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千田さん家シリーズ

異世界に召喚されたけど、帰る条件が「焦げない鮭を焼くこと」だった

作者: たかつど
掲載日:2025/11/07

「異世界召喚の理由が『鮭が焦げたから』だった——」


 そんなバカな話、信じられるか?

 でも実際、俺はそういう理由で異世界に召喚されたのだ。

 いや、正確には——隣のおばさんの家の裏口から。



 その日、俺、鳥内瑠散(とりうちるちる)は、皿の上の黒焦げの鮭を前に崩れ落ちていた。


 煙。油。涙。

 コンロの上は戦場、いや、もはや焼け野原だった。


「……また焦げた。なんでだよ……!」


 換気扇は悲鳴をあげ、台所全体がサバイバル状態。

 天井には煙がもくもく、床には魚の皮がひらひら。


 二階から妹の声が降ってくる。


「お兄ちゃん、また焦がしてる〜! 消火器使う〜?」

「使うな! それは最終手段だ!」


 母は仕事で不在。妹は受験生。

 俺は一人、焦げた鮭の前で人生に迷っていた。


「火加減ってなんだよ……。人類、どうやってこれ克服したんだよ……」


 独学で料理を始めたばかりの俺には、焼き加減というものがまるでわからなかった。

 タイミングを間違えれば焦げ、早すぎれば生焼け。

 コンビニ弁当に戻る自分が悔しかった。


 ……そのときだった。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴った。


 玄関を開けると、そこには隣の千田(ちだ)さんが立っていた。

 ただの近所のおばさんのはずだった。

 だが今日の彼女は、明らかに違った。

 金色のローブ。

 先端が光る杖。

 とどめに三角帽子。

 どう見ても魔法使いである。


「あなた、鮭がうまく焼けないんですってね?」


 開口一番、それである。


「……え?」


 なぜ知ってる。いや、煙の量で察したのか。


「うちの換気扇、煙に反応するのよ」


 千田さんはにっこり笑った。


「かわいそうに。そんなあなたに——鮭焼き修行のために異世界を紹介してあげるわ」


「……異世界?」

「そうよ。大丈夫、歩いて五分で帰れるからよ」


 軽い。あまりにも軽い。


 通常であれば、これは不審者の妄言で済まされるはずだ。

 しかし瑠散は知っていた。

 この町で、千田(ちだ)さんの()ほど不可解な存在はない。

 夜中に屋根から光が漏れたことがあるし、庭には常識では育たないはずの植物が生えている。

 母も「あの家は何かただごとではない」と言っていた。


 でもその時の俺は、焦げた鮭と共に人生の底にいた。

 もはや何でもいい。

 もし本当に鮭が焦げない世界があるなら、行ってみたい。


「行きます」

「まあ、素直ね。じゃあスリッパのままでどうぞ」


 こうして俺は、スリッパのまま異世界へ旅立った。


 千田(ちだ)さんの()の裏庭は、予想以上に広かった。

 高い塀に囲まれた敷地の奥には、見たこともない形の植物が密生していた。

 紫紺色の花をつけた背の高い木、光るコケのようなもの、そして空中に浮かぶ水の玉。


 現実の規則が緩んでいるような場所だった。


「ここから先は、私の異世界、千田界(ちだかい)への入口よ」


 千田さんが指したのは、重厚な木製の扉だ。表面には見たこともない文字が刻まれている。


 千田さんが杖で扉をタッチすると、それは静かに開いた。

 眩しい光が漏れ、空気が変わる。

 その中に足を踏み入れると、俺は息を呑んだ。


 そこは——魔法の広間だった。


 天井は異様に高く、宙に浮かぶシャンデリアから淡い光が落ちている。

 ソファは浮遊し、テーブルも時折位置を変える。

 壁に掛けられた絵画からは、貴族らしき人物が手を振っており、植木鉢は「ようこそいらっしゃいました」と丁寧にお辞儀をしてくる。


「ようこそ、千田界(ちだかい)へ」


 千田さんが笑った。


「ここは、他人から見たらしょーもない事だけど、それでもソレを極めたい者が導かれる異世界よ」

「……そんな世界、いる?」

「いるのよ。主婦の執念を甘く見ないことね」


 恐ろしい説得力だった。


「地下には炎の塔があるダンジョンもあるわ」

「おや、新入りかね」


