お互いの気持ち
大学構内にあるこのイルミネーション場はクリスマスイブということもあって、そこそこ賑わっていた。通路横にある木々すべてに紐がくくりつけられ、どの木も青や白や黄色に光っている。
別に屋台などがあるというわけではないが、カップルたちの声がこだましている。
俺と雫川はというと一通り見終わり、最後少し広場とは外れた、建物に囲まれたエリアに来た。そこでも、イルミネーションは輝いていたが、人は誰もいなかった。
とても綺麗で良かったなと思っていると、隣を歩いていた雫川が急に立ち止まった。
「泰輔君ってずっと冷たいままだよね。」
雫川にふいにそんなことを言われた。彼女の顔は俺を鋭く睨みつけ、この場から一歩も逃がさないというような圧を感じた。
二人で楽しめていると思っていた矢先のことで、思わず、冷たい水をぶっかけられたように感じた。
心臓が跳ね上がり、思わず雫川のほうをずっと見つめてしまった。……何があったというのだろう。
「付き合った当初とあまり変わってないよね、態度が。そりゃ、付き合った当初は私がいきなり付き合おうって言いだしたし、泰輔君の過去に色々あったのも知っている。今日だって、最初あまり楽しそうじゃなかったし。」
俺の足は石化したように動かなくなり、その言葉を真正面から受け止めるしかできなかった。冷や汗がだらだらと流れ、何かの終わりがちらつき始めた。
「……あんまり私のこと好きじゃない?」
ただ最後に付け加えられた言葉は、とても弱弱しいものだった。
逆に庇護欲が出てきて、とんでもない罪悪感に苛まれた。
「いや、好きだぞ。じゃないと、ずっと付き合ってない。」
「……ほんとに?私は信じられない。」
俺の言葉は雫川には届かない。これまでの俺の態度がそうさせてしまっているのだろう。
だが、事実、雫川のことは好きだし、これまでずっと楽しく、安心感さえあった。この関係がずっと続けばいいのにと思った時もあった。
「……怖いんだ。自分の感情を出すのが。」
ただ、この言葉もまた真実だ。
ひどいわがままを言っているのは自分で分かっている。こんな自分勝手な感情で雫川を振り回すのは悪いことだと言うのも分かっている。こんなところでこんなことを言うのは醜く卑怯なことだというのも分かっている。でも、それでも、……怖いんだ。
「好きって感情も?」
「ああ。」
俺のか細い同意は雫川に届いたはずだが、彼女は俺をじっと見たまま何の声も発さなかった。
当たり前だ。こんな矮小で醜いやつの戯言に誰が付き合ってくれるのだろうか。
「……ごめんなさい。嘘に聞こえる。」
なかなか自分の言葉は彼女に届かない。
全部ずっと本心だ。俺は自分の心にはそうそう嘘をつかない。ただ、それを表現をするのが苦手なだけだ。……恐らくそう。そう願いたい。
「……嘘じゃない。と言ってもそれを証明する術が俺の中にはない。」
どうすればいいのか分からない。これが本心。他にどう言えばいいのかも分からない。
「……泰輔君の気持ちを全部分かってあげるのは私には難しい。だから、思っていること思っていたこと全部話してほしい。」
「……分かった。」
肯定したはいいもののどこから話せばいいのだろう。
自分の気持ちを本当の意味で分かってもらおうとするのは心底難しい。自分のなかで言葉として決まり切っていない感情もあるし、ちょっとでもニュアンスが違う言葉を紡いでしまうと誤解が生まれてしまうかもしれない。
それに、他人に好意を向ける感情はここ数年封印していたものだ。本当にこれが好きという感情と表していいものなのか自分では分からない。ただ、雫川のことを好意的に思っていることは事実だ。
……ただ、いつからどういう感情になったと言われても難しい。いつから好きになったのかも突き詰めていけば分からないし、それをどう話せばいいのも分からない。
指先から全身に向かって身体が凍えていくのを感じる。どう言えばいいのだろうか。
……雫川――彼女と別れないためにはどうすればいいのだろうか。
と、何の言葉も発せないでいると、眼光鋭くこちらを見ていた雫川の顔が息が抜けるようにフッと和らいだ。
「いや、この言い方は意地悪だったね。私から話すよ。」
雫川は何か諦観した様子で、ポツリと話し始めた。
「……私、こういう身の上だから付き合えれば誰とでもいいって思ってる節があったんだ。そのおかげでたくさん嫌な目にもあった。」
遠い目をしている彼女は一体何を見ているのだろうか。
