1-48 騒乱のダンジョン・表 冒険者ダンは届かない
「じゃあ、エバード。その手袋に乗ってくれるかい?」
「ホホーゥ」
このダンジョンの管理者だと自称する「マシロ」という者がフクロウの名を呼ぶと、一番大きなフクロウが飛び上がった。マシロが苦い表情をしているのが気になったが、今この瞬間、他の奴らの注目は飛び上がったフクロウに集められた。
(今なら抜け出せるか……?)
隙を見てダンジョンの探索をしようと思い、辺りを見渡すと壁に垂れ下がっていた長い布が不意にめくれ上がった。その長い布の裏にはダンジョンの奥に通じる横穴が隠されていたのだ。
(奥から風が吹いてきたのか……? あの横穴の奥に空間が広がっているに違いない!)
俺は奴らがフクロウと戯れている隙に横穴へと足を踏み入れた。
「きゃあっ!?」
カレンの甲高い悲鳴が聞こえた。後ろ髪を引かれる思いに苛まれたが、今は探索を優先しなければならない。そしてこのダンジョンを踏破し、その功績で勇者に弟子入りするんだ。そうすれば俺も英雄に…………何で俺は英雄になりたかったんだっけ……?
いや、余計なことを考えるな。この先に魔物がいるかもしれないんだぞ。気を引き締めろ。
俺は下り坂に注意しながら暗闇の中を壁伝いで先に進んでいった。途中からダンジョン特有の「ヒカリゴケ」が増えていき、光源に困らなくなった頃、先ほどの動物たちがいた空間よりもずっと広い空間に出た。
「ここは……」
その空間はツララのような岩が数えきれないほど天井からぶら下がっており、地面にはその岩の上下を反対にした細長い山のような岩が所狭しとひしめき合っている。その地面の岩の間に収まるように、根元から折れて落ちた天井のツララのような岩が挟まっている。
そしてその折れた岩の断面を足場にして戦っている人間と動物が目に入った。
「ほぉら、どうしたストラ君! これで終わりかの?」
「ガルルルルゥ!」
背面からしか見えないが赤黒い髪の男は剣を振るい、黒い線の模様が入った茶色い獣と戦っていた。あれは……虎か? だが、ただの虎にしてはデカすぎる。戦っている男の二倍の高さはあるぞ。
さらにその奥には虎と同じくらい大きな銀色の狼が俺を睨んでいた。右目に傷があり閉じているが、片方の目だけでも俺の身体を強張らせるには十分だった。ここまで距離があるが、一瞬で距離を詰めてきそうな気迫がピリピリと伝わってくる。
間違いない、奴らは魔物だ。
そもそもこの状況は一体何なんだ? あの男が冒険者だとしたら、ダンジョンの初踏破という手柄を奪われかねない。いや、あのデカい魔物を二体も纏めて相手取っている実力者だ。助太刀した方が得策だろう。
「おいあんた! 手を貸そうか?」
「ん? 誰だ?」
「!?」
俺の呼びかけに振り向いた男の顔には深い皺が刻まれていた。その皺からは大剣を振るい、巨大な魔物と戦えるとは到底思えない程の老いを感じるが、それ以上に口から耳にかけて裂けている右頬の傷に目を見張った。まるで悪魔を思わせる不気味な傷に身が竦んでしまう。
「村の者ではなさそうだのう。一階層で何かあったのか……これこれオズヴァルフ殿、落ち着きなされ」
傷の男は歯茎を剥き出して威嚇する狼を手懐けていた。こいつ……まさか!
「しかし侵入者ならば追い返さねばならんな。ふむ、ではストラくん。儂が教えた魔法で実践と行こうではないか」
「ガルゥ!?」
魔物を使役している!?
色々合点がいった。あの傷の男やマシロとかいう奴は魔物を飼い慣らし、手下にしている。魔物を使って何をするのかは分からないが、絶対に良からぬことを企んでいるに違いない。
「グルルゥ……」
虎の魔物がゆったりとした足取りで近づいてきた。傷の男の指示に従い、俺を始末しに来たのだろう。
奴と俺の間には堀のような窪みがあり、その下に川が流れている。あの巨体ならば窪みの幅など簡単に飛び越えられるはず。だが、そこが隙だ。
「…………すぅ」
俺は剣を横に構え、体勢を低くした。虎が窪みを飛び越えようと身を屈んだその瞬間、俺は窪みを飛び越え、虎に向かって剣を振るいあげた。
「ガルゥ!?」
虚をつかれた虎は間抜けたな鳴き声を発しながら俺を見上げている。そのまま驚いていろ。脳天をかち割ってやる!
「うおおおおおおおおおおおおおッ、がふっ!!?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。俺は真っ暗になった視界と全身の衝撃で混乱したまま、重力に従って下に落ちていった。
「ぶはっ!?」
窪みの下に流れている水に落下したことで大事には至らなかったが、鼻から鼻血が出るほど顔面が痛かった。
鼻血を拭い、足が付くぐらい浅い川の中から見上げると、虎の正面には今までなかったはずの土の壁が立っていた。俺が窪みを飛び越えようとした時、虎に到達する直前で下から土の壁がせり上がり、それに顔面から激突してしまったのか……?
