1-25 微睡みの朝、足りない睡眠
「お、おはよぅ、ございまスゥー……」
女神エクレノイアからの神託に従い、ダンジョンに向かった僕を待ち受けていたのは、そこを住処にしている魔獣たちだった。女神から貰った能力で魔獣の言葉が理解できる僕は、彼らの居場所を守ろうとした結果、このダンジョンの管理者になってしまった。
そんな一騒動あった次の日、早朝なのに薄暗い曇り空の中、僕はこのダンジョンを「超癒しダンジョン」にするため再び訪れたのだった。
ダンジョン内の魔獣たちは眠っていたり、追いかけっこをしていたりと自由気ままに過ごしていた。ダンジョンの奥には元騎士のテオドールに作ってもらった高台で寝そべっている大狼のオズヴァルフが見えた。彼と目が合い手を振ったが無視される。あのツンツン狼のデレはいつの日か見ることができるのだろうか。
ダンジョンの入り口で様子を伺っていると、顔を洗うように前足で自分の顔をこすっている一匹の黒猫が視界に入った。
『一雨降りそうね……あー! マシロ! よく来たわね、歓迎するわ』
僕に気付いた黒猫のフィーニャは、待ってましたと言わんばかりの表情で向かい入れてくれた。
「フィーニャ、おはよう……」
『うん、おはよ! ……って、どうしたの? 目が虚ろだけど』
おそらく僕の目は充血していて、焦点が合っていなかったのだろう。その理由は昨日、自宅に帰った時の出来事のせいだった。
◆
魔獣たちに今後のダンジョンの方針について軽く説明した後、僕は全身涎かぴかぴ頭糞人間から脱却するべく帰路に就いていた。太陽が沈みかけている頃に自宅に着き、扉の鍵を開けようとした時、違和感に気付いた。
……鍵が開いている?
こんな田舎なのに泥棒が出るのか? しかもよりによって戸締りをきちんとしていた僕の家に?
扉を少し開けて中を確認すると、夕暮れ時の薄暗い室内が見えただけだった。物音一つ無く。人の気配もしなかった。
な、なんだ……鍵を閉め忘れただけだったのかも……。
たまたま戸締りをし忘れていたと思い、家の中に足を踏み入れる。なんてことはない。少し疲れていて過敏になっていただけだ。早くお風呂を沸かして、服の洗濯もしなきゃ………あれ?
テーブルの上にカップが置いてあった。そのカップは元々この家にあった食器の一つだったが、僕が普段使っているカップとは別の物だった。
……誰か、いた?
バタン! と入ってきた扉が閉まった。肩がびくんっ、と跳ねあがる。外は少し強めの風が吹いている。そのせいで勝手に扉が閉まったのだろうが、僕の恐怖を煽るには十分だった。
い、一度出よう! そ、それで誰かに頼ろう! うん、頼っていいんだ!
軽くパニックに陥りつつも家を出ようとした時、ぎしっと床が軋む音がした。瞬間的に身体が強張る。
いるのか!? 今ここに?
床の軋む音がまた聞こえた。自分は音を出さないように家から脱出を試みる。だが扉にたどり着く前に、まるでこちらに近づいてくるかのように床の軋む音が大きくなっていく。
…………ッ! ……ッ! ッ!
息を殺し頭が真っ白になりながらも、なんとか扉まで辿り着いた。ふと気が付くと床の軋む音は無くなっていた。一瞬、心が緩み振り返ってしまった。すると目の前には――、
「マシロ殿?」
「うぁぁあああ!!?」
「おぉう? ど、どうした!?」
元騎士のテオドールがそこにいた。僕の叫びで逆に驚いた彼はダンジョンにやって来た時の装備は全て外して軽装になっていた。まるで自宅でリラックスしているかのように。
「な、なんでここに……?」
「いや、ここ儂の実家だもの」
「…………え?」
話を纏めると、騎士を務めていた頃は王都で暮らしていたテオドールだったが、騎士を引退し自宅に帰ってきた。そして村長から許可は貰っていたとはいえ、僕はその家を間借りしていた。つまり……
「ふむ、これからよろしく頼むよ。マシロ殿」
おじ様との強制共同生活が始まったのである!
