1-49 騒乱のダンジョン・表 冒険者ダンは理解できない
「キャアアアアアアアアア!!」
不意の背後からの金切り声に我に返る。この悲鳴はカレンの声だ。心配になり振り返ると、カレンは川から上がったばかりであろう水浸しの身体で足元の箱を漁っていた。
「あばばばばば!? ほ……宝石がこんなにたくさん!? やばやばぁあいひひひひひひ!!!」
奇っ怪な笑い声を上げながらカレンは山盛りの宝石を抱きかかえている。ダンジョンに宝は付きものだが偶然見つけるとは幸運だな。金品に疎い俺はその宝石の価値は分からないが、カレンの喜び具合から余程値打ちのあるものなのだろう。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ! 綺麗だぁ~~~かわいいぃいいい!! キィィイイイヒッヒッヒッヒッヒ!!!」
狂うように笑うカレンの甲高い声がダンジョンに響き渡る。いい加減耳の奥に響くその声を大音量で叫ぶのは止めてほしい。今は虎の魔物を追うのを優先するべきだ。
「おい、宝探しは後にしろ。そんなことよりも魔物を……」
「キャキャキャキャキャキャキャッ、ごぶあっ!?」
突然、カレンの頭上にスライムが降ってきた。頭の倍以上の大きさがあるスライムはカレンの顔をすっぽりと覆っている。
「ごぼがぼがぼげぼがぼごぼぼぼぼッ!!?」
スライムが己の水の身体でカレンを窒息させようとしている。カレンはへばりついたスライムを引き剥がそうとしているが、完全にパニックに陥っており、杖を無茶苦茶に振り回している。
「お、おいカレン! 落ち着け!」
「ごぼぼげぼがぼぼぼぼっぼがぼぼぉおお!!!」
カレンが振り回している杖の先端についている緑色の魔法石がぼんやりと光り始めた。カレンの得意魔法である風の魔法でスライムを吹き飛ばすつもりなのだろう。
だが、半狂乱のまま杖を振り回していたため、壁に杖を勢いよく叩きつけ、魔法石が付いてある先端の団扇のような意匠がぽっきりと折れてしまった。
「ごがバババババぁ!!!!????」
「う、動くな! 今、核を破壊して……うぐぅッ!?」
折れた杖の先端が地面に落下した瞬間、魔法石から風の魔法が噴出し、団扇のような意匠が横回転しながら俺の横っ腹に激突した。不意の激痛に耐えられず蹲ってしまう。
「ごぼ……ご…………ぼぼ…………」
「カ……レン…………」
あれほど暴れていたカレンは力尽きたように膝から崩れ落ち、白目をむいている。まずい、窒息寸前だ。目の前で苦しんでいる彼女一人救えないのか俺は!
その時だった。俺とカレンの間に黒髪の少女が飛び込んできた。着ている黒いワンピースが若干着崩れているし、裸足なのも気になったが、その少女は迷わずカレンの顔面に纏わりついているスライムに両手を突っ込んだ。
「ふぅぅうううにゃぁぁあああああ!!!!」
奇妙な掛け声と共に少女は両手を振り上げると、スライムはカレンの顔から引き剥がされ、天高く投げ飛ばされた。
「ゲホッゴホッゴホッ!!」
「中に入ったスライムはほぼ取り出せたと思うけど、一応げーしときなさい、げー」
咳き込むカレンの背中をさすっている少女は見たことのない顔立ちだった。しかしその声はどこか聞いたことがある気がした。
「あっ、お前は猫の小屋の中にいた従業員ってやつか?」
「にゃ?」
ダンジョンに入った時に小屋の方から聞こえた声を思い出していると、ぼとっ、と俺のすぐ隣に何か落ちた音が聞こえた。その正体はこぶし大のスライムだった。
そして、そいつの落下を皮切りに雨のようにスライムが降ってきた。
ぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとっ!!!!
「うわぁあああ!!?」
「ふにゃあああ!!?」
突然の大量のスライムの襲撃に動揺したが、この程度なら対処できる。俺は剣の面でスライムを一匹ずつ叩き潰していく。小さいスライムならこの方法で塊ごと核を潰せるが、サイズが大きくなると核に当てるのが難しくなってくる。
だが、黒髪の少女はサイズに関わらず、触れた瞬間からスライムを爆散させていく。何か魔法を使っているのか……?
「何ぼーっとしてるの! 後ろよ!」
俺は黒髪少女の流れるようなスライム退治に見惚れてしまい、背後の人ひとりを余裕で呑み込めるほどの大きなスライムに気付けなかった。
「しまっ…………ぐッ!」
振り向いた時には巨大なスライムから伸びる触手に掴まり、身体の中に引きずり込まれてしまった。体内にスライムが入らないように息を止め、目をつぶる。当てずっぽうで核を攻撃できないか無我夢中で剣を振るうが、全く手ごたえがなかった。
それでも諦めずに剣を振り続けるも、手を滑らし、剣を手放してしまった。手探りで剣を探すも見つからない。息ももう続かない。
何だ……? スライムが揺れている? 俺に止めを刺そうとしているのか?
手先から力が抜けていく。俺は英雄になれずにこんなところで終わるのか……。悔しい……悔しい……。
諦めかけたその時、目の前に何かが揺れた気配を感じ、思い切って目を開けてみると、黒髪の少女がスライムの中を泳いでこっちに寄ってきた。水に漂う黒髪は艶やかで、品のある真剣な顔立ちに目を引かれてしまう。
美しい……。
命の危機だというのに、思わずそんなことを思ってしまった。少女は両手を自身の胸の前に当てると、彼女が身に着けている首飾りがぼんやりと光り始めた。
その光が強くなるにつれて、スライムを構成する水がごぼごぼと音を立てて揺れ動く。一層光が強くなった瞬間、彼女を中心に水が押し退けるように外へ膨らんだ。
「《退けるは我が波紋》!!!」
彼女がそう唱えた瞬間、俺を飲み込んでいたスライムの身体は周囲に飛び散るように吹っ飛んだ。スライムから解放された俺は、短い時間のはずだったが久しぶりに感じられる空気を肺に急いで取り込んだ。
「はぁー……はぁー……はぁー……」
「大丈夫?」
「ああ……はぁー……助かった……」
息を整え、落ち着いて辺りを見渡すと、地形がスライムに呑み込まれている前と様変わりしていた。まるで蟻地獄のように俺を取り囲む形で地面が沈んでいたのだ。
「ガルル……」
蟻地獄の上から俺たちを見下ろしていたのは、俺を土の壁で川に落とした虎の魔物だった。俺がスライムに呑み込まれている隙に、土の魔法で沈めて始末しようとしていたのか……?
「おい! 下がっていろ!」
「きゃっ」
俺は地面に転がっていた剣を取り、黒髪の少女を押しやるように前へ出た。
虎の魔物め! 俺が相手だ!
「ガル……」
「うぉおおおおおおおおお!!!!」
俺は坂を一気に駆け上がり、虎の魔物の頭上に剣を振り上げる。虎はただ真っすぐに俺を見つめていた。
避けるまでもないってか? くそったれ!
嘗めんじゃねぇえええええ!!!
「でりゃぁぁああああああああぐぼごぉばぁぁあああああああッッッ!!!!!????」
虎の魔物に剣が届く寸前で、俺の身体は何かに弾き飛ばされるように宙に吹っ飛んだ。視界の端にまた茶色い流星が見えた気がした。
なんだ……なんなんだ…………何が起こってんだよぉもぉおおおおおお!!!!!
俺は空中で意識が途切れるまで状況を把握できずに戸惑うしかなかった。
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