3.悪役令嬢vsヒロイン
場面が変わって、オフィーリアは学園の廊下の窓際に立って、庭園の芝生に座るヒロインを睨んでいた。
オフィーリアの頭に、ここまでの日々が頭に流れ込んでくる。
あのお茶会から二年が経っていた。
最初のお茶会の出だしはやっぱり微妙だったようで、そこからオフィーリアの悪女ぶりがイマイチ発揮できていなかったようだ。
レオリックの顔に慣れることが出来ず、度々開かれるお茶会も、オフィーリアは恥ずかしくてつい視線を逸らしてしまっていた。
レオリックのイケメン度合いが罪深い。
それでも本来のオフィーリアらしく、貴族が集まる学園では、レオリックの色を全身にまとわせていて、彼は自分の物だと主張していた。
鏡など見なくても目を落とせば見える、指輪もブレスレットも、胸元につけたブローチまでも、レオリックの瞳の色のサファイアだった。
きっと身につけているネックレスもピアスも、揃ってサファイアだろう。
今日の朝の身支度時に、『今日もいつものにするわ』と侍女に指示を出している記憶までが蘇ってくる。
どの装飾品も品のある繊細な造りで、全てレオリックから贈られた物だった。派手好きなオフィーリアのために、婚約者の義務として贈ってもらった物ばかりだ。
そんな全身レオリックカラーで周りを牽制するオフィーリアを恐れて、学園でもレオリックに近づく者はいないようだった。
――ただ一人、ヒロインのアイリスを除いては。
ミミリー男爵家のアイリス。
唯一彼女だけがレオリックに近づく。
身分が低いので教養がないのか、たかだか男爵家のくせに侯爵家のレオリックに馴れ馴れしいのだ。
男爵家クラスでは作法を教える者がいないのか、身分が低くても貴族だというのに芝生の上にペタンと座っている。
あんな女は地を這って生きていけばいい。
貴族として最低ランクの男爵家という身分の上に貧しいのか、窓の下に見えるアイリスの手作り弁当は質素なものだ。
あんなのは家畜の餌にもならないだろう。
「――あ」
自分の思考が悪役っぽくて、オフィーリアは嬉しくなって声が出た。
どうやら一瞬で過ぎた二年という月日の中で、悪女らしさはしっかりと育っているらしい。
『良かった』と安心する。
オフィーリアは早くこの任務を無事に終えて、現実世界に戻って、とりあえず来月の家賃を振り込まないといけないのだ。
ピロン♪と柔らかな電子音が鳴る。
音と共に、目の前に私しか見えない台本が現れた。
――前と同じだ。
“オフィーリアは憎々しげに、窓の下に見えるアイリスを睨んでいた。
どれだけ「レオリック様は私の婚約者なのよ。あなたなんかが気軽に声をかけていい相手じゃないの」と注意しても、変わることがないアイリスにオフィーリアは苛立っていた。
ふと横を見ると、床掃除に使ったバケツが置いてある。
オフィーリアはニヤリと笑ってバケツを掴み、窓の下で一人芝生に座って弁当を広げるアイリスに、バケツの水をぶちまけた”
『筋は掴めたわ。今度こそ頑張らなくちゃ』
台本を読んで気合を入れたオフィーリアは、足元近くに汚れた水が入ったバケツが目に入った。
『これね。これをヒロインにぶっ掛けたらいいのね』と、ニヤリと笑ってみせる。
バケツを掲げて、窓の下にいるアイリスに汚水をぶちまけてやろうとした時―――良心がチクリと痛む。
ヒロインのアイリスは今、お弁当を食べているところだ。まだ半分も食べていないし、ここで水をぶちまけたら、あのお弁当は食べられなくなってしまう。
お金を必死に稼がねばならない現実の私だったら、お弁当の半分以上を失うなんて、ギャン泣きレベルのダメージだ。
『もう少し。せめてほとんど食べ終えてからにしてやろうかしら』と、タイミングを測ることにした。
待っている間、手に持つバケツの水が臭かった。
『こんな水を頭からかけられたらどうなるだろう』とオフィーリアは考える。
もし、水が目に入ったら?
