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苦手な方はご注意ください。

か弱い男爵令嬢をいじめたと言われて婚約破棄された→その令嬢、変装したわたくしなのだけれどどうやっていじめるの?

作者: 土広 真丘

ご覧いただきありがとうございます。

n番煎じネタです。

 

「レイナルド殿下、失礼ながら何と仰いましたでしょうか」


 一国の王子に向かって聞き返すことは非礼。それを承知しながらも、わたくしは静かに問いかけた。あまりにも信じ難い単語を耳にした気がしたから。

 このプラーツ王国でも指折りの由緒を誇る王立貴族学院。その卒業パーティーにて聞くべきではないはずの単語を。


「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう。マチルダ・ハーレイ公爵令嬢――私はお前との婚約を破棄する」


 ふんと鼻を鳴らして告げる金髪に紫の目の青年は、わたくしの婚約者である第一王子レイナルド・プラーツだ。

 大きな広間の天井から吊るされたシャンデリアがキラキラと輝き、彼の髪にまばゆく反射している。一人前の貴族としてデビューする卒業生たちの門出を祝う輝きは、今この場においては、この馬鹿げた喜劇を照らし出す舞台装置のように思えた。


「破棄と仰せられましても、殿下と私の婚約は国王陛下による勅命なのです。陛下の許可はお取りになっておられますの?」


 王家や貴族の婚姻は家と家の契約。当事者の意思のみで白紙にできるものではない。そのようなこと、王子であれば百も承知のはずなのだけれど。


 ……いや、レイナルド殿下なら分からない。何しろ、王妃殿下から生まれた長男ゆえに跡継ぎの第一候補となっているものの、大の勉強嫌い、努力嫌いな上に放蕩好きの贅沢三昧。身分を振りかざした軽率な振る舞いで、お相手や王家、周囲の人々に迷惑をかけたことは数知れず。

 学院の教師の他に専属の指南役まで付けて矯正しようとしたものの、その指導からも逃げ出す始末。もはや打つ手無しと、国王陛下も頭を抱えている。


「許可はまだだが、父上とてきちんと話せば分かって下さる! 事後承諾でも問題あるまい」


 問題大ありである。そもそもこの婚約は陛下が望まれたもの。レイナルド殿下の余りの浅慮さに困り果て、宰相家でもある我がハーレイ公爵家との縁組みに踏み切ったのだ。王妃がわたくしであり、生まれる王子女がハーレイ公爵家の外孫であれば、見限られないという打算があったのだろう。


 何しろ、我が家は()()な家だ。表に出ている面を見ても、当主であるわたくしのお父様は現役宰相、お兄様は次期宰相の筆頭候補。祖父や曽祖父、それ以前の先祖も皆宰相職に就いている。次々に湧いて出る政敵を返り討ちにし、派閥争いをくぐり抜けて来た我が家の権威は、もはや王家ですら気を遣わなくてはならないレベルになっている。


「はっ、常に取り澄ました顔を崩さないお前のことは最初から好ましくなかった。人形のような笑顔を見るたびに不愉快さが込み上げて来たものだ!」


 見下すような眼差しで吐き捨てられたわたくしは、自身の姿を脳裏に思い浮かべる。腰まで伸びるストレートの長髪は、花嫁衣装をまとっているようだと称されるほどの純白だ。それに、氷を閉じ込めたかのようなアイスブルーの瞳。端整ではあるけれど、冷たい印象を受ける。それがわたくしの容姿。


「左様ですか。けれど、まさか顔が好みではなかったからというのが婚約破棄の理由ではございませんでしょう?」

「当然だろう。この場にいる者たちも聞くが良い! このマチルダは自身の身分を盾に、己よりも立場弱き者である男爵令嬢を虐げていたのだ! 下の者への慈しみを持たぬ愚かな女など、いずれ王太子となる私に相応しいはずがない。ああ、何と憐れなミーア嬢!」


 ……は、はぁ……?


