1-27 初めての魔物との遭遇・THE定番
『あまりここに来たくないのよねぇ……』
広大な鍾乳洞の景色に見入っていると、フードの中のフィーニャが不満そうにぼやいていた。この空間は夏とかだとひんやりして気持ちよさそうだが、そもそも鍾乳洞は基本湿度が高いため、湿気を好まない猫にとっては避けたいフロアなのだろう。
『わははーい! あははー! えいえいえーい!』
一方、先行していたドドドは楽しそうに円錐状に地面から伸びた結晶――石筍を躱しながら走り回っている。所狭しと形成されている石筍はまるで天然の迷路のようだった。天井からツララのように伸びている結晶――鍾乳石が折れて落下したのか、逆さにした円錐が何本も地面に突き刺さっていた。
『私たちはあの上を乗り移りながら修行することもあるの。まあ、あんな不安定な足場で修行するのは、主にオズヴァルフとストラなんだけどね』
逆さ円錐の鍾乳石は傍から見てもバランスが悪そうで、すでにいくつか倒れている鍾乳石もあった。この階層は魔獣たちの修行の場になっているらしい。もし天井から鍾乳石が降ってきて頭に当たったらケガじゃ済まなそうだ……。
そもそも一層目から下った分にしてはこの二層目の天井は高すぎないか? 下手したら地上に突き抜けてしまうだろう。第一階層でも予想したが、やはりこのダンジョンは魔法かなんかで空間が拡張されていそうだ。
『すんすん。ストラめ、隠れているな。臆病な奴のことだ。貴様を恐れているのだろう、ふっ』
オズヴァルフが皮肉交じりに僕に視線を向けてきた。僕を恐れる魔獣がいるわけないだろ。むしろ僕の方が恐れてるし、なんなら物陰から魔物とかがいつ飛び出してくるか分からないこの状況にずっと怖がっているわ。
『あっ、マシロ。あぐっ』
「あいてっ、な、なに?」
不意にフィーニャが僕の後頭部を甘噛みした。さほど痛くなかったが、反射的に仰け反ってしまう。その瞬間、足元に大きな水の塊が降ってきた。もし仰け反っていなかった、その水の塊はホゥベルトの糞のように僕の頭を直撃していただろう。
「ふぃ、フィーニャ、ありが……」
『マシロ、まだよ。あれを見なさい』
フィーニャが指し示した先にあるのは、先ほど落ちてきた水でできた水たまりである。その水たまりは揺らめくように中心に集まると、こぶし大の大きさの塊になった。その正体は異世界で定番の魔物、スライムだった。
「は……初めて見た……」
異世界に来て初めての魔物との遭遇で思わず気分が高まってしまう。しかも目の前でただぷるぷるしているスライムはあまり害がなさそうに見える。青色の水の塊の中に黒い点が二つ浮かんでいて、まるでつぶらな瞳でこちらを見ているようだった。
小さくて可愛いその魔物をほんわかとした気持ちで見ていると、スライムの身体からゆっくりと触手のようなものが伸びてきた。は、ハイタッチしたいのかな……と思い、自分も手を伸ばした時、
オズヴァルフが容赦なくスライムを踏み潰した。
「 」
辺りにスライムだった残骸が飛び散る。眼前の衝撃的瞬間に絶句してしまう。
『ふん、我々の縄張りを理解しない無知性生物め。また入り込んでいたか』
『危なかったわねマシロ。あのスライムっていう魔物は自身の身体で窒息させた後、ゆっくり溶かして捕食するんだって』
あ、僕、食べられかかってたの? 可愛い見た目で騙されてしまったがマザーの言う通り魔物はちゃんと人間の敵のようだ。そう言えば「スライムで服を溶かされる」なんてことも言っていたが、下手したらそのまま全身溶かされてしまうんだろうなあ。
『ま、安心しなさい。この階層にはスライムみたいな弱い魔物しかいないから』
愕然としていた僕を励ますかのように、フィーニャは僕の頭をぽんぽんっと叩いた。二階層に出現する魔物は魔獣たちが対処してくれる。それならば、一階層までならこのダンジョンにヒトを招いても大丈夫だろうか。
『スライムはこのじめじめした空間を好んでいるのか、上がってこようとしないわ。何か心配なの?』
「いや、他にはどんな魔物……が……」
僕のフードから顔を覗き込んできたフィーニャに顔を向けると、視界の奥に先ほどよりも大きなスライムがたくさんの触手をこちらに伸ばしていた。
「どぅう、わッッ!!?」
『きゃあ!?』
全力で身を捩ると、一瞬で僕らがいた地点に向かって全部の触手が積み重なっていった。後ほんの少しスライムに気付くのが遅かったら確実に触手に呑み込まれていただろう。だが、僕の半分ぐらいの高さがあるスライムは、まだ僕たちを捕食することを諦めていないのか、触手を手繰り寄せながら近づいてくる。
『びっくりしたー……こんなに接近されていたのね。でもちょっと大きいぐらいのただのスライムが私たちに勝てると思ってるの?』
『では、フィーニャ様に対処して頂きましょう。我は手を出しませぬ』
『え?』
オズヴァルフはそう言って座り込んでしまった。きょとんとしていたフィーニャだったが、すぐに僕のフードから飛び降りてスライムに戦闘態勢をとった。
『い、いーわよ! たまには私が戦うわ! 私だって強いんだから!』
フィーニャの目の間の空間が歪みだす。それは彼女が魔法を使う前兆の現象だった。
『喰らいなさい! 水魔法……えーと、えーっと……《激流波》!!』
その場で考えたであろう技名の魔法が放たれた。しかし、昨日ヒト形態の時に使ったダンジョンを洗い流すほどの水ではなく、ちょろっと水鉄砲のように少量の水が出ただけだった。
『あ、あれ……?』
フィーニャが放った魔法がスライムに命中すると、その水を吸収したのか、ずももももっと倍以上の大きさに膨れ上がった。
『えぇー……』
「お、オズヴァルフ! これヤバいんじゃないの?」
巨大化したスライムはその巨体で地面を這うようににじり寄ってくる。流石にこのままだとフィーニャの身に危険が及ぶと思い、静観している狼に助けを求めた。
『ふん、貴様フィーニャ様を嘗めているな。この程度の窮地、機転を利かせて脱するに決まっておるわ!』
『…………ンナーオ』
今の声にもならない弱弱しい鳴き声を聞いた? もう彼女の心折れちゃってるって!
スライムは自身の身体から極太の触手を何本もフィーニャに伸ばしてきた。彼女は動かない、いや怯えて動けなくなっているのだろう。何か彼女を救う手段がないか思案を巡らせていると、遠くから聞き覚えがある地響きが轟いた。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!
『わっふぅーーーーい!!!』
ドドドが高速でスライムに突っ込んでいった。その瞬間、スライムの身体は弾け飛び、残骸という名の飛沫が辺り一面に広がったのだった。
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