1-58 選択
「『退屈』だったから」
理解ができなかった。そんな理由で私たちの居場所が奪われかけたというの?
神様の答えに困惑していると、こぶしを握り締めているマシロに気が付いた。こんなにも怒っているマシロを見るのは初めてだった。
「そんなくだらない理由で皆を危険な目に合わせたというのか? 貴方は彼らを何だと思っている?」
「…………」
「貴方がこの世界を創った神であろうと、静かに暮らしているだけの魔獣たちに危害を加えていい理由はないはずだ!」
マシロは怒鳴るような口調でエクレノイアに詰め寄った。そして彼女に向かって指を差し、今まで一番大きな声で宣言した。
「それに何と言っても、フィーニャを怖がらせたあんたを許すわけにはいかない!」
マシロが一番怒っていたのは、私がエクレノイアに急接近されてびっくりさせられちゃったことに対してだった。恥ずかしいような、嬉しいような気分になり、むずがゆさを感じる。
「…………はあ」
責められたエクレノイアは心底呆れたようなため息を吐き、荒々しく椅子に座った。大きく足を組んだその座り方は、エリーザさんの姿には全く似つかわしくなかった。
「くだらない…………か。貴方は退屈が過ぎて死にたくなることってなかったのですか?」
「…………ない」
「ああ、そっか。貴方、どっちでもよかったんでしたっけ?」
うん?「どっちでもよかった」? 何の事を言っているのだろう? ふとマシロの方を見ると、別人かと思うくらい顔が青ざめていて、額から汗がだらだらと垂れていた。
「……しって…………知っている……のか……?」
息が詰まるのを無理やりこじ開けるように言葉を連ねるマシロに対して、エクレノイアはくすくすと笑うだけだった。
「違う……あの時の僕は……」
「マシロ? どうしたの……?」
息が段々と荒くなっていくマシロが心配になる。こんなにもマシロが動揺するなんて何か異常なことが起こっている……?
エクレノイアが何かしたのかと思い、彼女を睨みつけると、手を顎に当てながら首を傾げた。
「んー? もしかして、その子には教えてなかったんですか?」
「い、言う機会がなかっただけだ……必要であれば……でも僕は……いや違う、あの時は……」
「では私から告げましょう。フィーニャ、このマシロはね……」
「待っ――」
エクレノイアはぞっとするような穏やかな笑みを浮かべた。
「「転生」をしてこの世界にやって来たのですよ」
てんせい……? 初めて聞く言葉だ。その単語の意味は分からないが、マシロの顔色の悪さから言ってあまりいい言葉ではないのか……?
「「転生」とは、一度死んで生まれ変わることですよ。私が別の世界で死んだその子の魂を拾い上げ、この世界で蘇らせたのです」
「……マシロは、死んでいたってこと?」
疑問をそのまま口にしたら、マシロはびくっと肩を震わせた。何でマシロはこんなにも怯えているのだろう。話を聞く限り、マシロは神様に生き返らせてもらったってことじゃない。それってとても嬉しいことなんじゃないの?
「それでマシロが死んだのは……」
「待ってくれ! 頼む……僕から……僕から言うから……」
マシロは口調を荒げて、エクレノイアに懇願しながら遮った。ひどく怯えているようだし、彼女は何を言おうとしたの?
マシロは私の方に振り向くも、視線はあちこちに向け、落ち着かない様子だった。
「僕は、あの時……いや、違う、違うんだ。今思えば、そうだ、僕は、僕は……」
乱れる呼吸を無理やり整え、言葉を紡ぐ。しかし、その白い髪の奥の瞳は、ついに私に向くことはなかった。
「僕は自殺をしたんだ」
自殺……? 自殺って自分を殺したってことよね? マシロが? 何でそんなことを……。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!」
突然、教会に高らかな笑い声が響き渡った。その声の持ち主であるエクレノイアは手を豪快に叩きながら悶絶していた。まるでマシロを侮辱しているかのように。
「自殺……自殺って、くふっ、くふふふふふふふ、あははははははははははは!!!」
「なっ、何がそこまで可笑しいのよ!!」
エクレノイアを怖がっていたことも忘れ、私は立ち上がった。マシロが何故自殺したかは知らないけど、死ぬことを選んだ理由があるはず。そのマシロの決断を馬鹿にすることは私が許さない!