 思いがけない言葉の連発に、わたくしはその場で固まってしまった。王子の身分にあるレイナルド殿下に強硬手段は取れず、おろおろとしていた教師たちも一斉に止まっている。祝賀に満ちているべき場所で起こった騒動を遠巻きに見ていた生徒たちもざわついた。


「お待ち下さい。殿下、ミーアと仰いまして?」

「ああ。ミーア・コレット男爵令嬢のことだ。か弱く優しい彼女は、貴様に口汚く罵られ、階段から突き飛ばされ、教科書やノートを破かれ、噴水に落とされ、心を病んだ末に登校をやめてしまったと聞く!」

「いいえ、全て濡れ衣です」


 わたくしは即答できっぱりはっきり否定した。


「そのようなこと、わたくしにできるはずがございません」


 そもそも、私とミーアに()()()()接点はない。公爵令嬢である私と男爵令嬢であるミーアは、使える教室も礼拝堂や食堂などでの席も別である。学ばなければならないマナーや教養が異なるため、クラスとて違う。それ以前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「恐れながら申し上げます。わたくしとコレット男爵令嬢は面識が……」

「言い訳は無用だ。我が愛しのミーアに対する仕打ちの数々、許し難い!」

「いえ、お待ち下さいませ……」

「先ほど、私の名で国の審問機関に訴えを提出した。これからの取り調べで真実が明らかになるだろう」

「殿下、話をお聞き……」

「私はミーア嬢と婚約する。あの太陽のようなハニーブロンドに愛らしい桃色の瞳。彼女こそが私の運命の相手なのだ」

「殿下!」

「マチルダ嬢、貴様もハーレイ公爵家も終わりだと思え!」


 人が話そうとしてるのにことごとく遮るなよ!


 広げた扇の陰で、わたくしが口元をひくつかせた時。

 すっかり饒舌になった殿下は、両腕を広げてとんでもない宣言をした。


「聞け、皆の者! 私、レイナルド・プラーツは、我が身に流れる血潮と胸の鼓動、そしてこの魂に賭けて、ミーア・コレット男爵令嬢を生涯唯一の妻とすることをここに誓う!」


 ああ、終わったわこの王子……。


 信じられない展開に、扇を持つ手がパタリと落ちる。そっと視線をずらして周囲を確認すると、今の宣言の意味を理解しているであろう幾人かの人々が瞠目し、礼服を着込んだ者が素早く筆記具を紙に走らせていた。


「私はこれからミーア嬢の居場所を調べ、迎えに行く!」


 殿下が悦に浸った表情で言い放った時、数名の騎士が足音高くパーティー会場に駆け込んで来た。王家直属の証である腕章を付けた近衛騎士だ。


「おお、お前たち来てくれたのか! すぐにこのハーレイ公爵令嬢を連行――」

「第一王子殿下、陛下より謹慎の王命が出ております。追って正式な沙汰が下されますので、直ちに自室にてお慎み下さいませ」


 団長の証である赤い腕章を纏う男性が無表情に言い、配下の近衛たちが素早く殿下の両脇を掴んだ。


「は? おい、拘束するのはこの女だ! 無礼者め、今すぐこの手を離せ!」

「王子であらせられる殿下よりも、国王陛下のご命令が最優先にございます。――早くお連れしろ」

「は、離せ、何をする!」


 喚く殿下はあっさりと外に連れ出されて行った。残った団長は、優雅な所作でわたくしの前に跪く。


「マチルダ・ハーレイ公爵令嬢。到着が遅くなり申し訳ございません」

「いいえ、来て下さってありがとう」


 国王陛下が動かれたということは、レイナルド殿下が審問機関に提出した訴状のことを知ったのだろうか。あるいは、パーティーで何かやらかすことに備えて監視を付けていたか。


「恐れながら、陛下がお呼びでございます。王宮までお越し願えますでしょうか」

「分かりました」


 頷き、ちらと周囲の人だかりを見る。おかしな噂が立たぬよう釘を刺しておくべきかと思ったけれど――近衛の態度を見れば、わたくしと殿下のどちらかに非があるかは一目瞭然。

 人垣の中に、()()()()()()()を伝えてある校長の姿を見付けたので視線で問うと、小さな頷きが返って来た。皆には上手く説明しておく、事後処理は任せておけということだ。ならばこのまま去っても問題はないだろう。


