秘密
なんとか長谷を振り切って、俺と雫川は俺のクラスがあった棟とは別の棟の廊下を歩いていた。この棟は、4階建てなのだが、使われている教室はあまりなく、4階にある目的の教室まで殺風景に感じる。
そして、いつもの教室の前にとまり、雫川が扉を開ける。教室の中は10卓くらいの机が後ろのほうに隙間なく並べられており、その上に椅子が上げられていた。そして、教室の空いているスペースには長机があり、その下に6脚の椅子が収められていた。
雫川は俺より先に入って長机のところまで歩いて行き、振り返ってもたれかかった。その所作も美しく、もう何回も見ているはずなのだが、俺は未だに見惚れてしまう。
「ほんと、よくこんなところ知ってるよな。」
「ここの部活に入っているんだから、当たり前でしょう?」
言って、雫川は持っている鍵を指でぶんぶん回す。……カッコつけても様になるから、少し煩わしい。
「それと、雫川。何で毎回、直接呼びに来るんだ。ああなることは分かってるだろ?」
毎回毎回激昂している長谷の相手をしなければならないこちらの身にもなってほしい。……あれ、ものすごく体力削られるんだからな。
「いいじゃない。あれも楽しい時間なのよ。それに、泰輔君の困ってる顔も面白いから。」
言って、雫川は不敵な笑みを浮かべる。
「……ほんとお前って変わってるし、ドSだよな。」
俺は彼女と対照的にため息をつく。運よく俺のライフは尽きていないが、いつ底をついてもおかしくないからな。
「じゃあ、そろそろいい?ちょっとしんどくなってきてて。」
俺が将来の自分の身を案じていると、雫川が机に手を付き辛そうな表情でこちらを見つめる。
しかし、それは体調の悪さ100%というより、何か別の成分がある感じがした。……何かを欲しているような。
「ああ。……というか、いつも言ってるが別に俺の唾液をカプセルとかにいれて、それを摂取するとかでもいいんだぞ?」
「……それじゃ、なんかすごく変態みたいじゃない。ちゃんとした過程を踏んで摂取したいの。」
「別に変態とは思わないし、どっちでもそんな変わらんと思うけどな。」
「……乙女ごごろってやつかもね。」
「そうなのか……。」
そう言って、俺は雫川とキスをする。もう、何度目か分からないそれは未だに俺の心の欲を呼び起こす。
……初めてしたときは、付き合った初日だった。あの時もこの教室に連れ込まれて、半ば強引に口を口に押し付けてきた。俺は初めてだったので、戸惑いと嬉しさと不安と恐れ多さと喜びなど自分でもなんて形容していいか分からない感情が蠢いた。
そして、そのまま相手の為すがままに俺は呆然と実感が伴わない心で立ち尽くしていたのを覚えている。……そのときから比べれば、少しは相手が出来るようになったと思う。まあ、未だに向こうのほうが何枚も上手だが。
なめらかに滑りこんでくる舌は俺の唾液を絡めとろうと気持ちよく動いていた。それに応戦しようとするが、あまり歯が立たず相手の邪魔をしないよう受け流す。
ただ、さすがに相手はこれを何度も経験している猛者なので、俺自身が気持ちよくないなんてことはない。むしろ、その逆だ。相手はどうかは分からないが。
そして、もう少しで俺の欲望の扉が開ききってしまいそうなところで、それは終わった。どうやら、どこで終われば俺が発情しないかというのを心得ているみたいだ。
「ありがとう。これで、半日は持ちそうね。」
雫川は口を離しそう言った。少し上気している彼女の頬がキスを見ると、より強い実感が俺を襲ってくる。……本当、ちょっと前の俺では考えられなかったことだな。
「……半日か。なかなかコスパが悪いな。」
「仕方ないでしょ。成長期なんだから。……こんなことを聞くのも自意識過剰で嫌なんだけど、もっとしたいなとかは思わないの?」
雫川は不安そうな顔で上目遣いでそう聞いてくる。170センチの俺の身長と雫川はそうは変わらないので、雫川を見下ろすことはそうそうない。……可愛いなとか思ってしまうな。
「思わないと言ったら、嘘にはなるな。……ただ、まだ俺の欲望とか心とかの扉を開くのが怖い。好きになって裏切られたらどうしようという思いが俺の扉を固い鍵をかけている。」
俺は過去にトラウマを抱えており、人に対して(特に女子)あまり心を開くことが出来ない。……それは付き合って1ヶ月になる彼女も同様だった。
「私は裏切らないよ……と言ってもいいかは分からないな。」
「ああ。何せお前はサキュバスだからな。」
まあ、彼女の場合、かなり特殊な事例だけどな。
「うん。私は一日に何度か異性の人間の体液を得られないと生きられない身の上。……ほんと、面倒な身体だね。」
