1-36 獣の決意
ストラが作ったほら穴から地上に向けて垂直に開けた穴、そこを両手両足でよじ登るストラに咥えられている僕。穴の出口に待ち構えるように浮遊している大きなスライムに驚いてストラが悲鳴を上げるとどうなる?
「ああぁぁぁー……」
『ま、マシロ―!?』
そりゃ落ちますよ。地下のほら穴に逆戻りです。というかこんなボロボロな身体の状態で落下したら今度こそ終わる。足から落ちるから流石に死にはしないんだろうけど、痛いんだろうなー、嫌だなー。まあ覚悟するしかないか、よし来い! 来るなら来い!
「…………あれ?」
ぎゅっと目をつぶって来るであろう痛みを待ち構えていたが、いくら待てども何も起きない。恐る恐る目を開けると僕は宙を浮いていた。
「えぇー……、なにこれぇ……」
今までのストラに上から吊り上げられていた時とは異なり、下から見えない何かで押し上げられている感覚がする。いや、これは……空気?
僕を押し上げていた空気は風になり、垂直の穴に張り付いていたストラごと地上に吹き飛ばした。
「うわぁっ」
『ぎゃわぁああああ!!?』
僕たちは空中に放り出され、今度は重力に従って落下を始めた。だがまた下から空気が押し上げる感覚がして、地面に叩きつけられることなくゆっくりと着地した。
そして安堵する間もなく、空中を浮遊するスライムが僕たちに覆いかぶさるように頭上に移動してきた。まるで雨を防ぐ傘のように薄く広がりながら。……ん? これは二階層で見たスライムとは違うような……?
「ストラ! マシロ!」
『わぁあ!? ヒトだぁああ!!』
「フィーニャ! ……さん」
目の前にいたのはヒト形態のフィーニャだった。そしておそらくこのスライムのような水の塊は彼女の水魔法だろう。水を操って雨で濡れないように僕たちを守ってくれている。さっきは水鉄砲程度の水しか出せなかったのに、こんなすごい魔法も使えたんだな。……いや、昨日のテオドールの魔法を防いだ時のように、ヒトに変身しているからこそ使えるのか?
彼女の傍には大狼のオズヴァルフが静かに佇んでいた。雨が彼の身体を沿うように流れており、体毛が一切濡れている様子はなかった。きっとその現象や僕たちを地上に吹き飛ばした風は彼の風魔法だったのだろう。
「ストラ、このヒトはフィーニャさんだよ。彼女はヒトに変身できるんだ」
『えっ! そ、そうだったんだ……』
ヒトの姿のフィーニャに怯えていたストラを宥める。僕のことは怖くなくなったみたいだが、やっぱりまだ見知らぬヒトに対しては恐怖心が出てしまうようだ。一方、初見とはいえ知り合いであるストラに怖がられてしまったフィーニャはスカートを握りしめ、目に涙を溜めていた。そんなにショックだったのか……?
「ばかっ! ばかばかっ!!」
『ご、ごめん! フィーニャだって分からなくて……』
「フィーニャさん、落ち着いて……」
フィーニャは僕とストラの間に飛び込んで、それぞれの腕で僕たちの頭を抱き寄せた。
「心配したんだからぁああ……!!! うわぁぁあぁあああん!!!」
僕たちに顔をうずめながら泣きじゃくるフィーニャ。泥で汚れた服から彼女が今までずっと僕たちを探していたことが窺える。ストラだけじゃなく僕も突然消えたら、そりゃあ心配かけちゃうよな。
「ごめん……でも僕もストラも無事だよ」
『お、おいらが勝手に出て行ったばかりに……』
「うっ……うっうっ……」
僕は嗚咽を漏らしているフィーニャの背中をぽんぽんと叩いた。まだ離してくれないが少し落ち着いてきたようで泣いている声が小さくなっていく。傍で静観していたオズヴァルフが近づいてきてストラに説教を始めた。
『ふん、フィーニャ様のお手を煩わせおって。このヒトごときがお前に危害を加えるほどの力を持っていると思うのか?』
『す、すみません……師匠……』
その通りだけどわざわざ口にすることなくない?