「陛下の命に従いますわ」


 冬の女王の笑みと呼ばれる微笑を貼り付け、わたくしはふわりとドレスを翻す。自然な動作で後に続く団長を従え、優雅な足取りで会場を出た。



 ◆◆◆



「マチルダ嬢。この度は愚息が誠に申し訳ないことをした」


 そう言って頭を下げるのは、国王ジュード・プラーツ。隣に座す王妃殿下も、遺憾の極みといった表情を浮かべている。


「マチルダさん、本当に申し訳なかったわね」

「陛下方に謝罪をいただくなど、わたくしにはもったいないことでございます」


 お二人と対面する形でソファーに座るわたくしは、緩く(かぶり)を振った。その後ろに立つ宰相……つまりわたくしのお父様が、凍えるようなアイスブルーの目で国王陛下を睨んでいる気配がする。


「あの子の噂は私たちも聞き及んでいたのよ。婚約者に対して不実な態度を取り続け、贈り物はもちろん挨拶すらもろくにしないと」


 事態を打開しようと、王妃殿下がレイナルド殿下とわたくしのお茶会をセッティングしてくれたこともあった。けれど、殿下はずっと仏頂面で目も合わさず、わたくしが幾度か話しかけても一言の返事もなかった。投げかけられるのは心を切り裂くような罵声のみ。国王陛下からも直々に注意されたようだけれど、彼の態度は一向に改善しなかった。

 お父様が冷たい眼差しで口を開いた。


「僭越ながら申し上げます。これまでの第一王子殿下のお振る舞いにより、我が娘がどれだけ傷付いていたことか」


 ()()()()により特殊な教育を受け、その容姿と常に浮かべる微笑により冬空の姫などとも呼ばれているわたくしだけれど、所詮(しょせん)中身は18歳の小娘だ。痛みや悲しさは人並みに感じるし、傷付きもする。時には涙を流すことだってある。それでも、わたくしはお父様をやんわりと制止した。


「お父様、まずは状況の確認が先ですわ。レイナルド殿下は、わたくしがミーア・コレット男爵令嬢に不適切な言動をしたと仰せですの。けれど、そのようなことは不可能でございます」


 何故ならば。


「ご存知の通り、わたくしがそのミーア嬢なのですから」


 我がハーレイ公爵家は宰相の家系であると同時に、諜報や工作などで王家を支える特殊な一族、〝影〟の総領でもある。


 数百年前、王国で大規模な内乱が起こり、混迷状態となっていた中で活躍したのが我が家の先祖だ。歴代最高の手腕と頭脳を持つ〝影〟であった先祖は、根元から揺らぎかけている国を早急に立て直すため、当時の国王とも相談して宰相位に就いた。表向きの地位としての爵位は元々賜っていたことから、要職に就くことが可能だったという。もっぱら水面下で動くはずの〝影〟がなりふり構わずに表舞台に出なければならないほど、当時の王国は危うい状態にあったのだ。

 おかげで国内の混乱は収まったものの、不安定な小康状態が継続していたことから、先祖の子や孫もその地位を継承した。それが数代続くうち、いつの間にか宰相を輩出する家系になってしまったのだ。

 以来、表では宰相家、裏では〝影〟と立場を使い分けて来た。


 この事実を知るのは、国王陛下と王妃殿下、王子とその正妃、それに副宰相と一部の関係者のみ。ただし王子と王子妃の場合、学院を卒業した後に伝えられる。生徒である間はまだ半人前とみなされるためだ。


「事の発端は半年前。諸外国との交易活動にて財を築いたベルラン男爵家が、密かに違法な麻薬を所持しているという情報が入りました。真相を確認するため、わたくしは〝影〟の一員として調査および情報収集の任務に臨みました」


 これはわたくしが一人前の〝影〟と認められるための最終試験でもあった。だから、お父様とお兄様、他の〝影〟は、助けてくれない。仲間内での連携が重要になる仕事でもあるから、わたくしが自分で作戦と段取りを考え、「この部分でこのように協力して欲しい」と要請すればそこに関しては動いてくれるけれど、それ以上手伝うことはない。基本的に、わたくしが一人で考えて行動しなくてはならなかった。


 そこでわたくしが目を付けたのが、同じく王立学院に通うベルラン男爵の娘だった。わたくしは同格の男爵令嬢に変装し、彼女に接触することにした。〝影〟の家に生まれた者として、変装技術はお手の物である。


 また、幸いにもわたくしはレイナルド殿下の婚約者として王宮にて王子妃教育を受けている。中には学院で修めるべき教養と重複している部分もあるため、それに関してはそのまま単位として認める、という王命が公表されている。