言って、雫川は自嘲気味にそう言った。これは付き合った初日に聞かされたことで、いきなりキスをしてきたのもそういった理由からだ。……面倒というところは同意だな。
「そうだな。でも、それは20歳までなんだろ?」
「うん。20歳になると成長期が終わって、自分の身体だけで必要な栄養素が生成できるようになるからね。あとは普通の人間として生きられる。少し違うのは寿命がちょっと長いくらいなのと若い期間が長いところかな。」
「最初に聞いたときは驚いたな。現実にそんな人外がいるなんて。」
未だに半信半疑ではある。形姿も変わらないし、何か特別な能力があるわけでもない。普段は人間と同じ食事をしてるし。……ほんとう違うところは食事に加えて人の体液を摂取しなければいけないところくらいだ。
「見た目も一緒だし、ひた隠しにして生きてるからね。……その方が都合がいいからね。公にしたら何されるか分からないし、もうサキュバス自体の生き残りも数少ないし。」
「ああ。」
付き合った当初聞いた話だ。人間には隠すのが一番、安全な道だ。
「あと、もう一つ制約がある。」
言って、雫川は人差し指をピンと立てる。
「ああ。」
「私は……サキュバスは同じ人の成分で生きられるのは最高でも2年間だけ。」
「何度も聞いた話だ。」
そう、同じ異性の人間で大丈夫な期間は2年間だけらしい。……何とも面倒な身の上である。少し同情してしまう。
「うん。だから、1年と11か月後には私と別れてもらう。」
「ああ。知ってる。」
「……悲しくはないの?」
淡々と返答する俺に雫川はちょっと不安そうな顔をする。まあ、その質問は妥当なんだろうな。
「今のところは、だな。未来は分からないが、お前もそのほうが都合がいいだろ?」
「うん。過去付き合った男性で、期限が迫ってきたときにやっぱり別れたくないって言う人が何人もいた。何度も説明してきたことなのにね。」
「仕方ない。恋愛というのはそういうものだ。」
「付き合ったの私が初めてなのに。」
言って、彼女はクスッと笑う。……ちょっと恥ずかしくなってきた。
「一般論だ。色々な人の話を総合するにそうだろうというだけだ。」
「そう。……私のことは好きじゃないの?」
「……ああ。好きという感情そのものがよく分からないんだ。」
これは本心だ。好きになるということがピンと来ず、漠然と彼女が欲しいだとか彼氏が欲しいだとかいう感情もよく分からない。
……ちゃんと好きになる日が果たして来るのだろうか。今の俺には分からない。
「なのに、こういうことするんだ。」
俺の無神経な返答にそう言って、彼女はニッと笑う。何度も言っていることなので、悲しくはならないみたいだ。……それは自意識過剰が過ぎるんじゃないですかね?福鳥さん?
そんなことより、また恥ずかしくなってきたんだが……。
「……それはお前もだろ。自分のこと棚に上げるのは卑怯だぞ。」
「果たして本当にそうなのかな?」
何故か楽しげな雫川に俺は頭の中に?が思い浮かぶ。
「……どういうことだ。」
「私が泰輔君のこと好きって可能性もあるかもよ?」
「何人の人と付き合って来て、容姿端麗才色兼備のお前がか?こんな平凡な高校生好きになるはずないだろ。現に、お前がこんな身の上じゃなかったら俺と付き合ってないだろ?」
「それはそうね。」
「即答ですか、そうですか……。」
ちょっとでも迷うのを期待した俺が馬鹿だった。
「でも、付き合ってから好きになっていくパターンもあるじゃない?」
「片思いパターンのやつか。でもお前には当てはまらないんじゃないか?別れるって分かってるわけだしな。」
「そうだね。」
「これも即答かよ……。」
そんなに俺を弄んで楽しいのかよ。
「ちょっと泰輔君をからかってみたかっただけ。」
言って、嗜虐的な笑みを浮かべる。こういうSの部分は付き合う前のイメージとは違ったな。
「そうかよ。」
「だから、出来るだけ好きにならないでね。でも、もし泰輔君が人肌恋しくなったら声かけてもらって良いから。」
「はいはい。もし、そうなったら連絡する。」
「……やけに素直なのね。」
雫川は少し驚いた表情を見せる。
「未来のことは分からないからな。もしかしたら俺が狼になるかもしれない。」
「人狼ってやつ?そしたら、お互い人外同士のカップル成立だね!」
「はいはい、確かにな。」
雫川のよく分からない言葉に俺は適当にあしらう。仮にそうなって、それがばれたら世界中の標的になるだろうな。
「じゃ、休み時間終わりそうだから。戻ろっか。」
言って、雫川は先に教室を出る。
前提も中身も何もかも特殊なこの恋愛はどんな終わりを迎えるんだろうな。




