1-5 ドドドドドドドドドドドドドドド
『あ、フィーニャちゃんもこのヒトからご飯貰ったら?』
フィーニャと呼ばれた黒猫は、依然地面に這いつくばっているウォーレンの元に歩み寄った。
『そうね。いただくとするわ』
ウォーレンの鼻先で座り、前足で地面を二度叩いた。まるでレストランで料理を注文する客を思わせる雰囲気を醸し出している。
「クロちゃんもご飯欲しいのかい? しょうがないなぁ~ちょっと待っておくれよ~❤」
相変わらず猫にメロメロなウォーレンは魚が余ってないかポケットをまさぐっている。
「クロちゃん」と勝手に命名されている黒猫はムッと顔をしかめた。やっぱりウォーレンはこの猫たちの言葉は聞こえていないようだった。
猫たちの口の悪さに圧倒されていたが、そもそも何で僕は猫の言葉が分かるのだろう? もしかしてこれが転生する時に女神からもらった「能力」なのか? 「上手く話したい」という願いが、猫と話せる能力になったのか……? どう曲解したらこんな能力になるんだ!? 人とスムーズに話したかっただけなのに……。
「あった、あった! はい、クロちゃんもどうぞ」
ウォーレンはポケットの奥からようやく見つけた魚を黒猫に差し出す。それは他の猫たちにあげていた魚よりもずっと小さかった。
『…………』
黒猫は差し出された小魚を一瞥し、ウォーレンに向き直しながら尻尾を大きく振っている。
「あら~、嬉しそうだねぇ~。そんなに気に入ってくれたんだ~」
その判断は間違っていた。猫が尻尾を振るのは犬と違って嬉しい時だとは限らない。
バタバタと大きく振る尻尾からは明らかに苛立ちの感情を表していた。
『嘗めとんのかぁあああ!!!』
「うわぁあ!?」
黒猫は歯茎をむき出しにして勢いよくウォーレンに跳びかかった。突然の出来事にウォーレンはひっくり返り、その顔を踏みつけるように黒猫が乗った。
『この程度で私が満足するとでも? ふざけんな! この私を嘗めてかかると痛い目に合わすよ!』
「あはは、そんなに嬉しいか~❤ よしよ~し」
黒猫はウォーレンに不服の猫パンチ連打をお見舞いしているが、当の本人はじゃれてきていると思っているのか満面の笑みである。
『だーめだこりゃ、全く伝わんない。ねえ、そこのあなた!! あなたは何か持ってきてないの!?』
「えひぃ!? なっ、何もないですゥ……」
『えっ……?』
びっくりしたぁ……。急に話しかけられて思わず反応してしまった。黒猫はウォーレンの上から降りて、僕を訝しげに睨みながら近づいてくる。
僕もウォーレンみたいにカツアゲの被害に合うのか……?
『あなた、今私の――』
「お、おい! 白いの!」
「ひぇ!?」
ウォーレンが仰向けの状態から半ば這いずる形で迫ってきた。凄まじい剣幕で迫る190cmはあるだろう成人男性から本能的に逃走を図る。しかし、回り込まれてしまった!
「し、白いの、ぜぇ……ぜぇ……ちょっと待て……!」
「マ、マシロです……」
ウォーレンは自身の赤面物の行為を見た僕を逃すまいと、岩壁に押し付けてきた。所謂壁ドンだが実際やられてみると圧が強くて足がすくむ。顔にかかる荒い息が余計に恐怖を煽ってくる。
「お前……どうしてここにいるんだ……? ……いつからそこにいた?」
「い、いや……そっ、その、そ……あの……」
何を言うのが正解なのか、誤魔化すとしてもどう返答すればやり過ごせるのか、ぐるぐると巡る思考と、早く質問に答えなきゃいけない焦りで口から出るのは意味のない言葉ばかりだった。
「どうなんだよ! 何か言えよ!!!」
至近距離からの怒号で僕の恐怖耐性はいとも簡単に限界を迎えた。瞑った目からは涙が零れ、早くこの脅威が過ぎるのを待つしかなかった。
「おい! てめえ何黙って――」
ウォーレンの怒鳴り声が続くと思ったその時、右肩がずしりと重くなった。
『離れなさい、木偶の坊』
フィーニャと呼ばれる黒猫が肩に乗っていた。
「ク、クロちゃん、俺はちょっとこいつに用があるんだ。後で遊んであげるから今は別の――」
『離れろ』
牙をむき出しにし「シャー!」と発せられた威嚇はウォーレンをたじろがすのに十分だった。
『ふん、お利巧さんね』
「あ……ありが……」
「す、すまねえ、マシロ! 俺、どうかしてたみたいだ!」
フィーニャの凄味によって、ウォーレンはすでに落ち着きを取り戻していたようだった。
「お前がどこまで見ていたか知らねえけど……頼む! ここでの出来事は誰にも言わないでくれ!」
ウォーレンは手を合わせて懇願してきた。元々見なかった振りをするつもりだったし、もうダンジョンを覗いた時から現在までの記憶を失くしたい。
「は……はい、言わない、です……」
『ちなみにこの男、あなたが来る前、裸踊りをしていたわ』
「えっ! そ、そんなことまで……」
「?」
『嘘よ』
ええー……、何の嘘だよ……。突然の偽カミングアウトをした黒猫を見ると、したり顔で笑っていた。……ん? なんだか普通に猫と会話していないか?
『やっぱり、あなた私たちの言葉が分かるのね! そんなヒト初めて見たわ! ねえあなた、私の「なあマシロ! お前もこの洞窟に住んでる動物たちと遊ぼうぜ!」邪魔するなコラぁ!』
ウォーレンはフィーニャの言葉を遮ったとは露知らず、再びダンジョンに入っていった。
どうやらウォーレンはこの洞窟がダンジョンだとは知らないようだ。
『そもそも私たちは動物じゃ「おーい! みんな遊ぼうぜー! 俺が相手になってやるよ!」ふぎぎぎぎ!』
またもや言葉を遮られたフィーニャは、僕の肩の上で尻尾を大きく振って苛立っている。ビシバシと背中に尻尾が当たって結構痛い。
『んだよ、うっせーな』
『独りで遊べば?』
『ボクはボクを愛でるのに忙しい。勝手にしたまえ』
ウォーレンからご飯を貰った猫たちは一切見向きをしない。薄情だと思ってしまうがこれが猫。猫は気まぐれな生物なのだ。
『えっ! 遊んでくれるの! 遊びたいー!! 行くよ行くよー!!!』
……と思ったら、ダンジョンの奥から元気いっぱいな声が聞こえた。よく見るとそれは猫ではなく一匹の小型犬だった。僕のこの能力は猫以外の言葉も分かるのか……?
「お、犬っころもいたのか! よーし来い来い来い!」
『行くよ行くよ行くよ!』
ポメラニアンに似た容姿をしている小型犬は、茶色の毛をなびかせ、「ててて」と走る。
『行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ!!!』
ウォーレンに向かって走るポメラニアンは段々と加速している。先ほどまでの軽い足音の面影はすでになかった。
『行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ行くよ!!!』
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!!!!!!
あの小さな犬からは想像できないほどの足音が響き渡る。音の大きさに比例するように加速するポメラニアンを捉える者はもう誰もいなかった。
「ア゛ッ」
短い悲鳴と共に成人男性が宙を舞った。
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