土の壁はまさかあの虎が……。
「だ、ダンさん! 大丈夫ですか!?」
背後からマシロの声がした。ちっ、もう追いつかれたのか。だがカレンとヴァレニアもいる。彼女たちが援護をしてくれれば、もっと戦いやすくやるはずだ。
……そう期待したのも束の間。ヴァレニアは斜めに立てた自分の杖に足を掛け、そっと囁いた。
「《翔・輝煌》」
杖の先から凄まじい勢いで炎が噴出し、片手で杖を掴んでいたヴァレニアごと宙に射出した。ヴァレニアは炎を噴き出しながら宙を飛ぶ杖の上に器用に乗っている。
そして傷の男目掛けて一直線に飛び、その勢いのまま炎を纏った杖で斬りかかった。
「ふふ、久しいな」
「帰ってきておったのか……!」
傷の男が持っていた剣からも炎が巻き上がり、ヴァレニアの杖と激突した。一瞬の鍔迫り合いの後、互いの炎が弾け、ヴァレニアは空中で身を翻しながら傷の男から距離を取った。
「随分と腕が鈍ったようだが?」
「儂はとうに騎士を引退した身でな。今は隠居生活を楽しんでいる所なのだよ」
「ふぅん。隠居したのなら、アレの相手は私がしてもいいか?」
ヴァレニアが杖で指し示した先にいたのは、もう一体の魔物である銀色の狼だった。虎と同じくらいの巨体を持つ狼は、その身を低く下げ、彼女を警戒するように低いうなり声を上げていた。
「あの狼って、風の魔法を操る伝説の魔獣「烈風の狼」なのでは? あんたはもう闘ったのか? 私も闘いたい」
ヴァレニアは傷の男の静止を聞かずに狼に突っ込んでいった。狼は自身に風を纏いながら応戦している。あっちはヴァレニアに任せて、俺は――
「おい虎! お前の相手は俺だ!」
「ガルルゥ……」
窪みの淵で身を屈んで俺を見下ろしていた虎に剣先を向け、宣戦布告をする。だが俺の宣言は無視され、虎は興味なさそうに去ってしまった。
「くそっ……嘗めやがって……。おいカレン! こっちに来て俺のサポートをしろ!」
「う、うん! えぇい!!」
俺が窪みに落ちた原因の土の壁はおそらくあの虎が魔法で作ったものだ。ならば同じ魔法使いのカレンに支援してもらいつつ仕留めるしかない。
俺は虎を追おうと窪みの壁をよじ登っていたら、何故かカレンは窪みに飛び込んで水浸しになっていた。
「ひゃぁあ! 冷たいぃ~!!」
「はぁ!? 何でお前も落ちてんだよ!」
「なっ! あんたが「こっちに来い」って言ったんでしょーが!」
「今からあの魔物と戦うんだから、この窪みは飛び越えろよ! 二人して落ちてどうする!」
「えっ……だ、だったら始めからそう言ってよ!」
お前が勝手に勘違いしたんだろうが! もたもたしていたら魔物に逃げられてしまう。カレンに壁をよじ登らせようとしたが、
「杖が邪魔で登れない……」
「先に杖を投げ入れてから登れ!」
「そ、そんなことしたら杖が傷ついちゃうでしょうが! この杖本当に高かったんだから!」
「ああもういい! 下流の方の壁が低くなっているからそこから登れ!」
ぶつぶつと文句を言いながら川を下るカレンを尻目に壁を登りきる。虎の魔物は地面から何本も生えている針のような岩の間をすり抜けるように去っていった。
「待っ……ッ!?」
虎を追いかけようとした瞬間、高熱を帯びた突風に体勢を崩される。それはヴァレニアと傷の男、そして狼の魔物の戦いによる余波だった。
「《巴・流煌》」
「《渦炎旋》!」
「アオォォオオオオン!!!」
ヴァレニアと傷の男の剣から渦上の炎が、狼の口から竜巻が放出し、三方向から同時に激突した。弾けた炎が宙を舞い、霧散していくさ中、ヴァレニアは間髪入れずに杖から炎を射出させながら狼に斬りかかった。
傷の男は狼を守るようにヴァレニアの炎を剣で受け止めた。しかし連係ミスかは分からないが、狼は刃のような風を傷の男ごと巻き込むようにヴァレニアに放った。
「儂、諸共か! ぬぅん!」
気合の入った掛け声と共に傷の男は片足を地面に勢いよく踏みつけると、地面から土の壁がせり上がり、風の刃を防いだ。
「矛を納めんかヴァレニア!!」
傷の男はヴァレニアを弾き、輝く剣を地面に突き刺した。すると彼を中心に炎と岩が巻き上がった。凄まじい熱気が遠くで眺めている俺にも伝わってくる。
「あはははははははははは!!!」
「ガルルルルルルルル!!!」
近づくことさえ困難であろう熱気を物ともせず、ヴァレニアと狼はその炎の竜巻の中に突っ込みながらさらに魔法を繰り出した。
(何だこれは……。これが魔法使いの戦い……?)
俺は目の前の光景が信じられず呆然としてしまう。魔法を使った戦いを見たことはあったが、ここまで壮絶なレベルの魔法の撃ち合いを体験したのは初めてだった。勇者も魔物とこんな戦いをしているのだろうか。
あれが俺が目指す場所なのか……?
「キャアアアアアアアアア!!」
失意の中、突如ダンジョンにつんざくような悲鳴が響き渡った
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