 わたくしはそれを利用した。陛下に直談判して許しを得た上で、一定の日数を王子妃教育と称して欠席し、その間はミーア・コレットになりすまして男爵令嬢とその友人に近付き、情報を集めていたのだ。コレット男爵家は、〝影〟が身分や経歴を偽る時のために用意されている家の一つだ。もちろんお父様には事前に作戦を説明し、使用許可をいただいている。

 なお、ミーアは正規の生徒ではなく、承認を得て不定期に学院を訪れている特別聴講生ということにしている。


「実を申しますと、おかしいとは感じていたのです。レイナルド殿下は積極的にミーアに話しかけておられましたので」


 王立学院では、馬車停めの場所から使える門、教室、席次までが実家の爵位に従って厳しく分かれている。卒業して社交界に出た後の振る舞いを学ぶ場所でもあるからだ。だがそれでも、同じ敷地内で同じ生徒という立場にいる以上、全ての階級の者と会う機会はあるし、交流も生まれる。


 ミーアの姿になったわたくしも、レイナルド殿下と同じ場所に会することはあった。最初に会った時は何故か驚いたような顔をして頰を赤くしていた殿下は、次からは非常に熱っぽい視線でわたくしに――ミーアに声かけをするようになった。ご学友として側に付けられている高位貴族の子息たちが止めようとしていたけれど、聞く耳持たずである。公爵令嬢という婚約者がいる身ではしたない、と周囲は眉を顰めていた。


「手を握られたり、至近距離まで体を近付けられたりもいたしましたの。おかげで悪目立ちしてしまい、すっかりクラスで浮いてしまいましたわ」


 わたくし……マチルダとしてのわたくしに対し、ミーアのことをふしだらな女だと言って憤る者も現れる有り様になっていたのだ。


「ミーアはその頃から、レイナルド殿下が仰ったような仕打ちをされるようになりました。人伝てに聞かされた殿下はとてもお怒りになり、犯人には心当たりがあると述べておられましたが、それがまさかわたくしのことだったとは」


 だが実際のところ、わたくしがそのミーアなのだ。自分で階段からダイブしたり、ノートを破いたり、噴水に突っ込む性癖はない。ついでに、自分で自分を罵倒する趣味もない。


「確かに、わたくしは婚約者という立場上、疑わしい者ではあるでしょう。しかし、確固たる物証は何もないのですよ。にも関わらず一方的に決めつけられ責められれば、愉快な気持ちにはなりませんわ」


 証拠など出るはずがない。わたくしはミーアを、自分をいじめたりなどしていないのだから。国王陛下が額を押さえて呻いた。


「その通りだ。あまつさえ審問機関に訴状まで出すなど言語道断。愚息が本当に迷惑をかけた」


 レイナルド殿下の行動により被害を受けていたわたくしだけれど、特に殿下への対策を取ることはなかった。何と(くだん)のベルラン男爵令嬢があちらから近付いて来てくれたからである。殿下に気に入られたミーアを利用できると踏んだらしい。わたくしの方もこれは使えると思い、殿下はそのまま放置していたのだが……それが仇になった。


 わたくしはお父様の方を振り返った。自分の任務に集中していたため、受けた仕打ちに対しての行動なども起こしていなかったけれど、おそらくお父様がとっくに調べている。

 予想通り、視線を受けたお父様はすぐに答えを返した。


「それにつきましては、既に調べは付いております。レイナルド殿下がミーアをお気に召したという情報が広まったことで、我が公爵家を敵視する派閥の者たちが、手駒の家の子女を使ってミーアに嫌がらせを行い、それがマチルダの仕業であると殿下に吹き込んだのです。殿下は元々マチルダに思うところがおありのようでしたので、特に確認もせずその讒言を信じ込んでしまわれたのだと」


 陛下と王妃殿下が揃って天を仰いでおられる。わたくしだってできるならそれに(なら)いたい。とても王子とは思えない稚拙な行動だ。


「けれど、お父様。証拠もなくそのような虚言を言って、後で露見すれば自分たちが窮地に立たされるとは考えなかったのでしょうか?」

「彼らや彼らの家人が直接そう言ったわけではない。彼らの配下にある家の子女に吹き込ませたのだ。いざとなればその配下を家ごと切り捨てればいい。お前が犯人ではないかという讒言自体も、断定形ではなく推測的な言い方に留めさせていたようだから、言い逃れもしやすいだろう。……レイナルド殿下ならば、多少曖昧な言い方をしたとしてもお信じ下さると踏んでいたのだろうな」


