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06.四年目3

「ほ、本当に好きなんですね」


 少なくとも彼女は儲かりそうな商材に群がってきたハエのような存在ではないらしい。僕のポエムに心の底から惹かれ、しっかりと触れ、理解し、熱意を持ってここに来たのだ。


「そう言ってるじゃないですか! あれ? そこを疑われていたんでしょうか? 私は初期のがむしゃらな作品も好きですし、三年目以降の小慣れてきた感じも好きですよ!」

「……!」


 橘さんとやら、いや、橘さんは、信頼に足る人物だ。自信ありげに胸を張る彼女を見て、僕はそう思ってしまった。


「あ、でも、確かに私が好きってだけでは本を作る理由にはならないというのは……本当に仰る通りでして……。えっと、わ、私なりに本にこだわっている理由をまとめてみるので聞いていただけますでしょうか?」

「……聞くよ」


 僕が素直に応じて目を見据えると、彼女は訥々と言葉を紡ぎ始めた。


「私が先生のポエムが好きな理由は、表現の独特さとか、先生が込められた想いの強さを感じられるところとか、色々あるんですけど……。何よりポエムを通して見えてくる先生と”君”さんの物語に心惹かれたと言いますか……」

「……」


 書くに至った事情が事情だ。それがあるからこそ僕のポエムはここまで世間に受け入れられていると言っていい。


「お二人の物語に介入したくはないですし、する気もないんですが……。おこがましくも一つだけ欲を言わせて頂けるなら、その、私は先生の手元にも何か残ったらいいなと思うんです」

「僕の?」

「ええ。”君”さんの元には先生の手書きのポエムがありますけど、先生は送りっぱなしなわけでして」

「一応コピーは取ってるけど」

「それじゃ味気ないじゃないですか! なんというか、こう、先生の偉業に相応しい立派なものをですね!」


 偉業なんて言われると気恥ずかしくなってくる。僕はただ”君”への愛をポエムにする生活を千五百日近く続けているだけだ。 ……いや、確かに結構頑張ってはいるな。


「先生が積み重ねてきた毎日は確かにそこにあったのだと、後になって触って確かめられるような、……そんな何かが先生の手元に残ってほしいと思ったんです。つ、伝わりますかね?」


 辿々しい彼女の言葉は不思議と僕の芯に染みた。


「だから綺麗な紙にきちんと印刷して、積み重ねて、装丁を整えて……。困ったことにそのような構造を持つものを『本』と呼ぶんですよ」

「……ハハ」

「ど、どうして笑うんですか」

「いや、なんでもないよ」


 橘さんは上体を寄せ、訝しむように僕の顔を覗き込んだ。わざわざ説明するようなことでもないので瞑目してやり過ごすと、彼女は追求を諦めた。


「……せっかく出版社におりますので、いっちょ会社の力とお金を使って叶えてしまおうと思ったわけです! もちろん先生と、……何より”君”さんに許して頂けるならですが」

「……僕が説明すれば判ってくれる人だよ」

「じゃあ先生を説き伏せればいいわけですね」


 いつの間にか立場が逆転していた。しめしめとほくそ笑む彼女のおでこは、よく見ると少し赤らんでいた。


「……正直悪くはないと思ったよ」

「本当ですか⁉︎」


 椅子を吹っ飛ばす勢いで立ち上がった橘さんをどうどうと身振りでなだめる。彼女は頬まで赤くして、スカートの裾を手でなぞって淑やかに着席した。


「いくつか条件があるんだ」

「何でもござれです!」

「僕は本のためにポエムを書く気はない。あくまであの子のためだけに書きたい」


 僕はただ”君”に届けるためだけに執筆を続ける。本を作るための作業だとは認識しないし、それを求められても応えない。ここまで熱心な橘さんには少し悪い気がするが、本は僕にとっておまけであり、副産物でしかない。


「承知しました! 書籍化に向けてこちらから内容の修正は求めるようなことはしませんし、本のために新規書き下ろしなんてこともお願いしません。先生にやっていただく作業も最小限になるよう調整します」


 ここで判断せず一度会社に持ち帰った方がいいのではないだろうかと、少し心配になる。しかしまあ、信じてみよう。


「もう一つ、……僕はあのポエムをお金にすることに抵抗がある。正直言って作るならタダで配ってほしい」

「そ、それは……」

「判ってるよ。会社の力とお金を使うってことは売り上げにして返さないといけないよな」


 まるで真面目なサラリーマンみたいなことを言ってしまった。


「だから、妥協案だ。売り上げの一部をある孤児院に寄付してほしい」

「孤児院……ですか?」

「僕とあの子が出会った場所なんだ。先生たちは隠そうとしてたけど、お金に困ってるのは子どもにも丸わかりだった。何とかできればなっていうのは僕とあの子の共通の願いだ」

「なるほど……」


 橘さんは視線を斜め上に向け、指をクルクルと回した。何か計算しているようだ。


「話題性を考えると売り上げ的には期待できますので、弊社の取り分から捻出できるのではとぼんやり思うのですが……」

「難しそうなら僕の印税から出すよ」

「いえ! そうならないよう尽力します!」


 橘さんは自信満々に請け負った。もし「ネッシーと雪男の合挽き肉が食べたい」なんてお願いしても受け入れてくれそうな勢いだ。


「他にはありますか?」

「……いや、これくらいだな。あとは僕の方でやることだけだ」

「先生の?」

「半端はしない。会社を辞めてくる」

「えぇ⁉︎」


 やるからには不退転の覚悟で取り組もう。文字通り命をかける。それがせめてもの礼儀だ。とはいえ僕の家は持ち家だし、庭には雑草が生えていて手前の道路にはドブも流れている。つまり住処・食料・飲料には困らない。切手・便箋・封筒というもっと重要なアイテムだけ買える分のお金があればいい。


「せ、先生はやっぱり先生なんですね」


 橘さんはうわごとのようにそう漏らした後、


「初版分の印税だけでも前払いで早急にお支払いしますね!」


 一転キリッとしてまた難しそうな判断を勝手にした。


「ではこちらで一旦詳細を詰めてまたご連絡しますね! 一両日中に!」

「あ、待ってくれ。最終判断はあの子に報告してからがいい」

「……承知しました! いいお返事を待ってます!」


 僕が立ち上がって伝票を探す素振りを見せると、橘さんは飢えた猛禽類が獲物にかぶりつくような勢いで伝票を引っ掴んでお尻の下に敷いた。幾多の苦言が喉から出かかったが、作家になるのだから編集の厚意に甘えることに慣れておこうと自分を納得させた。



 ──その十分後、僕は上司のカツラを剥がした。


 禿げ……か。いつか自分も通るかもしれない道だ。本人の責任はない。同情すら覚えるよ。だが、あいつは単に頭が禿げているだけではない。魂が禿げているのだ。

 かくして僕は、ただポエムのみに生涯をかける人間となった。


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主人公はこの時点ではどういう意識なんだ、、?
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