もし、水が口に入ったら?
『感染症になるかもしれない』と、急に不安になって青ざめた。
オフィーリアはバケツの水を捨てに行き、水道水でバケツをキレイに洗い、キレイな水をバケツに少しだけ入れて、また元の場所に戻る。
窓からピュウと入ってくる風が、少し冷たかった。
バケツの水に指を入れてみると、思った以上に冷たい。
もしこんな冷たい水を、こんな冷たい風が吹く日にかぶったら、どれだけ凍えるだろうか。
『少しお湯を足そうかしら』と思いつき、食堂まで走ってお湯をカップにもらってくる。
バケツの水に足してみたが、指を入れるとまだ少し冷たい。
熱湯をかぶるのは危険だが、『せめてお風呂のお湯くらいにするべきね』と、オフィーリアはもう一度食堂へ駆けていく。
少し大きなカップに変えてお湯をもらい、バケツに足すと、ちょうどいい温度になった。
嬉しくて笑顔になり、『さあやってやるわよ!』と窓の下を見ると、すでにアイリスはいなかった。
オフィーリアはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、ふと自分に向けられる視線を感じた。そっと振り返ると、レオリックがオフィーリアを見つめていた。
そこにピロン♪と柔らかな電子音が鳴る。
音と共に、また目の前に私しか見えない台本が現れる。
“レオリックが冷たい目でオフィーリアを見つめていた。
「何をしているんだ」
――かけられる声が冷たかった。
「あら。ご覧になっていたのでしょう?自分の立場もわきまえず、レオリック様に馴れ馴れしいアイリスさんに、水をかけて目を覚させてあげようと思いまして」
オフィーリアは余裕の表情で笑みを浮かべると、レオリックが窓に歩み寄り、下でずぶ濡れになっているアイリスを見つけて目を見開いた。
「彼女とは生徒会仲間だ。何度も言っているだろう?――あのままでは風邪をひく」
そう言い放つとオフィーリアに背を向けて、レオリックはアイリスの元へと駆けていった”
「何をしているんだ」
レオリックに呆れたように声をかけられて、オフィーリアはハッと台本から目を離した。
『今度こそ絶対に失敗をしないわ』と自分に喝を入れ、オフィーリアは余裕の表情を浮かべて口を開く。
「あら。ご覧になっていたのでしょう?自分の立場もわきまえず、レオリック様に馴れ馴れしいアイリスさんに、水をかけて目を覚させてあげようと思いまして」
――『言えた!!』
ストーリー通りにヒロインに水をかける事は出来なかったが、小説は見逃してくれたようだ。上手く話の筋を戻す事が出来た。
オフィーリアは嬉しくて満面の笑みになる。
思わずガッツポーズをしてしまうと、手に持つバケツが揺れてバッシャンと自分に降りかかった。
汚い水でも冷たい水でもなく、ゆるま湯だったが、ピュウと吹く冷たい風に、オフィーリアは身を震わせた。
「……外には誰もいないじゃないか。それに彼女とは生徒会仲間だよ。ヤキモチを焼いてくれるのは嬉しいが、このままでは風邪をひく。保健室に急ごう」
レオリックが制服の上着を脱いでオフィーリアにかけ、サッと抱き上げると保健室に駆け出した。
レオリックの腕の中で、オフィーリアはドキドキしていた。
恥ずかしくてドキドキもするけど、『これ、ちゃんと流れに乗ってるよね?大丈夫よね?』という恐怖のドキドキもある。
ドキドキドキドキしていると、周りの景色がフェードアウトしていった。
どうやらギリギリセーフで、ストーリーは進んでくれるらしい。