遠い昔。
ある農村に、ウィズという名の平凡な少年が、父と二人で粉挽小屋に暮らしていた。
ウィズは僅かばかり魔力があり、大それたことはできなかったが、その力で仕事の手伝いをよくしていた。
そうして一日の仕事を早く終わらせたら、空の色を眺めたり、森の野花を観察したり、自然に目を向けてぼんやりと過ごすのが、彼にとって何気ない幸福だった。
しかし、当時は魔法への理解は乏しく、ウィズは村人から不気味がられ、友達は一人もおらず、そうした何気ない時間を、いつも独りぼっちで過ごすのだ。
年相応に、寂しさを秘めながら、とはいえこの静寂を砕かれないことにも安堵する。
傷つかない訳ではないが、幸にも、一人でいることが苦ではなかった。
ある時、山の麓を散策していると、偶然、魔女の庵を見つける。
そこには当時を生きるものならば誰もが知っていた、世にも恐ろしい大魔女オランピアが住んでいて、強い魔力を宿した真っ赤な目に射抜かれたウィズは、腰を抜かしてしまったものである。
オランピアはウィズの無様を大いに笑ったが、命を取ろうとはしなかった。
気まぐれなのか、退屈凌ぎなのか、オランピアは快くウィズの訪れを歓迎し、その厚意を受けたウィズは、この魔女が世俗で語られるような、極悪非道な人物ではないように思ったものだ。
なんといっても、家族以外でウィズを遠ざけなかったのは、オランピアが初めてだったというのもあって、ウィズはすぐに、彼女を好きになった。
それは母親へ向けた親愛によく似ていた。ウィズは幼い頃に流行病で母を亡くしていたため、無意識に、母を求めていたのかもしれなかった。
「よくもまあ懲りずに此処にくるもんだねえ、ウィズ」
「まあね。オランピアと過ごすのが今一番楽しいし。それにほら、僕が来ないと、オランピアは一人で寂しいだろうから」
「ははぁ、生意気言ってんじゃないよ。寂しいのはお前だろう」
ニヤリと笑ったオランピアが、魔法で作り出した水をウィズの顔に掛けた。
ウィズは驚き転けるが、すぐ犬のように首を振り飛沫を飛ばしたら、透き通った薄い色の瞳を、宝石のように輝かせてオランピアを見上げる。
「今の、どうやるの?」
「空気中の水分を集めただけさ。練習すれば、お前でもできる初歩的な魔法だよ」
「本当?」
「こんなことに嘘ついてどうする」
「もっと大規模にできれば、村じゅうの畑の水やりが楽になるかも」
「いいアイデアだけど、そういう用途ならもう一声欲しいねえ」
「もう一声……? うーん、そうだね……水の塊を落としたら、土や種が流されるかもしれない。分散させて、じょうろみたいに、高いところから風で広げればいいのかな」
「簡潔な言い方を教えてやろうか。お前のイメージするそれは、大抵“雨”って言うんだよ」
「あ……」
オランピアが小馬鹿にしたようにくつくつと笑うので、ウィズは恥ずかしさで唇を噛んだ。
ひとしきり悦に浸った彼女は、ウィズをチラリとみて「血が出るからそんなに強く噛むんじゃないよ」と指摘した。だから今度は、口を尖らせて不満そうにウィズは目を逸らす。
「まあ、ほら、今の。空の高いところで風を混ぜてできたら、雨がつくれるんじゃないかなって」
「ウィズは賢いね。名前の通りだ。いい名をもらってよかったね」
「まるで名前のおかげで賢いみたいに言うんだね」
「そうさ、言葉には力があるからね。いいかウィズ、言葉というのはこの世で最も強い力なのさ」
「どうして?」
「例えば此処に、今にも息絶えそうな人間が一人いたとする。私はそいつを助ける力を持っているが、助けたいとは思わないから助けてやらない。助かりたいそいつは、十中八九、言葉を尽くして懇願する。そしたらさあ、どうだい? ひょっとすると私の気が変わって、助けたくなってくるかもしれない。つまり、そういうことさ」
「他者の心を動かせるのが、言葉ってこと?」
「そ。そしてそれは誰もが平等に行使できる……だからこそだね、強い言葉の前では、如何に強い魔力を持っていても、無意味なんだよ」
数刻、ウィズは考えて、言おうか言うまいか悩んでから、言葉を尽くすことに決めた。
「強い言葉によって世間に流布して、人々の心に深く根付いた、恐ろしい大魔女オランピアの話は、どれだけ強い魔法を持ってしても覆すことはできないって意味?」
「……嫌なところを突くクソガキだね。まあ、そうさ。むしろ、強い魔力はその手の話には火に油さ。話の真実味を増して、望もうとも望まざろうとも、私という存在を言葉の通りの悪党にしていくのさ」
「それだけ言葉の力が強いなら、言葉を持って、覆せばいいじゃない。少なくとも、僕にとってオランピアは善い魔女だよ」
オランピアは怪訝そうにウィズを見て力なく失笑をこぼす。
「本当、お前は生意気なやつだ」