1-6 傷口に猫を添えて
地面から1、2メートルの高さで半回転している男が一人。
結果から判断してウォーレンは、ポメラニアンに轢かれたのだろう。
「ぐごぁッ!!」
地面に落下したウォーレンはピクピクと痙攣している。横たわる彼の周りをポメラニアンがくるくると走り回る。
『遊んで遊んで遊んでーーーーーー!!!!』
『ドドド! 危ないでしょうが! あなたはオズヴァルフと遊んでなさい!』
『はーい!!!!』
ど、「ドドド」!? そう呼ばれたポメラニアンはダンジョンの奥に走り去っていく。目を凝らしてみると、その小型犬が向かう先にもう一匹犬がいた。
…………んん? 遠すぎて分かりにくいが、デカくない? ダンジョンの隅で伏せているその犬は目測だが、体長が優に3メートルは超えてそうだった
異世界にはあんな大きい動物がいるのか……? たとえ言葉が理解できても襲われないとは限らないのでは……。 今まさにポメラニアンに当て逃げされたウォーレンの二の舞にはなりたくなかった。
そのウォーレンはというと、すでに何事もなかったかのように立ち上がっていた。
「すぅー、ふーっ、俺のこと好きすぎてはしゃいじゃったんだろうな、あの犬っころ。元気につられて足滑らしちゃったぜー。いっ……つつ……」
小型犬に弾き飛ばされたことを認めたくないのか、平気な振りをしているだけだった。それでも立ち上がれるだけでかなりタフであるが。
『ホホゥホゥ~』
低めのいい声がウォーレンの頭上から聞こえた。目を向けるとその上空を旋回するように一羽の鳥が飛んでいた。細かい種類までは分からないが見た目からしてワシミミズクだろうか。
『見るのです。我が勇士を。称えるのです。我が威光を』
ワシミミズクは羽音を鳴らさずに飛ぶことができ、隠密で狩りをすることに優れている。そんな狩人がわざわざ目立つように口上を述べて何かをしようとしていた。
『いざ……!』
どことなく紳士な雰囲気を醸し出すワシミミズクがウォーレンに向かって急降下する。まさか彼の命を狙っている!? 音一つ鳴らない襲撃にウォーレンは気付ける訳がない。
「うぉ、ウォーレンさん! 危な……」
『うんちぷりっ』
僕の必死の警告虚しくワシミミズクはウォーレンに向かってフンを浴びてしまうのだった。
『う~ん、恍惚』
『あいつは誰かの頭目掛けて排泄するのが趣味なの』
ド変態だった。
『こぉら、ホゥベルト! 今いいところなんだから邪魔しないで!』
『うんちが溜まったらまた会おう!』
いつの間にか僕の肩から下りていた黒猫が「ホゥベルト」と呼ばれるワシミミズクを追いやった。今までの周りの反応から察するに、黒猫――フィーニャはこの辺りの動物たちをまとめているリーダー的存在なのだろう。
「た、たぶん、俺のことが好きすぎて自分の匂いを付けるためにフンを落としたんだ……そうだ、そ、そうに違いない……」
変態の性癖を満たすために利用されたウォーレンは目に涙を浮かべ、わなわな震えていた。身体は頑丈な彼だが精神ダメージには耐えきれなかったようだ。
「あ、あの、ウォーレンさん……大丈夫ですか……?」
「…………」
いたたまれなくなり声をかけるが慰めにもならなそうだった。かける言葉も見つからず、あたふたしているところに今朝、彼の父親からの伝言を思い出す。
「あ、そういえば、村長が『帰って来ないとぶん殴るぞ』って言ってました。」
「!」
村長の言葉をそのまま伝えると、ピクリと反応したウォーレンは本格的に泣き出した。
「うぅうううぅうううう~~~~~~~…………」
「えっ、えっ?」
目からポロポロと涙を流すウォーレンにこっちが狼狽えてしまう。やっば、追い打ちをかけてしまったか?
「うぉぉぉおぉん、うぉおおおお!!! いやだぁあああ! 帰りたくないぃいい! 絶対殴られるもぉん!!!!」
泣きじゃくっている姿に若干引きつつも彼に同情する。でも他人の家庭の事情だから口出せないよね……? と無理やり自分を納得させる。
「ちくしょぉおお!! 辛い大工修行の合間に『癒し』を求めてきただけなのに!! なんでそれさえも奪われなきゃいけねえんだよぉお!! うぉおぉおん!!!」
『うっさいわね! オスがぴーぴー泣くんじゃない!!』
「く、クロちゃん……慰めてくれるのかい?」
『つーか、勝手に名付けんな! 私はフィーニャよ!!!』
シャー、と威嚇する黒猫。ひーん、と再び泣き出す成人男性。ここは地獄か?
余りにも彼が気の毒だったので、フィーニャに彼を労わってくれないかお願いする。
「す、すみません、僕からもお願い、し、します……」
『……ふん、嫌よ。何で私がそんな面倒なことを』
「お、落ち込んだまま帰ったら、もう戻って、こ、こないかも、しれないですよ」
『……食糧確保の充てを一つ潰すのは勿体ないか……。はあ、何すればいいの?』
……そうだな。せっかくだしウォーレンが好きそうなことをやってもらおう。僕はフィーニャに思いついた所作を小声で伝えた。
『ふーん、こんなのでいいんだ。ヒトってよく分からないわね』
文句を言いつつも黒猫はすすり泣いている男に近づいた。そして小首を傾げてこう言った。
『元気出してにゃん』
「はう!!!?」
視線の高低差により自然に上目遣いになり、可愛らしい鳴き声が確かに聞こえた。効果はてきめんだった。フィーニャの癒しが彼に再び活力を与える!
「うおおおおおおお!!! 貰ったぜ勇気!!! 俺! 親父とけりをつけてくる!! そしてまたここにもどってくるぜ!!!!」
さっきまで凹んでいた男はどこへやら。ウォーレンは唸り声を上げ、村の方向へ走り出した。
「うぉぉおおおおおおおおおおお!!! 待ってろよクロちゃんたち!!! 俺は必ず帰ってくるからよぉおおおおおおお!!!!!!」
『やっぱりあなた、少しは落ち込んでいた方がいいわよ』
そうぼやく黒猫の言葉は彼には届かない。言語の違いではなく、彼はすでに背中が見えなくなるほど遠くに走り去ってしまったからだ。
やかましかった男がいなくなると、ダンジョンはとたんに静かな空間となった。……さてと、僕も帰りますか。
『どこに行こうというの?』
しかしまた回り込まれてしまった! 今度は猫たちによって。
『なあ、お前。フィーニャと会話してなかったか?』
『あたしたちの言葉が分かるの? 変なの』
『そんなことより、ボクって美しくないか?』
『逃がすんじゃないよ。こいつは私の……いや、私たちにとって有益な存在になるかもしれない。ねえ、あなた……』
僕を逃がすまいと周りを取り囲んでいるのは、三毛猫が二匹、シャム猫っぽいのが一匹、そして――
『私の下僕になりなさい』
僕を飼おうとしている黒猫が一匹。
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