「ちょっとだけ手を上げられたこともあったし、ひどい振られ方をしたこともあった。まあ、暴力を振るわれても私サキュバスだから反撃もすぐできたし、傷の治りも早かったんだけどね。」
彼女は少し俯き自嘲気味に寂しい笑みを浮かべる。
それだけで彼女の憂慮が少し感じ取れた気がした
「それでどんどんどうでも良くなって、日々の生活も楽しくなくなって、病んでた時期もあった。まあ、それでも最低限パートナーは選んでたんだけどね。」
彼女は儚く笑う。過去の彼女を実際に見たわけではないが、相当悩んでいたことが感じ取れた。
「泰輔君と付き合う時もある程度良い人そうなら誰でも良いなって思ってた。それで、あの雨の日あのきっかけがあって、付き合えそうだなと思って声をかけたんだ。」
6月の梅雨真っ只中だったあの日、いつものように強い雨が降っていた。学校が終わり、いつものように帰っていると、雨の中一人うずくまっている女子がいた。彼女は同じ学校の制服で、何かあったのだというのはすぐ分かった。
ただ面識はなく、いきなり知らない人に声をかける度胸は持ち合わせていなかったので、
傘だけ置いて、すぐ帰った。幸い代わりに折り畳み傘を持っていたので、俺が濡れることはなかった。
すぐ立ち去ったので、バレていないと思っていたが、次の日の朝、雫川にすぐさま声をかけられた。そして、誰もいない教室に連れていかれて、境遇を全て語られ付き合うことになったという顛末だ。……激動だったなあの二日間は。
「でも、こんな私と付き合ってくれる人には優しくしたくて、良い彼女を演じてた。」
それは何となく感じ取っていた。
……少しだけ彼女の言動に空虚なものを感じていたから。
「でも、いつからかないつもとは違う感情が私の中に湧き上がってた。……もしかして好きって感情なのかなと思ってね。」
彼女は優しく微笑む。
俺の目には少し輝いて見え、好きと言われたのも相まって心臓がドキッと動いた。
「それを意識してしまったからあの夏祭りの日聞いたんだ。私のことどう思ってるって。」
彼女はそう言って、空を見上げる。
複数の光に照らされた彼女の横顔は少し冷えているように見えた。
「……私は泰輔君のことかなり好き。最初はそうでもなかったけど、今は本当に。」
「……それは本当の本当に本心なのか?」
これだけ説明してくれて雫川が好きと言ってくれているのに、それを疑う気持ちを持ってしまう。
付き合った当初、彼女は俺のことを好きじゃないと言っていた。ある程度ラブラブなカップルに見せるように演技をしていることも冗談ぽく示唆していた。そこは変わることはないのだろうと勝手に思っていた。
ただ、今の彼女からそれは間違いだと強く言われた。変わらないと思っていたことがいつのまにか変わっていたのだ。
しかし、だからと言って、すぐに信じることは難しい。本当に俺のことが好きなのだろうか。
……こんなことを思っている自分に心底嫌気が差す。
「うん。……だからこそ、泰輔君にとって私と付き合うことが嫌なら身を引くよ。」
とても優しい女性だ。
そこにいるのはサキュバスではなく聖母なのではないだろうか。
ここまで言われて、自分の気持ちをどう言ったらいいかなんて悩んでいる自分に吐き気がしてきた。何でもいいから言葉を発しろ。自分の本心を。どう伝わるかなんて後で考えればいい。
「……実は最初はあまり好きじゃなかった。いや、それも本心じゃないかもしれない。好きになろうとすらしていなかった。雫川はいつもキラキラしていて、高嶺の花で俺が付き合うなんて全く考えられなかった。だから、付き合うってなった時も現実味が全然なかった。」
「……そう。」
ゆっくりだが何とか俺は言葉を紡ぐ。
それを聞いた雫川は冷えた眼差しでこちらをじっと見つめる。
恐らく、続きを待っているのだろう。
「……あの夏祭りの日までは。それまでずっとフワフワしていて、何なら付き合っていることに照れくささもあった。……まあ、それは今も多少はあるけどな。」
雫川と毎日挨拶をし、毎日昼食を食べ、毎日一緒に帰り、そして毎日キスをした。一緒にいる時間がめちゃくちゃあったのに、それでも雫川と付き合っている実感はまるでなかった。
付き合う前の彼女は皆の憧れの的で、容姿端麗、才色兼備、不足しているところが何もなく、それに愛される人柄の持ち主だった。それゆえ、モテており彼氏が途切れたことがないという噂は他人にあまり興味がない俺の耳にも届いていた。