 声がした。

 どこからかと思えば、空中を漂う——トースターが喋っていた。


「ぼ、僕の名前はトトス。浮遊トースター兼、焼き加減アドバイザーだ」


「トースターがしゃべってる!?」

「珍しくもなんともない。で、君の焼き鮭、ひどい出来だったね」

「見たの!?」

「焦げすぎ。火加減ゼロ点。心が荒んでいる証拠だ」

「うるさい!」

「火を制する者は人生を制す。覚えておけ」


 なにそのポエム。


「トトスはちょっと神経質なのよ」


 千田さんが紅茶を飲みながら言う。


「神経質? 僕は真面目なんだ!最近の召喚者は心が焦げてるんだよ!」


 トトスはカタカタ震えながら火花を散らした。


「焼き加減は、心のバランス! 怒れば焦げ、怯えれば生焼け! 理解できるか!」

「わかるかそんなもん!」

「だから僕の情緒が不安定になるんだああああ!!」

「落ち着けぇぇ!」


 広間に響く叫び。

 その横で、千田さんだけが笑っていた。


「ふふ、仲良くなれそうね」

「どこが!?」

「大丈夫よ。今日からあなたは焼き鮭修行に入門です」

「修行て!」

「うまく焼けたら帰れるわ。でも焦げたらまた召喚される呪い付き」

「呪い!?」


 笑顔で言うなぁぁ!


 それから三日。

 俺は千田さん家で、トトスにしごかれていた。

 初めて、瑠散は真剣に焼き鮭と向き合った。

 トトスの指導は厳しかった。

 火加減について、タイミングについて、焼き面の観察について。

 全てが論理的で、全てが必然だった。


「もっと心を込めろ!焼くとは魂の詩だ!」

「詩で魚は焼けねぇぇぇ!」

「感情を制御できない者に、焼き加減は見えない!!」

「真面目に聞いて損をした、理屈が飛んでんだよ!!」


 修行というより暴走トースターとの口論だ。

 瑠散はこの時点で、全ての常識を手放していた。

 火の精霊たちは俺の周りをくるくる回りながら囁く。


『焦がせ焦がせ……火を恐れるな……』


「呪文唱えるなあああ!」


 それでも、少しずつコツがわかってきた。

 火を見て、音を聞いて、匂いで判断する。


 初めて成功した時、トトスが涙(の代わりにスパーク)を流した。


「やればできるじゃないか、瑠散!君の火が優しくなった!」

「火が優しいってなんだよ……」

「それが料理だぁぁぁ!」


 うるさいけど、ちょっと嬉しかった。

 休憩中、俺は聞いた。


「トトス、お前、なんでトースターなの?」

「……もとは、火の守護者の弟子だった」


 トトスの声が少し低くなった。


「偉大な炎の守護者のもとで究極の焼き加減を学んでいたんだ。

 でも、ある日、焦がしたパンを出してしまってね……守護者の怒りでトースターにされた」

「守護者、厳しすぎない?」

「……僕にとって、焦げは罪なんだ」


 そう言ってトトスは、静かに火を灯した。

 なんかちょっと泣ける。


「さあ、今日こそ完璧に焼き上げなさい!」

 トトスが叫ぶ。


 目の前には鮭の切り身。

 火がゆらめく。心を整える。焦るな、焦るな。


 ジュッ……!


 香ばしい匂いが広がる。皮がパリッと音を立てた。


「……できた」


 トトスが息を呑む(トースターなのに)。


「見事だ……外は香ばしく、中はふっくら……! これぞ究極の焼き鮭!」


 千田さんが拍手した。


「おめでとう、瑠散くん。これであなたは『お魚クラス』に昇格よ!」


「称号いらねぇ!!」


「じゃあ帰りましょう。歩いて五分で帰れるから」


「軽いなぁぁ!!」


 ──こうして俺は、焦げない鮭を焼き上げ、

 『お魚クラス』として現代世界に帰還した。


 ……のだが。


 翌朝。


 家で焼いた鮭は、ほんの少しだけ焦げていた。

 そして、玄関のチャイムが鳴る。


 ピンポーン。


 ドアを開けると、金色のローブの千田さんが立っていた。


「おはよう、二回戦、行きましょうか?」


 俺は、絶望の表情でスリッパを履いた。


「……行きます」


 こうして、俺の終わらない焼き鮭修行が、再び幕を開けた。


連載版もあります。

よかったら読んでね。

https://ncode.syosetu.com/n0668lg/

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