悲暮川
一級河川『干保川』。市内を横たわる大きな川である。
私は、御盆で実家に帰っていた嫁さんと子供を迎えに行くために干保川沿いを走らせていた。
めったに使うことのない道であるが、馴染みのない道というわけではない。
川沿いの一本道、ある程度の交通量があり、道灯も一定間隔で設置されている。
その日も、川沿いを東へ車を走らせていた。
川沿いに民家はなく、一定周期で流れていく道灯と、対向車線からのライトだけの比較的暗い道。
ふと気付くと、カーラジオの音が消えていた。
電波状況が悪いのかなと、チャンネルを変える事もせず、走り続けた。他の県では知らないが、ここでは、ちょっと町から外れると途端に電波が悪くなるのが普通だ。
『この道、こんなに長かったかな』
何となく不可思議な雰囲気を感じ、ルームミラーに目を向けた。
何も映っていない。
『幽霊でも見えたらどうしよう』
そんな気もあったが、何も見えなかった。
ちょっと安心して、バックミラーにも目を向ける。
何も映っていない。
やっぱり、ちょっと安心し……………えっ?
もう一度、ルームミラーを見る。左右のバックミラーを見る。
何も映っていない……。
目の前では、道灯が流れていく。対向車も、何台かあったはず。
なのに、ミラー達には何も映っていない……。
まるで、墨汁で塗ったかのように、ミラー達は真黒なのだ。
ハンドルを持つ右手の毛が逆立ち、ブツブツと鳥肌がたつ。
もう一度ミラーを覗き込んでみるが、真黒のままだ。
気が付けば、対向車のライトも消え、黄色い道灯のみが緩やかなカーブを描いている。
道の右手にあるはずの川の音もしない。
自分の車のエンジン音だけが夜の闇に吸い込まれていく。
ミラーを覗き込む。
やっぱり真黒のままだ。
深い闇のような黒。
何か、ミラーの下から這い上がってくるような気がして、視線を前に戻す。
―― ザ ザザ…………
カーラジオがノイズをあげた。
ビクッとして、カーナビに目をやる。
真っ黒い画面に自分を示す矢印だけが映っていた。
―― ここ……
声が聞こえた。
カーラジオから聞こえた。
何かが覆い被さるような感覚。
覆い尽くされながら、胸から何かが抜けていく。
ズルッと抜けていく感覚。
恐怖が心を包み込んでいた。
声にならない悲鳴をあげながら、ブレーキを力いっぱい踏んだ。
ギキキキッという、音をたてながら車が止まる。
車内にまでゴムの焼ける臭いが流れてきた。
川を大きく外れた峠道。
ガードレールの切れ間から崖下に車は落ちる寸前だった。
『干保川』
その昔、日の暮れに悲しみを呼ぶとされていたらしい。
『悲暮川』という。
短編が面白い。
読む人にとって面白いかどうか分かりませんが(力不足で申し訳ございません)、書くのが面白くって仕方ありません。
そろそろ、長編の『そして、魔女を探す──魔力がマストの世界で魔力がなくたって、力強く生きていきます。』に帰ろうと思っているのですが、帰れずにいます。