そんな俺とは死ぬまで縁がないだろうなと思っていた人と初めて話した日に付き合ったのだ。どうやったって夢心地がしていた。
それに、条件付きの恋人関係でもあった。これは本当の恋ではなく、紛い物の恋として俺は認識していた。……そうでなければ、現実を受け止められず、手に余る雫川と付き合っている事実に押しつぶされていたかもしれない。不釣り合いにもほどがあるからな。
ただ、だからと言って、いくら好きという感情がよく分からないと言ったって、恋心のようなものは芽生え始めてしまう。
「ただ、あの夏祭りのときに好きという言葉を口にしたとき、ああ、自分は本当に好きなんだなと自覚した。……こんなに良い人いないだろうなって。」
しかし、俺が恋心を雫川に抱いても良いのだろうかと、月とスッポンどころか天の川と害虫くらいの差がある俺が本当の恋人になってもいいのだろうかという疑念がずっとまとわりついていた。彼女にはもっと良い人がいるだろうし、そいつはモデルみたいで焼けた肌がよく似合う洋楽好きな人なんだろう。
「だが、俺と雫川は不釣り合いだ。高値の花の君に本当は俺なんかが付き合っていいはずない。そう思ってしまう。」
「そんなことないよ。不釣り合いだなんて思ってないし、仮に他人がそんなこと言ってきたって、無視すればいい。……これは私と泰輔君の問題なんだよ。」
……確かにそうだ。他人の目なんて関係ない。俺の気持ちが一番重要だ。
……ただ、あと一つ俺には障害があってしまう。
「もう一つ、素直に俺の気持ちを打ち明けられない理由がある。これは本当に100%俺の問題なんだが、過去にトラウマがあってな。これが俺の好きという気持ちに蓋をしてしまっている。」
「……どんな感じの?」
雫川は真剣な眼差しで俺を促す。
俺は深く息を吸い込み、そして全ての負の感情を追い出すように空気を吐いた。
「俺に好きだと言ってくれた子がいてな。その子がバレンタインのときに連絡先入りのチョコをくれたんだ。家に帰って、そのことに気付いた俺はもちろん連絡をしようと思ったんだが、そのとき携帯を持ってなくてな。連絡が出来なかったんだ。だから、次の日の朝に言おうと思ったんだが……、俺の下駄箱にゴミを入れられていた。」
「え……。」
雫川が目を見開く。
まあ、衝撃ではあるよな。実際、俺もそうだったし。
「チョコをくれた女子の友達の仕業だった。俺が連絡をしなかったことにめちゃくちゃ怒ったらしくてな。」
「……それで、しっかり説明はしたの?」
雫川は眉根を寄せ、不安そうな表情で聞いてくる。
「いや、説明しようとしたんだが、聞く耳をもってくれなくてな。めちゃくちゃ罵倒されて、持ち物もなくなってたりして、さらに放課後、体育館裏に呼び出された。」
「……それで?」
雫川は少し泣きそうな表情を浮かべていた。
もう一度俺は深呼吸をする。思い出すのも少し辛い。話すことによってまざまざと思い出してしまう。ただ、話すのをやめたりはしない。
「待っていたのは10人くらいの女子だった。もう多勢に無勢で為す術がなくボコボコにされたよ。」
「……そう。」
雫川は少し瞳をうるうるさせながら同情の表情を浮かべていた。
あのとき人間の怖さを知った。それまで、ある程度良い中学生活を送れていただけに、ショックは相当あった。あの女子たちの目と暴言と暴力は今でもフラッシュバックすることがある。痛みも恐怖も俺の中に根を張ってしまった。
ただ、あれは業だったのかもしれない。調子に乗っていた自分への罰と。
「まあ、周りの女子たちだけならここまでなってなかったかもしれない。俺が恋愛不信になったのはその中にチョコを渡してくれた女子がいたからだろうな。」
「……。」
雫川の息を飲む声が聞こえた気がした。その女子が一番殴って蹴ってきた。……まあ、仕方がないのかもしれないが。
「だから、雫川も今は好きでいてくれているかもしれないが、そのうち何かちょっとした拍子に嫌われるんじゃないかと思ってな。……そう思ってしまうんだ。」
……あの女子のように。
別にこれも意識的に思っているわけではなく、無意識にそう思ってしまっていたのだろう。だから、好きという感情が表に出づらくなっているのだと思う。
……本当に全て自分の問題で、申し訳ない。
「……そんなことがあったんだね。ごめんね、辛かっただろうに、全部話させてしまって。」