 あくまで一つの可能性として提示したに過ぎない情報を鵜呑みにして暴走したのは、殿下自身の判断と責任であると抗弁できるということだ。もう少し時間があれば、わたくしが嫌がらせをしたという偽の証拠でも捏造されていたかもしれない。……そうされたとしても返り討ちにしてやるけれど。


「連中は、我が家がこれ以上権力を持つことを阻止したいようだ。といっても、この婚約はこちらが望んだものではなく、王家からのたってのお願いということでお引き受けしたものですが」


 台詞の後半は、陛下に向けられたものだった。陛下と王妃殿下がぐぅっと声を詰まらせている。


「誠にすまない……」

「こうなった以上、レイナルド殿下とマチルダの婚約は白紙にしていただきます。むろん、マチルダの汚名は(そそ)いだ上で。また、今後は、我が家の者の縁談については当主たる私が決定いたします。――とはいえ、今回の件は殿下の個人的な暴走ですから、王家への忠誠は今後も変わらずお捧げいたしましょう」


 立て板に水のごとくツラツラと述べられ、陛下の顔はもう真っ青だ。


「う、うむ、それで良い。こたびの詫びとして、ハーレイ公爵家には相応額の慰謝料を支払おう。また、今後マチルダ嬢に想い人ができれば、王家が全面的に支持する。令息についても同様だ」


 すると、ずっと無表情だったお父様がニヤリと笑う。(さば)を狙っていたら大きな鯛が釣れたとでもいうような、予想外の収穫に対する笑みだ。おそらく今後の計画を高速で組み立てているのだろう。


「それは有り難く。では、この件はここまでといたしましょう。……マチルダ、お前の方の任務も完了したのだな」


 もちろん抜かりはない。わたくしは涼しい顔で頷いた。


「はい、お父様。大人しく純真無垢なミーアを装ってベルラン男爵令嬢と接し、信を得て男爵邸に招いてもらいましたの。彼女が少し席を外した際に部屋を確認させてもらい、化粧品の中に目当てのものを見付けましたわ」


 粉末状にした麻薬を、パウダーファンデーションの容器の中に詰めていたのだ。簡単に発見されないよう、二重底になっているチェストの奥に押し込んでいたけれど、犯罪者が物を隠す場所など大体決まっている。〝影〟として訓練されて来たわたくしにはすぐに目星がついた。


「そこで〝影〟の仲間に依頼し、共に邸内に潜入してもらい、数人がかりで倉庫の小麦粉や石灰などの粉製品を重点的に調べました。粉以外ですと葉物類や干物、乾燥製品などもです。やはり一部に当たりが混ざっておりました」


 麻薬の原料は食材に混ぜて送らせることもできる。家族ぐるみで違法物を隠すとは恐ろしい。


「さらに探せば他にも見つかるのでしょうが、ひとまず十分な証拠が揃いましたので撤収しました。入手した物証につきましては種類ごとに仕分けし、お兄様とベテランの〝影〟にも確認いただいた上で一覧を作成しました。後ほどお父様と陛下に提出いたします。後は宰相あるいは国王として正式に命令を出していただき、表の捜査員と兵を動かしていただければよろしいかと存じます」