◆
「……それで突然のルームシェアに緊張で余り眠れてないんだ」
出て行くことにならなかっただけでも御の字だが、まだ知り合って間もない人が近くにいると考えるだけで気を張ってしまう。そもそも血縁以外との共同生活なんてしたことがない。気を休めるために帰ったのだが逆効果になってしまった。
『ねぇーねぇー、色々持ってきたみたいだけどなにこれー?』
フィーニャは自分から僕の寝不足の理由を訊いてきたくせに、話し終えた頃にはとうに興味を失くしている様子だった。今は僕のぱんぱんに膨れたリュックの方が気になるようだ。
「ちょっと仮眠をしようかなと……」
僕は家から持ってきた自分用の毛布を広げた。地面に直置きだが仕方あるまい。たとえ魔獣たちが近くにいても人よりは緊張しないだろうし、今後ダンジョンで寝泊まりすることも増えるだろうという憶測で寝具を用意してきた。仕事場に泊る前提なのはどうかと思うが目を瞑ることにする。
『わぁ、すごいすごい! ふわふわするわ!』
『なんだなんだー? 何か面白そうだなー! 俺にも触らせろ!』
『ふんふん。なんだかずっと押し続けたい。ふんふん』
『新しいステージとしていいんじゃないか? ここボクのスペース!』
『…………Zzz』
あっという間に毛布は猫たちによって占拠されてしまった。僕の安眠はどこへやら……。
ふとダンジョンを見回すと、壁に寄せるように土製の椅子が転がっていた。それは昨日テオドールが土魔法で作った椅子で地面に固定されていたはずだが、おそらくオズヴァルフ辺りが風魔法で切り離したのだろうか。土の塊のため、見かけよりも重いその椅子を皆の前まで持ってきて座った。固い座り心地だったが我慢しよう。
さて何から始めようか……。
『みんなー! 集まって何して……あー!! 白いヒトだー!! 遊んで遊んでー!!』
僕に気付いた人轢きポメラニアンのドドドは段々と大きくなる地響きを鳴らしながら駆け寄ってきた。こうなることは予測済みだったので、すかさず僕はリュックからあるものを取り出し放り投げた。
「せいっ」
『わふっ!? わーい!!』
テオドールの家にあったおもちゃの木製ボールである。今回、彼の家の物置に仕舞ってあった品々を譲ってもらい、このダンジョンで有効活用できないかと持ってきたのだ。
ドドドは転がっていったボールを追いかけては咥えて、がしがしと噛んでいる。僕はボールに夢中になっているドドドを抱きかかえて、猫たちの前にある椅子に座り直した。
「ドドド。それ「ボール」っていうんだけど、気に入った?」
『うん! ぼくこれ好き!』
「じゃあ、それあげるから好きなだけ遊んでていいよ」
『いいの!? やったー! はぐはぐはぐ!』
ボールを噛むのを飽きない限り、ドドドは大人しく僕の膝の上にいるだろう。とりあえず今はこれでいいとして、今後他の人も来る予定だから突進する癖を治す訓練をしなくちゃな。
『やっぱすげぇなマシロは。あのドドドを手懐けるなんてな』
「そんなことないよレフ。ただドドドが素直なだけだよ」
ドドドがわざと人を轢くような真似をしていたら、こう上手くいかなかったはずだ。この子はきっと自分の持っている力が強大なことに気付いていないのだろう。制御する方法を学んだら、オズヴァルフぐらい強い魔獣になるかもしれない。
「丁度皆集まっているし、今更だけど改めて自己紹介するね。僕の名前はマシロ。人間のヒト族、でいいのかな。魔獣の言葉を理解することができるので、名目上このダンジョンの管理者になりました」
『「管理者」ってなんだ? 俺たちをどうにかしようってのか?』
「「管理者」ってのは人間側の都合だから君たちは気にしなくていいよ。ただ魔獣と人間の仲介する役だと思ってくれれば。後はできるだけ君たちのしたい事を叶えていければいいな、と思っているけど」
魔獣たちの役に立ちたい一心での発言だったが、フィーニャは自分の都合のいいように解釈してしまったようだった。
『つまり私の下僕ってことよ!』
『いやどっちかつーと俺たちの下僕だろ』
このスタンスで行くとしたら、下僕のことを否定できなくなってきたな……。
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