1-30 お着換えできるかな?
『あら、お帰りなさいませ。……あらあらまあまあ、ドドドくんどうしましたの?』
第一階層に戻った僕たちを出迎えてくれたのは、老描のセレニャだった。セレニャは僕の腕の中で蹲っているドドドを気にかけてくれている。ただ魔力切れで寝ちゃっているだけなのだが。
「疲れて寝落ちしちゃって……セレニャさん、フィーニャがまたヒトに変身してしまったので、彼女の服を出してもらえませんか?」
『あらぁ、畏まりましたの。少しお待ちください』
『フィーニャ様、着きましたぞ。いい加減降りてくだされ』
「ふみゅう~、ぬくいわぁ」
当のフィーニャはオズヴァルフの背中に跨って、彼の毛に包まれるようにうつ伏せになっている。壁際に向かって歩き出したセレニャを見送り、僕は未だに猫たちが集まっている僕の毛布にドドドをそっと置いた。ドドドは寝息を立てながら時折前後の脚をバタバタさせている。
『すぴー……すぴー……はふっはふっはふっ……すぴー』
『ドドドのやつ、寝ちまったのか? こいつ一度寝るとなかなか起きねえんだ』
『それに寝相が悪い。起きてるんじゃないかと思うくらい動く』
『夢の中でも走ってるんじゃないかな? ボクみたいに優雅に振舞いたまえ』
毛布の上で寛いでいたレフ、ライ、ナルの三猫は寝ながらも動いているドドドに巻き込まれないように立ち上がった。だがそれでも毛布が恋しいのか、三匹ともそれぞれ毛布の端で前後の脚を折りたたむ香箱座りをしている。そんなにも毛布を気に入ってしまったのか……、寝不足の僕が使える時は来るだろうか。
「わぁあ! オズぅー! 落ちちゃうわぁ!」
『落とそうとしてるのです』
『フィーニャ様、お服を持ってきましたよ』
オズヴァルフは身体をゆっくり揺すって背中に乗っているフィーニャを降ろそうとしていた。フィーニャは振り払われないように必死にしがみついている。
セレニャは器用に頭の上にフィーニャの服を乗せ、彼女に話しかけているが、現在魔獣の言葉が分からない彼女は呼ばれていることに気付いていない。僕は土製の椅子を彼らの前まで運び、彼女を狼から引き剥がすために手を差し伸べた。
「フィーニャさん、そのままだと寒いですし服着ましょ」
「う~、分かったわ。とぉっ」
「ふぎゃ!?」
フィーニャは狼から僕へと飛び降りてきた。彼女の全身を抱きかかえるように両手で受け止めるも、耐えきれず倒れ掛かる。なんとか勢いを殺そうと何回転かして、そのままフィーニャを椅子に座らせた。
「おぉ~、やるわねマシロ」
「はぁ……はぁ……危なかった……」
初めてヒトになったフィーニャと会った時のように押しつぶされないで良かった……。久しぶりに自分を褒めてもいいんじゃないか? こんな突発的な危機を上手い具合に回避したんだから。
「じゃあマシロ! 服着せて!」
だが更なる危機が待ち受けていた!
「着せる……? 僕が……?」
「昨日はエリーザさんに着せてもらったけど、自分じゃ服の着方なんて分かんないもん」
フィーニャは脚をふらふらさせながら唇を尖らせていそうな口調で拗ねている。当然、全裸の彼女を視界に入れないように視線を逸らしているから、実際に唇を尖らせているか分からないが。
「こ、今回だけです……。服の着方を覚えてくださいね」
「はぁい」
僕はセレニャからフィーニャの服を受け取り、覚悟を決めた。無心で仕事を淡々とこなす覚悟を。
「はい、両足を上げてください。……後ろ脚です。はい、一度立ってください。はい。今度は万歳です。はい。そのままこの一番大きな服も被せてしまいましょう。はい、腕出ましたね。髪出します。首飾りも。はい、背中のボタン留めます。また座ってください。脚履かせます。手袋も」
マザーから貰ったワンピース型ゴシック服を可能な限り素早くフィーニャに着せていく。無心になるように集中したせいで、どっと疲れた……。他人に服を着せる経験なんてなかったが、案外上手くいくものだ。……いや、フィーニャが着やすいようにマザーはこのシンプルな服を提供したのだろう。流石マザーだ。
「はい、できました」
「わぁ~、マシロすごい! 手際いいわね!」
「マザーがくれた服のお陰ですよ。では、次からは自分でお願いします……」
「えぇ~……じゃあ、脱ぎ方も教えてよ」
着せるよりもダメな気がする。
フィーニャの要求をなんとか受け流していると、彼女はハッとした表情を浮かべた。
「あれ……? ストラはどこにいるの?」
寝不足で頭が回っていないため気付かなかったが、そういえば一階層に戻っているはずのもう一匹の猫の「ストラ」がこの場にいないな。
『あれ? またフィーニャ、ヒトに変身してんだ』
「ねえレフ! ストラはどこに行ったの!?」
『んー? ストラなら外に出て行っちまったぜ?』
「あなた、にゃあにゃあ何言ってるの?」
『言ってねえよ!』
いや、魔獣の言葉が分からないヒト形態のフィーニャにはそう聞こえているんだ。会話ができないことを忘れているフィーニャに彼の言葉を通訳すると、彼女は途端に焦る様にぶつぶつを呟き出した。
「ストラが外に……? そんな……今すぐに追いかけなきゃ……そうだ、オズヴァルフ! ストラの匂いを辿れる?」
オズヴァルフに呼びかけながらダンジョンの出口に向かうフィーニャだったが、外の景色を見て立ち止まった。
「雨だ……」
『これでは奴の匂いを追うのは困難ですな。フィーニャ様、ここは冷えます故、お戻りくだされ』
今朝から曇り空だったが、ついにぽつぽつと雨が降り出していた。フィーニャは懇願するような瞳でオズヴァルフを見つめるが、それを彼は首を振って応えていた。雨で匂いが消えてしまうのか、彼はもうストラの追跡を諦めている。
「わ、私は探しに行くわ。そこで待ってればいいわよ!」
フィーニャは雨粒が降り注ぐ外へと駆け出した。しかし、すぐに戻ってたきた。
「ぷるるるるるるっ! ぬ、濡れたわぁああ!!」
フィーニャは雨で濡れた身体から水分を飛ばすように、大きく上半身を震わせている。彼女を心配して集まってきた猫たちは、わー、ぎゃー、と飛び散った水滴から逃げ惑っていた。
水が苦手な猫は、雨の日は基本雨宿りをして寝ているもので、わざわざ外に出て雨に当たるなんてことはしない。たとえヒトに変身中のフィーニャでも雨への苦手意識は変わらないのだろう。
「僕が探しに行きますよ。フィーニャさんはここで待っていてください」
「マシロ……?」
ここは多少濡れても平気な人間の僕が行くべきだ。ストラが何故外に出て行ってしまったかは分からないが、水が苦手な猫が雨に晒されているのは酷だろうし、探しに行った方がいいはずだ。
「じゃあ、なるべく雨が強くならない内に行ってきます。では!」
「え、え? マシロ! ちょっと待って……」
僕はフィーニャの制止も聞かずにダンジョンを出て行った。彼女に良い所を見せようとした結果なのだが、すぐさま後悔することになる。
「あ……「ストラ」の見た目も分からずにどうやって探せばいいんだ……?」
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