 〝影〟の役目は水面下での情報と証拠の収集。その後の公開調査と采配は表の領分だ。わたくしの言葉を聞いたお父様は、一つ頷いた。


「よかろう。アッシュとガラドからも、お前はよくやったと報告を受けている」


 アッシュはお兄様の、ガラドはベテランの〝影〟の名前だ。


「まだまだ稚拙な面もあるが、合格としよう。これでお前も晴れて一人前の〝影〟だ」

「ありがとうございます」


 何よりも嬉しい合格の宣言に、わたくしが口元を綻ばせた時。


「マチルダ!」


 騒々しい音を立て、レイナルド殿下が部屋に駆け込んで来た。両親とはいえ国王陛下と王妃殿下がいるこの部屋に、事前の声掛けもノックもせずに、である。


「レイナルド、何故お前がここに来る! 謹慎中であろう!」


 陛下がピシリと怒鳴り付けた。王妃殿下は冷ややかな眼差しで殿下を睨んでいる。けれど、殿下は熱を帯びた目でわたくしだけを見つめている。


「すまないマチルダ。知らなかったんだ……お前がミーアで、ハーレイ公爵家が〝影〟という特殊な家系だったなど」


 わたくしが陛下に視線を向けると、苦い表情が返って来た。


「こやつも本日をもって卒業したからな。謹慎にすると同時に近衛隊長から教えさせた」


 近衛隊長は〝影〟のことについて知っている限られた者の一人だ。


「ああ、まさかお前があの太陽のようなミーアだったなんて! 一目見て惚れ込んだのだ、あの陽だまりのような微笑に。お前はあのような笑顔もできるのだな。これからはずっとミーアの顔で、ミーアの姿で私の側にいてくれ。お前が婚約者で本当に良かった!」


 ……何を言っているんだこいつは。

 それはつまり、今後ずっとわたくしに偽りの姿でいろということか?

 いくら政略結婚とはいえ、長い生涯を共に過ごしていく夫婦であるのに、常に別人の仮面を被り続けていろと?


 口を半開きにしたまま言葉が出て来ないわたくしの前に立ち、お父様が穏やかな声で言った。


「失礼ながら殿下、殿下は既に我が娘の婚約者ではございません。先ほどご自身で婚約を破棄なさったではありませぬか」


 この鉄面皮の父が柔らかく優しい声を出すのは、本気で怒っている時だ。


「いや、あれは言葉のあやで……それに、まだ父上の許可をいただいていないのだ。正式な破棄は完了していない」

「完了しておりますとも。何故なら殿下は、(いにしえ)の誓約法に基づいてミーアを娶ることを宣言なさいました。その時点で我が娘との婚約は白紙となったのです」

「い、古の……? あの誓いの文句は王宮の教師から教わったものだ。人生で一度しか使えない文言であるが、その効力は絶大だと。どれほどの身分差があろうとも関係なく、誓いを立てた相手と結ばれることを許されると聞いた。ならば、それを使えば男爵令嬢のミーアとも婚姻できると思って」


 何も分かっていない様子の殿下に、陛下が声を荒らげた。


「いい加減にせぬか、この大うつけが! だから講義はきちんと聞いておけと何度も言うたのに。その次の講義で、誓約法の注意事項についても教えられたはずだ。一度宣誓すれば決して撤回できない、ゆえにみだりに使ってはならぬと!」

「あなたは講義の大半を無断欠席するか、稀に出ても居眠りばかりしていたようですものね。ろくに聞いていなかったのでしょう。よりによって誓約法の概要の時だけは珍しく起きていたなんて……これも天罰なのかもしれないわ」


 王妃殿下までが突き放すような口調で告げた。肝心のレイナルド殿下は、訳が分からないという顔で目を白黒させている。

 ああ、仕方がない。わたくしが説明してあげることにしよう。テーブルの上のカップを取り上げ、すっかり冷めてしまった紅茶を一口すすってから口を開く。


「恐れながら殿下。殿下はご自身が告げられた文言を覚えておいでですか? 古の誓約法では、己の血と心臓、そして魂を懸けて、相手を生涯で唯一の伴侶とすることを誓うのです。文字通り全身全霊を捧げた誓約であり、それがゆえに王であろうとも却下することができず、宣誓者本人にも撤回はできません」


 例外として、誓いを捧げられた相手が実は伴侶になどなりたくないと思っていれば、その場合だけは拒否できる。しかし、自身の全てを賭した誓いを突き返された時点で、宣誓者は自決しなければならない。

 また、国にとって不利益にしかならない相手に対して誓約を捧げた場合、暗殺される危険性すらある。


「殿下はミーア・コレット男爵令嬢に誓約を捧げられたのです」

「ああ。だがミーア嬢はお前なんだろう? 私はお前に誓いを捧げたということではないか」

「いいえ、それならばマチルダ・ハーレイ公爵令嬢と仰せにならねばなりませんでした。殿下が誓句を捧げられたのはミーア嬢。殿下のお相手はコレット男爵家のミーア嬢なのです」


 根気強く繰り返すと、少しずつ理解して来たのか、殿下の顔色が悪くなっていく。これはまずいと察知しかけているようだ。遅いけれど。


「だ、だが、ミーア・コレットなど本当はいないではないか」

「ええ。その場合、誓約は不成立となります。しかし、心身の全てを掲げて発した誓いが成立しなかった時点で、それは死と同等に恥ずべきこと。従って、宣誓者は全ての地位と身分を放棄するのがしきたりでございます。自決までは求められませんが、今までの自分という存在を消し去ってしまうのです。こちらも講師の方から説明があったはずでは?」