雫川は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、別に大丈夫だ。もう2年も前のことだし。自分の中で折り合いはついてる。」
苦しくて辛い過去ではあるが、もう過去の物にはなっている。あのことがあってすぐは少し学校を休んだりしたが、もう何もない。あのときのやつらとは学校は別になってるしな。
「……でも」
「いや、何も問題ない。……俺にも悪い面はあっただろうし。」
「……そんなことないよ!泰輔君はどこまでも優しい人だから。」
言って、雫川は俺に抱きついてきた。とても温かく、寒い冬にそれは染み渡る。
そういえば、キスはしたことあったが、ハグはしたことなかったな。……つくづく不思議な関係だな。
「……ありがとう。」
「……泣いてる?」
「……え?」
自分の頬を触ると、冷たいものが流れていた。久しく流していなかった涙に、俺はとても驚いた。
「俺に涙を流すほどの感情がまだ残ってたんだな。」
「……何それ。自認ロボットなの?」
言って、雫川はクスクス笑う。
久しぶりに見る気がする彼女の笑顔に俺はホッとした気持ちになった。
「……あと、やっぱり残りのことを考えてしまう。」
「残り?」
言いながら雫川は身体から離れ、首を傾げた。
「付き合える期限のこと。」
「ああ、……え、でも、まだ1年以上あるよ?」
雫川は再び首を傾げる。
そうか、雫川的にはいつものことだからあまり深く考えていないんだ。
「一年しかない。それを考えると、自分の感情を全面に出して別れた時、俺死ぬんじゃないかって思うんだ。」
言うと、雫川は瞳を丸く大きくする。
……どういう感情なのだろう。
「どうしたんだ?」
「いや、泰輔君そんなに私のことを想ってくれてるんだ、と思って。」
雫川にそう言われた瞬間、全身の血流が活発になる。
確かに~、え?結構、恥ずかしいこと言った?俺?……今、死にたくなってきた。
「……その気持ち僕も分かるよ。」
「……え?」
誰?と思いながら後ろを振り向くと、知らない人がこちらに歩いてきていた。ブラウン色のコートと制服のズボンを着ており、顔立ちからも高校生のように見える。
……え?本当に誰?
「ごめん。急に割り込んで。全部聞かせてもらったよ。」
……え?全部聞いてたの?……恥ずかしさが限界突破しそう。
「ごめん。私が仲坂くんに頼んだんだ。」
……え?どういうこと?これは全て仕組まれてたってこと?
「……説明が欲しい。」
「僕から説明するよ。自己紹介がまだだったね。初めまして、僕は仲坂守斗。雫川さんの元カレだ。」
……何か、衝撃的な事実が聞こえてきた。
……え?雫川の元カレ?ちょっと待って。情報が追い付かない。雫川の元カレと雫川がこれを計画してたってこと?
「……とりあえず、初めまして、福鳥泰輔です。」
一旦、礼儀としてこのさわやかイケメンに挨拶をする。……でも、処理しきれないことが多すぎる。
「あはは。初めまして。まあ、驚くのも無理もないよ」
「仲坂君、早く説明して。」
へらへらとしている仲坂という男に雫川はピシャリと怒る。
「……ああ、ごめん。」
言われた仲坂は謝って肩をすくめる。……やっぱり雫川さん強いなあ。
「実は雫川さんから相談を受けてたんだ。君の気持ちが分からなくて不安だってね。」
仲坂は向き直り、真剣な表情で話し始める。……相談してたんだな。
「だから、今日という日を計画した。……君の本当の気持ちを聞き出すために。」
そうだったのか。それだけ思い悩んでいたんだな。
「クリスマスでしかもイルミネーション会場ならいつもより気持ちが高ぶって本音を言いやすいんじゃないかと思ってね。ここを選んだ。」
確かに、それは正しい推測だ。雫川からはテンションが上がっていないように見えると言われたが、実際のところはテンションは上がっていた。
「そして、心苦しいけど雫川さんには少し強めの言葉で切り出すのがいいんじゃない?って提案した。より本当の言葉を聞き出せるように。それに、ここは誰も来ない穴場スポットだからね、うってつけの場所だった。」
これが全てだよと仲坂は付け加える。
すべて合点がいった。あのとき、雫川は少し辛辣な言葉を口にした。もちろん、的を得ている言葉だったので、不満に思っているとか怒っているとかはない。……グサっと突き刺さりはしたが。
「もちろん、私がそれに賛成したから実行した形だよ。……ごめん。騙したような形になって。」