「あはははは、ははは……あーあ」
エクレノイアはひとしきり笑い、一呼吸置いた後、その白く濁った瞳をマシロに向けた。
「お前、何偉そうな言い回しをしているんだ?」
雰囲気ががらりと変わった。エクレノイアは椅子から立ち上がり、ゆっくりとこっちに近寄ってきた。彼女からは発せられる敵意は、私に再び恐怖を思い出させた。
身体が無意識に震え出し、恐れが身体中を這い回る。咄嗟にマシロに助けを求めようとすると、マシロは私以上に震えていて、顔から滝のような汗を流していた。
「はーっ……はーっ……はーっ」
「私がちゃんと説明してやるよ」
「や、止め……」
「なあ、フィーニャ。お前は知ってるよな。こいつの他人の役に立ちたくてしょうがない性分を」
呼吸がさらに荒くなるマシロを無視し、エクレノイアは私に問いかけてきた。私は彼女の圧に耐え切れず、ただ頷くことしかできなかった。
「その性分は前世でも同じだった。だがな、こいつは無能で、役に立つどころか他人にとって邪魔でしかなかった」
「ハーッ、ハーッ、ハーッ……」
「いつしか他人のために行動するのが怖くなった。役に立ちたいが、役に立つ行動ができないという二律背反故に、何もできなくなってしまった。何も頑張ろうとしなくなった」
「が、頑張ろうとはした……僕は、カハッ、僕は頑張りが……足らなかっただけで……カヒュ、カヒュッ……」
マシロが聞いたこともない呼吸音を出しながら、胸を押さえている。マシロが苦しんでいるのに、私の身体は動けずにいた。ただただエクレノイアの言葉が聞こえてくる。
「それで退屈すぎて自殺したのかと思ったら、全然違った。お前結局、事故死と判断されていたよ。それでよかったのか?」
「カヒュッ、カフッ、カッ…………」
「いや、どっちでもいいよな? だって、どぉーでもよかったんだしな!」
「…………ッ!!」
「マシロッ!!!」
マシロは膝から崩れるように倒れ込んだ。私はそこでようやく身体が動くようになり、倒れたマシロを抱え込んだ。マシロは私の服を強く握り返してきた。
「ゲホッ!! ゴホッ!! ヒュー……ヒュー……ヒュゲホゲホゴホオェ!!!」
「マシロ……大丈夫、大丈夫だから。ゆっくりでいいから、ゆっくり呼吸を整えて……」
マシロは大きく咳き込むと共に嘔吐した。吐瀉物がかかったが、そんなこと気にならなかった。目から大粒の涙が流れ続けるこの子を放っておくことなんてできるわけがない。
「……ごめん、ごめん……はーっ、ごめん……」
「何で謝るの。マシロは何も悪くない」
「違う……違うんだ……僕が全部悪いんだ……僕が……」
「だからマシロは……!」
「いーや、何が悪いかは、もう少しこいつの死因について知ってから判断しろ」
いつの間にか私たちの近くの椅子に座っていたエクレノイアが口を挟んできた。マシロがこんなにも辛くなっているのはあなたが原因なのに……!
睨んだ私を意にも介さず、エクレノイアはにやけ顔のまま話を続けた。
「こいつはベランダに干していた布団を取り込もうとして死んだんだ。二階の高さからな」
「…………」
「これに対してお前がどう思おうが私は興味がない。どんな高さでも打ち所が悪ければ人間は死ぬ。ただそれだけだからな」
エクレノイアは私を試すかのような薄気味悪い笑みを止め、見下すような目でマシロを見つめた。
「でも足掻くことはできた。落下するまでに手で頭を庇ったり、足から着地しようとしたり、はたまた一緒に落ちた布団で衝撃を和らげたり。なんだってよかった。少なくとも生きようとする意志があれば、その結果死んだとしてもそれは事故と呼ばれるものだ」
神の視点ではな、とエクレノイアは付け加え、さらにその目は厳しさを増した。
「じゃあ、こいつはわざと頭から落下するようにして自殺を選んだのか、と言われればそれも違う」
マシロの嗚咽がより激しくなる。私の服を掴む力が強くなった。
「そのどちらも選択しなかった。しようとしなかった。どっちでもよかったから。どうでもよかったから。生きるのも死ぬのも興味がなかったから!」
「死ぬか生きるかを神に選ばせた! だからその命、神の好きにしていいだろう? なあ……」
「自身の生死の選択さえ、神に委ねた卑怯者め!!!!」
そう糾弾する神の瞳はどこまで冷たかった。
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