第6話 諦め
鼻つまみ者同然の俺に話しかける物好きなど滅多にいないし、俺も業務連絡以外でクラスメイトと会話することはほとんどない。だがしかし、この枡田という人間だけは俺を視界の内側に入れているのだ。
「ねえ、どうして?」
枡田はじっとこちらを見つめたまま、動こうとしない。正直に言ってしまえば、鬱陶しい。紫苑と付き合っていた頃から何かと口を出されることが多くて、俺にとっては面倒な存在だった。
「別に、アイツが勝手に俺の家まで来ただけだ」
「嘘。正直に答えて」
「はあ? お前さあ、何だと思ってるわけ?」
「私は陽菜ちゃんが心配なだけ。あなたみたいな人と関わりを持つなんて普通じゃないもの」
「そうかよ、勝手にしろ」
妙に鼻につく態度で、いらいらする。そもそも俺が陽菜と会ったのは二回目だ。アイツについて深く知っているわけじゃない。
「聞いたわよ。手を繋いで登校していたんですって?」
「……」
「何か言いなさいよ。あなた、陽菜ちゃんに何をしたの?」
咎めるような口調に、閉口してしまう。たしかに、付き合ってもないのに手繋ぎで登校したのは非常識だったかもしれない。だけど、あれは陽菜が俺を思って差し出してくれた手だ。コイツに悪く言われるのは気分が良くない。
「何が悪いんだ?」
「えっ?」
「何が悪いんだよ、手を繋いだっていいじゃねえか。仲良しで結構なことだろ?」
「呆れた、開き直るとは思わなかったわ。まったく、陽菜ちゃんったら何を考えて――」
「紫苑の妹が自分を安売りするわけねえだろうが!!」
……気づいた時には、大声で枡田のことを怒鳴りつけていた。一瞬だけクラスが静まり返り、俺たちに注目が集まったあと――何事もなかったかのように雑談が再開する。
「……そう。あなた、本当に変わらないのね」
枡田はため息をついて、額に手を当てていた。コイツは心の底から潔癖なタイプで、きっと「乱れた」関係など許さないのだろう。
二年前の話だが、俺が紫苑と一緒にいるだけで文句を言ってきたこともある。紫苑は笑って宥めていたけど、俺は心底嫌だった。
女子にとって「親友の彼氏」という存在がどんなものなのかは知らない。当時の枡田の言動は単なるやきもちなのか、それとも「悪い虫」に対する拒絶反応なのか。いずれにせよ、俺と枡田は互いに相容れない存在なのだ。
「だいたい、枡田には関係ないだろ? アイツは紫苑じゃない、紫苑の妹だ」
「そうもいかないわ。あの子、私の後輩だもの」
「後輩?」
「うちの部に入ってくれたのよ。後輩を守るのも私の務めだわ」
「ふん、お節介は早く直した方がいいぞ」
「いいえ、後輩の目を覚ましてあげるだけよ」
枡田は捨て台詞を残して、またさっきの集団の方へと歩き始める。不快感を覚えながら、授業の準備をしようと下を向くと――再び、枡田が口を開いた。
「一つ、あなたに言いたいことがあるわ」
俺は思わず顔を上げる。なんだ、まだ何かあるのか? 先輩だからって、陽菜に何か言うような筋合いはないと思うが。
「だからお前はアイツと――」
「陽菜ちゃんだけじゃない。あなた自身にも関わることよ」
枡田は向こうを見たまま、こちらに顔を向けることすらしない。再び心にいらいらが募る。なんだ、もどかしい。早く言えよ――
「紫苑のことは諦めなさい。もう二度と、あの子は帰って来ないわ」
――脳内の回路が切れた気がした。枡田、お前に何が分かるんだよ!? 頭に血が登り、乱暴に席から立ち上がる。
「てめえっ!!」
「私を殴っても紫苑は生き返らないわ。それに――」
走り出そうとしたところで、始業のチャイムが鳴り響いた。それを聞き、皆が自分の席に戻ろうとする。一気に教室中が騒がしくなる中、枡田は一言だけ呟く。
「あなたはもう、紫苑を救う必要はないの」
振りかざした拳を収め、静かに立ち尽くす。諦めた方がいい。そんなこと言われなくても分かっている。けど――
俺は、紫苑を好きでいるのをやめられない。