言って、雫川は再び頭を下げる。別に謝らないで欲しい。こうなったのは俺のせいだろうから。
「僕からも謝るよ、ごめん。……でも、悪く思わないで欲しい。君のせいでもあるんだから。」
思っていたことを仲坂に言われる。完全に図星で身体がドクッと脈を打った。
「ちょっと、仲坂君。その言い方は良くないよ。」
「……ああ、ごめん。」
仲坂は雫川に再び窘められる。……元恋人というのは本当のようだ。
「それで、別れなきゃいけない日のことを想像して怖いと思ってることだけどね。」
顔を上げた仲坂は鋭い目つきで俺を睨みつける。
そういえば、そのことがまだ解決していなかったな。
「気持ちはとても分かる。僕も付き合っているときそう思って、センチメンタルな感情になることもあった。どうせ、今笑い合ってても別れる日はくるんだって。」
まさしく、俺はその感情になっている。この気持ちをどう処理したら良いのか分からない。
「だが、そう思いながら雫川さんと接して、テンションが上がらないって……それ瑠璃に悪いなと思わないか?」
仲坂はより一層俺を睨みつける。恐らく昔呼んでいたであろう雫川への呼び方も咄嗟にでて、雫川はそれに対して「ちょっと」と仲坂を窘めていた。
俺は仲坂の言葉を聞いてハッとした。確かに、そうだ。俺は俺の気持ちしか考えていなかった。雫川の境遇によって俺がローテンションになってしまうなんて聞いたら、彼女はますます自分のことが嫌になってしまうに違いない。
そんな簡単なことにも俺は思い至らず、ただ自分だけの矮小で醜い世界でぐるぐる考えていた。
……なんて最低なのだろう。ますます自分のことが嫌いになる。彼女のことを蔑ろにしてしまっていた。底辺の人間だ。
「僕は彼女が20歳になるまで付き合えないけど、気持ちはずっと変わらない。ずっと笑顔でいて欲しい。」
仲坂は強い目で俺に訴えかける。
……それは俺も同じ気持ちだ。
「大丈夫なのなら僕が今でも彼女の彼氏になりたい。」
言葉には熱がこもっており、それが嘘でも冗談でもないことが嫌でも伝わってくる。……そう思う気持ちは分かる。彼女にはその魅力がある。
「でも、今は君がパートナーなんだ。どんな理由であれ、彼女を悲しませる行為は僕が許さない。」
俺のことを逃がさまいと仲坂は言葉で縛り付ける。
その言葉は俺には少し重くのしかかる。だが、それは俺が背負うべきもので、当たり前にやらなきゃいけないことだ。
なので、俺も覚悟を決める。
「分かった。善処する。」
「善処じゃなく、絶対って言って欲しいんだけどな。」
言って、仲坂は苦笑する。
確証のない未来の言葉を口にするのは憚られるからな。ただ、そうだな。今の言葉では少し物足りないか。自分の気持ち的にも。
「……俺に出来る100%の力で、彼女を楽しませるように努めることを約束するよ。」
「回りくどいな。……まあ、それを聞けただけ安心だ。」
仲坂は何言ってんだこいつ、みたいな表情を浮かべていたが、何とか納得してくれたようである。
「あ、それはそうとLINE交換してくれない?」
緊張が解け、空気が弛緩し仲坂が突拍子もなくそんなことを言ってきた。
「ああ、分かった。」
まあ、特に断る理由もなかったので、俺は了承する。色々と気になることもあるしな。
「……あ、このアニメ好きなの?」
QRコードで交換し、俺の背景画像を見た仲坂が指を差しながらそんなことを聞いてきた。
「ああ、俺の最推しのアニメだ。」
「ほんと!?僕も一番好きなんだ。初めて会ったよ、このアニメ最推しな人に。」
「……俺もだ。」
ちょっとテンションが上がってしまう。結構人気なはずなのに、あまりこのアニメについて語れる人がおらず、残念に思っていたところだ。
「あそこのシーンめちゃくちゃ良いよね。ちょっと仲違いして、そこから仲良くなるところ!」
「ああ、分かる。あそこ見たらここまで読んでてよかったって」
「……ちょっと、お二人さん?私を放っておいて何の話してるのかな?」
俺と仲坂がアニメについて盛り上がっていると、顔をピクピクさせながら雫川さんが割り込んできた。……あ、これは
「「……すみません。」」
俺と仲坂は同時に謝る。
これは即座に謝らないと大変なことになってしまうやつだと直感的に思った。恐らく仲坂もそう思ったのだろう。……流石、元カレだな。
「……私も話の中に入れて。」
「「もちろんです!」」
「あなたたち、実は気が合うんじゃない?」




