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ウィズの金色の魔力が彼の体を包み込むと、誓約は終わる。
自らの内に嘗てないほどの力を感じて、両手を握ったり開いたりしてみた。
「オランピア、今度こそ僕が自分でなんとかするから、黙って見てて」
ことを収められたら、オランピアを責めて、罪を償わせてやるのだ。こんなところで失敗などできない。
ウィズは自らを奮い立たせて、大地を見下ろした。
オランピアはその背を黙って見守った。
いつの日か話した、空気中の水分と風を混ぜて、広く雨を降らせるイメージをする。そこにはウィズの魔力も込められて、雨水と共に金の粒子が大地を包むだろう。
その光に触れたものは元通りになってゆく。なおも燃え盛る炎さえ、徐々に萎んでいく筈だ。
ウィズは深呼吸をして、想像通りになるよう強く願い、天空へ魔力を放った。程なくして、ポツポツと、天から雫が降り注ぐ。途切れてしまわないように、軽く息を止め、全神経を集中させて、力を行使し続けた。
「ぐっ……くそっ……」
火の手が弱まるも、一向に消しきれない。悪態をつきながらも、ウィズの方が消耗し、その場に膝をついてしまう。
心配げに、オランピアが駆け寄った。
「まずいな、想定外だ」
「な、にが」
「今のお前の魔力じゃ、私の炎を消しきれない。全く、手間のかかる……こんなことなら、もっとお前にきちんと指南してやるんだった」
「そんな……」
自分で選んだ方法を満足に叶えられない。ウィズは己の非力に悔しさでいっぱいになる。
尚も魔力を送り続けることは止めなかったが、それも徐々に薄く、細くなって、目視できなくなる。かろうじて、薄い魔力の流れを感じる程度になると、ウィズの頭に、オランピアの手が置かれた。
「もう良い。お前は十分頑張ったよ、ウィズ」
「駄目だ、まだ出来る……手を出さないでくれ」
「お前に任せて、あと何日かかる? ははっ、その頃には全部燃え尽きてるだろうさ」
オランピアはウィズを抱き寄せると、宥めるように優しく撫でた。ウィズは逃れようと暴れたが、どれだけ強く拳をぶつけても、絡まった腕は解放を許さない。
じわじわと赤い魔力が、オランピアから溢れていく。それは尋常じゃない量で、ウィズはすぐ違和感に気づき暴れる手を止めた。
「ああよかった。魔法が消えかけててね、痛覚が戻ってきたから、暴れられると痛かったんだ」
「誓約を破ったのか?」
「だって、お前の力じゃどうしようもなかったからね」
「なんでそんな、簡単に?」
「私はね、最初から、お前が全部分かった上でも真っ直ぐ願ってくれたなら、誓約なんか破ってもよかったのさ」
みるみる内に炎は縮み、倒壊した瓦礫も元の様相を取り戻してゆく。全てを包んだ彼女の赤い魔力は、柔らかく空気へ溶けてゆき、同様に、オランピア自身からも徐々に揮発して行った。
「オランピアは、僕なら理解できると言ったけど、まるで全然わからないことだらけだ……」
「今はね。ウィズはまだまだ若いもの。いつかきっと理解する、私が言ったことの意味をね」
「……僕がオランピアと似てるから?」
「それに気づいてるなら上出来だね」
「だとしても僕は、お前を許せないよ」
「それでいい……いいや、こうなってしまったら、その方が良い」
オランピアが、腕の中からウィズを解放する。風が吹くと、彼女の髪が靡き、表情を隠した。
「嘗て栄えた誓約の魔法、その殆どが失われた。それは、これだけの力を持っていても、誰一人、誓約を守り続けることはできなかったからだ」
強い煌めきを宿していた彼女の赤い瞳はくすみ、ほんの少し濁った色を宿していた。もう、オランピアからは一抹の魔力も感じられない。
「理由はそれぞれにあったけれど、総じて一つの共通点を挙げるとしたら、他人と寄り添おうとした結果、だろうかね」
「オランピアが、僕を受け入れたように?」
「その通り。こうならないように、一人で暮らしていたってのに、結局これだ、人生ってのはままならないねえ。……いいかウィズ、魔法使いでありたいなら、孤独でなければいけないよ。それでも誰かを求めた時、お前は、自らの滅びを覚悟しなければならない」
「まさか、天下の大魔女が僕なんかに破滅を覚悟してたって?」
「お前が誓約をしなければ、私は全てを捨ててお前の時に寄り添った。お前が誓約をしたならば、何もかもを手にしたお前が私の時に添うはずだった」
「どっちも上手くいかなかった」
「私の詰めが甘かったのさ」
オランピアは寂しげに笑い、断崖へ身を乗り出す。危うげな姿勢に、普通なら肝が冷えそうだが、ウィズは黙って彼女を眺めた。
「私を許すな。どうせ私は先に死ぬ。非道いことだけ覚えておいて、死んだら笑い物にして、ぐっすり眠って私のことなんて何もかもを忘れちまいな」
よそ見をしていたからか、彼女はごく自然に、足を滑らせて、ずるりと身を崩す。
ウィズもオランピアも、あまりの呆気なさに驚いて、硬直してしまった。そのまま女はぼやける地上めがけて転落する。掬い上げるだけの余力はなかった。
「は……はは、あはは、あはははは!」
ウィズの口が、乾いた笑いを零し、壊れたみたいに、その音は響き続けた。