者。
彼が先に学校を卒業して、会える機会が減ってしまっても、私が18歳になれば籍を入れる事が出来るから我慢できた。
文通はずっと続いていたから安心出来た。
毎週末にはデートもした。
彼はどんどん魅力的になっていく。
私は1日でも早く大人になれるように、毎日早く眠る様になった。
ひと足先に社交会へ顔を出せるようになった彼に、どんな令嬢が言い寄ってこようとも、彼は私の婚約者だものと言い聞かせた。
17歳になってから、2人で少しずつ式の準備をした。
彼も楽しみにしてくれてると分かって嬉しかった。
冬の終わりが待ち遠しい。
山が雪化粧を始めた頃、彼と2人で夜会に出た。
とある貴族の家で開かれた小規模なパーティー。
彼の選んでくれたドレスと彼のエスコートのお蔭で、初めてなのに緊張はしなかった。
それでも慣れない場の雰囲気に疲れてしまって、商談が残っている彼を残して先に帰る事になった。
凄く心配をされたけれど、そんなに距離も無いから大丈夫だと手を離した。
無理をしてでも残っていた方が良かったのかも知れない。
彼と別れた後。
馬車で移動している際に、私は夜盗に襲われた。
その恐怖から、2度目の記憶を失ってしまうとは思わなかった。