『罰としてお前が開けた穴は雨が止んだ後にでも埋めておくんだな』
『はい……』
まあ、今すぐにやらされるよりは温情なのかな。オズヴァルフは地面の穴を嗅ぐように覗き込みながら、周りに聞こえないぐらいの小さな声でぶつぶつと呟いていた。
『やはり魔法の素質はあるな……しかし土の属性か……我が他の属性魔法が使えればな……』
『師匠! 師匠がおいらに修行を付けてくれるのは、危害を加えてくる敵から皆を守る力を身に着けるためなんだよね!』
『ああ……だがお前がヒトを恐れるというのなら、無理強いは……』
『違うんだ師匠! おいらがヒトが怖かったのは、ヒトのことを何にも知らなかったからなんだ。ヒトはマシロみたいに変な奴もいるんだ!』
おい、変な奴とはなんだ、自覚あるけど。
『ヒトはこいつのようなおかしな奴ばかりではない。我らには到底理解できない理由で襲ってくる輩もいる』
『……でも知りたいんだ。なんであいつらはお母ちゃんを連れ去ったのかを……そしてもう二度とあんな想いをしたくない』
ストラは立ち上がり、オズヴァルフに真っすぐと向き合った。その瞳は決意に溢れていた。
『おいらは力が欲しい! 皆を守れる力を! だからもっと戦い方を教えてほしいんだ!!』
ストラから猛々しい気迫がひしひしと伝わってきた。弱弱しく丸まっていたストラはもういない。そこにいるのは勇気溢れる一匹の獣だった。
『…………分かった。今まで以上に厳しくいくぞ』
『お願いします!!』
『だが土の魔法となると……奴なら使えるが……いやしかし……』
オズヴァルフはまたぶつぶつと呟きながら悩んでいる。土の魔法を使える人物は自分にも心当たりがあるが、己のプライドと弟子の頼みを天秤に掛けているだろう。可愛い弟子の頼みなんだからさっさとその天秤のバランスを崩しちゃいな。僕が重りを一つ置いてやろう。
「テオドールさんだったら、オズヴァルフが頭を下げれば喜んで引き受けると思うよ」
『黙れ小僧!!』
うわっ、どこかで見たことある大狼の怒号だ。すげぇ迫力。
「何があったかは分からないけど、少し見ない間にストラは一回り大きくなった気がするわね。それなのに……」
えっ、僕ぅ? じと目で僕を見つめるフィーニャは何か言いたげだが聞きたくない。そうですよ、成長しませんよ、僕はぁ!
「まあ、いいわ。私たちの中で一番目を離しちゃいけないのは、あなただってことが分かったから」
「え?」
「一瞬、離れただけでいなくなるなんてことある!? しかもこんなボロボロになって……どうしてそうなるのよ!」
「い、いや、これは崖から落ちただけで……」
「はぁああああ!!!?」
やばっ、口が滑った。激しく動揺するフィーニャを落ち着かせようとしたのか、ストラが助け船を出してくれた。
『フィーニャ、実はおいら、先に崖から落ちていて……。マシロが落ちてこなかったら……』
「そうそう、それでストラの魔法で助かったんだ」
「あ、あなたストラがいなかったらもっと大変なことになっていたのね!」
『い、いや、そもそもおいらが落ちていなかったら……』
「何言ってるか分からないけど、ストラはちょっと黙ってて!」
『えぇー……』
魔獣の言葉が分からないヒト形態のフィーニャには、ストラの助太刀は全く届いていなかった。それどころか僕が全面的に悪いということになっていそうだった。まあ、崖際で折れている枝を見つけた時点でフィーニャに呼びかけておけば良かったんだけども。
「今回であなたは結構危なっかしいことが分かったわ。下手したらドドドよりも」
ドドドには失礼だけど、そこまで言われちゃう?
「これからは私たちのために無理をすることだけは止めて。お願いよ」
無理をしているつもりはないんだけど……
「でも本当に……本当に無事で良かった……」
心から安堵したかのような落ち着いた口調で囁きながら、フィーニャは僕の胸に顔をうずめるように抱きしめてきた。こんな僕の身を案じてくれるフィーニャはなんて心優しいのだろう。改めて謝ろうと彼女の方に顔を向けたら、そこにあったのは持ち主がいないワンピースだけだった。
「あ、あれ!? フィーニャさん!?」
彼女の服がもぞもぞと動き、中から出てきたのは猫の姿に戻ったフィーニャだった。
『んぱぁっ! なんでか分からないけど戻っふぎゃぁああ!!!?』
フィーニャの魔法で操作していたと思われる水の塊は、ずっと傘のように僕らの頭上で雨を受け止めていた。それが突然、形が崩れて落下したのだ。
『ぶはぁあ!?』
『み、水だわ!? なんで!? え、なんで!?』
「い、いや、君が浮かせてたやつなんじゃ……」
全身水浸しになったストラとフィーニャは混乱している。僕もずぶ濡れだがもう慣れてしまった。
『一先ずダンジョンに戻るぞ。ストラ、フィーニャ様をお連れしろ。……あと、そこの動けさなそうな白いヒトもな』
「マシロです……」
ストラは僕とフィーニャを背中に乗せ、ダンジョンへと駆けた。うつ伏せになり全身でストラの毛を堪能する。しかしずぶ濡れだからさっきまでのふかふかが味わえないのは残念。そんなことよりも僕とストラの間に挟まっているフィーニャが心配だったのだが、彼女はすでに落ち着きを取り戻していた。
『マシロ……ストラを見つけてくれてありがとう。あなたがいて良かったわ』
いや、たとえ見つからなくてもストラは自力で戻って来られただろうし、僕がいなかったらそもそもストラは出て行かなかったはずだ。結局、僕は足を引っ張っただけなんだ。僕なんて……。
『マシロ?』
返答せずにいたらフィーニャはきょとんとした表情で僕の顔を覗き込んできた。僕は咄嗟に誤魔化すように口早に言い訳をした。
「そ、そうだね。でも僕は何もやってないよ。これからやらなきゃいけないことが沢山あるし、もっと頑張るから……。フィーニャには見ていてほしいな」
『? わ、分かったわ』
そうだ。僕はまだ何もやっていない。何も始まっていないんだ。僕はあのダンジョンを「超癒しダンジョン」にしなければならない。皆の居場所を守るために。僕の居場所を見つけるために。僕は頑張らなければならないんだ。
なんて心の内で決意を固めていたが、その後全身の打撲と発熱により一週間ほど寝込むのであった。
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