 おそらく、居眠りをするか心ここにあらずで聞いていなかったのだろうけれど。

 レイナルド殿下は唇まで青くしている。


「なっ……」


 古の誓約法は効果が無駄に強力な反面、危険性も大きすぎる。例えば、緊張の余り噛むなどして相手の名前を間違えても不成立だ。デメリットの方が強いからこそ、かなり昔に廃れたのだ。だが、使われなくなっただけで効力は残っている。


「せ、宣誓したのは卒業パーティーでだ! その時はまだぎりぎり生徒だった! 半人前の者が行った契約なのだから責任も半減するだろう!」

「古の誓約法において、身分や立場は関係ありません。15歳以上の者が発した宣誓は一律に完全有効となります」


 殿下は既に18歳である。さらに言えば、卒業パーティーの時点で卒業証書は受け取っていた――つまり卒業していたので、純粋な生徒と言えるかは微妙なラインだ。


「……い、言っていない! 私は誓約などしていない、お前の聞き違いだ!」

「見苦しいぞ、レイナルド! あの卒業パーティーは、王立の機関たる貴族学院の式典の一部。国の行事に準ずるものだ。官僚や公的立場の者も複数参加していた。正式な委任状を持つ余の名代もおったのだ。その全員がお前の宣誓を聞き、記録しておる! 言い逃れなど通用すると思うな!」

「そ、そんな」


 陛下の一喝に、レイナルド殿下が膝から崩れ落ちる。


「第一王子レイナルド・プラーツ。ただ今をもってお前を廃嫡し、王家から除籍処分とする。王立学院で得た単位も卒業証書も剥奪する」

「除せっ……!? 私は、私はこれから立太子して王になるのでは」

「そうと確定はしておらなんだであろう。余と王妃の間には、お前の他にも三人の王子がおる。皆とても優秀だ。誰が立太子しても問題はない」


 特に一つ年下の第二王子は、文武に優れ統率力もあり、弱冠17歳でありながら皆に慕われている。平和な世であるため、長幼の序を重んじてレイナルド殿下が次期国王の筆頭候補だったけれど、本当は第二王子の方が……とは誰もが思っていたことだ。


「本来であれば平民として追い出すところだが、お前は既に王家や国の内情を知りすぎている。外には出せぬゆえ、国防軍の第四隊にて見習い騎士として従事せよ!」


 国防軍の兵士は危険で過酷な任務を担う。それでも、高位・中位貴族がいる第一隊、下位貴族と医師などの専門職が所属する第二隊は待遇も俸禄も良く、軍内での序列も高く名誉ある立場となる。平民が入る第三隊はそれより劣るが、最低限の環境は整っている。


 しかし、第四隊は違う。罪人や表の世界では生きて行けない荒くれ者が振り分けられる。当然のように暴力がはびこり、新人には地獄のごときいびりが待っていると聞く。しかも新人の中でも最下位の見習いとなると、どのような目に遭うか。

 一応は国軍であるから、任務以外の虐めで命を落とすことにまではならないだろうけれど。甘やかされ、わがまま放題で育って来たレイナルド殿下にはとても耐えられないだろう。


「いっ嫌だ、国防軍など! 近衛がいい!」

「たわけ! 王家を追われた者が、その王家に仕える近衛などになれるか!」

「で、では……国防軍でもせめて第一隊か第二隊に……」

「ならぬ。お前には爵位は与えぬ。従って、貴族が入る第一、第二隊には入れぬ。……だが最後の情けだ。第四隊で数年ほど過ごし、十分に反省と改悛が見られたと判断すれば、第三隊に移すことを検討してやろう」


 それは父親としての最後の情なのだろう。わたくしもお父様も、その僅かな光まで奪う気はない。


「話は終わりだ。連れて行け」


 陛下が視線をくれると、扉の付近で待機していた近衛が殿下を取り押さえ、連行して行った。


「い……嫌だああぁぁぁ!」


 絶叫だけが長く尾を引いて壁に反響する。それを聞きながら、わたくしは初めて殿下にお会いした時のことを思い出した。

 紫の瞳を逸らし、不機嫌な顔でそっぽを向く少年。物語のような甘い笑顔も優しい言葉も、一度もかけられなかった。

 それでも、仲良くなりたいという思いはあった。できれば仲睦まじい関係になりたいと。


 以降何年も散々な対応をされ、他人に対しても最悪な態度を取り続ける殿下を見ている内に、そんな想いは淡雪のごとく消えたけれど。


 若干の感傷に浸るわたくしに構わず、お父様は淡々と言った。


「陛下、王妃殿下。こちらとしても、ミーア・コレットという娘が実在しないことを公にはできませぬ。つきましては、ミーアは事故か病気で死亡したことにし、唯一の伴侶を失った殿下は失意の余りご乱心なされ、凶事に及んだ咎により王家から除籍され国防軍に送られた……。大まかにはこのような筋書きでいかがでしょうか。マチルダがミーアに嫌がらせをしたという件につきましては、全て殿下の思い違いであり事実無根であったことを、王家から公表していただきたく」


 今日の騒動の事後処理をしてくれている学院の校長とも、台本のすり合わせを行わなければならないため、今後多少の修正を加える可能性はある。だが、概略としてはお父様の筋書きで落ち着くことになるだろう。


「うむ……」

「ええ」


 頷く陛下と王妃殿下の顔は暗い。無理もないだろう。どれだけ不出来でもレイナルド殿下はお二人の息子だったのだから。だが、それはご本人方が折り合いを付けて解決していかなくてはならないことだ。


「ありがとうございます。なお、レイナルド殿下に讒言を吹き込むよう指示した黒幕たちと、ミーアに嫌がらせを行った手駒の者たちについては、今後公爵家にて厳正に対応を行います。我が家の娘に罪をなすりつけようとしたことをたっぷり後悔させてやりましょう」


 お父様もこれ以上陛下方を追いつめるつもりはないようだ。手早く話をまとめると、辞去の挨拶をしてわたくしと共に部屋を出た。


 王宮の赤い絨毯の上を、お父様の後ろについて歩く。


「そうだ、マチルダ」


 お父様が振り返った。わたくしと同じアイスブルーの瞳がキラリと光った。


「レイナルド殿下との婚約はこのような形になったが、お前はこれからどうするのだ。裏では〝影〟として生きるとして、表の世界における進路の話だ」


 分かり切った質問に、わたくしは小さく微笑む。


「わたくしは官僚になりますわ。そしていつかお父様の後を継ぎ、宰相となってみせます。既に官僚試験には合格しておりますもの。卒業後はレイナルド殿下の妃になる予定でしたから、登録申請をしていないだけです。この後、すぐに申請書を出します」


 実は、わたくしには幼い頃からの夢がある。この国の歴史上初の女性宰相になることだ。レイナルド殿下の妃になる以上、叶うことはないと諦めていた幻の未来。それを現実にする機会が巡って来た。絶対にこのチャンスを逃してはならないと、本能が告げる。


「お兄様はあくまで次期宰相の筆頭候補。正式に後継と確定したわけではございません」

「そうだな。だが、アッシュは手強いぞ。私から見てもあれは逸材だ。アッシュと競って勝てるか?」


 既に高位の官僚として頭角を現し、役職にも就いているお兄様。わたくしは、遥か先にあるその背を追いかける。

 追いつけるだろうか? いや、追いついてみせる。そして追い越す。今からでもまだまだ間に合うはずだ。


「勝ってみせますとも。お兄様がライバルだなんて、最高の環境だわ」


 握りこぶしを作って答える。わたくしは仕事が好きだ。〝影〟や官僚としてバリバリ働くことができるならば願ったり叶ったりである。きっと今のわたくしは、いつもの人形ではなく生き生きと血の通った笑みを浮かべている。


 横目でこちらを見ていたお父様がふっと笑った。いつもの怜悧な笑みではない、どこか温かさを宿した眼差し。


「好きにしろ。……私はどちらが後継でも構わん」


 ――私の子たちはどちらも同じくらい優秀だからな。


 そう呟いた声は小さすぎて、お兄様に追い付く算段を組み立て始めたわたくしには届かなかった。


ありがとうございました。


1/11追記:とてもたくさんの方に読んでいただけて夢のようです。

本当に嬉しいです。

誤字報告もありがとうございます。助かります!

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