1-14 憤怒の中でカードを切る
フィーニャの手のひらから展開した円形状の水の壁は、降り注ぐ岩の勢いを吸収するように受け止めた。猫の時は水鉄砲ほどの水しか出せなかったとは思えないほどの大魔法だ。よく見ると水の向こう側にいるフィーニャの首飾りの宝石が鈍く光っている。
「あの若さでこれだけの魔法を扱えるとはな……!」
『おい、ヒトよ! 何故貴様からあの方の匂いがする!』
水魔法によって留まっていた複数の岩が重力に従ってゆっくりと落下した。もう降ってくる岩はないが、フィーニャはまだ水の壁を出し続けている。
「……フーッ、フーッ! フーッッ!!!」
肩で息をするフィーニャの興奮具合に呼応するかのように宝石の輝きが増していく。展開されている水の壁が勢いよく渦を巻き始めた。まるで何かが炸裂する前兆のようである。
こ、これはヤバそうだ! 退避ぃ―――!!!
「でぇぇぇえええいッッッやぁぁあああああああああああ!!!!!!」
渦を巻いた水の壁から凄まじい水量の激流が放出された。水が放たれる前にダンジョンの入り口付近にいた僕はすぐさま脱出し、入り口から岩壁に沿うようにダイブした。その瞬間、ダンジョンの入り口から水が氾濫の如く噴き出した。
水の勢いはすぐに弱まり、地面を滑りながらずぶ濡れの元騎士と大狼が流れてきた。まるでくしゃみによって体外に排出された異物のようだった。
『なんて魔法だ……ふんふんふん!』
「げほっかはっ! 死ぬかと思っ……こらフーロウ! 止めんか!」
オズヴァルフの犬や猫が水滴を飛ばすためにやる身体をブルブルと震わせる行為によって、テオドールはさらにずぶ濡れになった。
これで先の戦闘がうやむやになるかと思いきや、元騎士はあの水流に巻き込まれながらも手放さなかった剣を構え直し、再び戦いを始めようとしている。剣がぼんやりと輝くと、テオドールの濡れていた身体からぶわっと蒸気が発生し、たちまち服が乾いていった。大狼も彼に対抗するようにすぐさま臨戦態勢を取り、相手の出方を伺っている。
「いい加減にしなさぁああい!!!!」
しかし戦いが再開することはなかった。二者の間に入るようにフィーニャが立ちはだかっていた。いつの間にか二足で立っているフィーニャはレフを抱えながら、左右を交互に睨みつけ一人と一匹を制している。
『何者だヒトよ! 何故貴様がフィーニャ様の匂いを、にお、い……を……』
オズヴァルフは吠えるように間に入った人物を追及するが、急激に勢いを失くしていく。
「オ~ズ~ヴァ~ル~フ~?」
フィーニャがばちくそにキレていた。歯を見せるように口を開き、髪の毛が逆立ってる様はまさにケンカ寸前の猫のようだった。
『ま、まさか、きさ……いや、貴方は、ふぃ』
「あなたという者でありながら! レフがすぐそこにいたことに気付かなかったの!? 危ないでしょ!」
『フィーニャ様!? な、何故そのようなお姿に……?』
『やっぱフィーニャだったんだー! 匂いが同じだから変だと思ったんだ! すっげーなお前!』
ようやく謎の黒髪少女の正体がフィーニャだと気付いた大狼と、さっきまで怯えていたのが嘘のように元気になったレフ。フィーニャは二匹の言葉が理解できていなさそうだが、構わず話を続けている。
「ダンジョンもこんなめちゃくちゃにして! せめて外でやりなさいよ!」
「お嬢さん、邪魔をしないでもらおう。その狼は儂と……」
「邪魔なのはあなたよ! ここは私たちの住処なの! 出てってよ!」
「住処……? 待て、お主はいったい……」
フィーニャに責め立てられたテオドールは逆に彼女の肩を掴んだ。その行為が琴線に触れたのかオズヴァルフは牙をむき出し激高した。
『貴様ァ! フィーニャ様に触れる「おすわり!」はいぃい!!』
……がフィーニャの一喝ですぐさま座る結果に。ひと一人を丸呑みできそうなくらい大きな狼が、小さな女の子に叱られている様子は何とも珍妙だった。
「あのフーロウを従えただと……!? お主、もしやヒトに化けた魔物ではあるまいな!」
「ま・も・の・だぁああ?」
絶賛沸騰中のフィーニャにさらに燃料が投入された。これ以上、ややこしくなるのは困る!
「誰が魔物だってぇ? 私たちはまじゅ――」
「テオドールさん! 一旦話し合いましょ! もう戦う必要なんてないですし!」
無理やりフィーニャを遮って話を逸らした。なんとかしてテオドールさんには一度帰ってもらおう。そうしたら今度はちゃんとしたダンジョン攻略班が派遣されてくるかもしれないから、その前に魔獣の皆には避難してもらって……ここが彼らの居場所なのに……?
もしここから離れて動物に扮するとしても、オズヴァルフは? あんな巨体じゃ誤魔化しきれない……。そもそも彼らの気持ちは? 出て行ってもらえるよう説得できるのか? もっと穏便に済む方法はないのか? 僕はどうすればいい? どうする? どうするの??
「戦う必要がない? 何を言うておる。儂とその狼は戦いの決着を望んでおるのだ!」
「え? 望んでないですよ」
あ……パニックでつい言っちゃった。魔獣の話していることが分からない限り答えられない情報を。
「…………何を………………何を根拠に、儂を否定するというのだ!!!!!!」
うわっ、びっくりした。すげー怒るじゃん。また他人の地雷踏んじゃったのか……。何でそんなにキレ……いや、怒るというのはその人の触れられたくない部分だ。きっと本心では彼はオズヴァルフとの因縁に確信がないのだろう。事実、オズヴァルフは彼のことを忘れていたぐらいだ。
「十五年前からの宿敵なのだぞ! 儂とフーロウは!」
「あ、彼はフーロウという名前じゃないですよ。彼の名はオズヴァルフです」
「は?」
「ま、マシロ?」
『ほう? 何をするつもりだ? 魔獣の言葉を理解せしヒトよ』
僕は賭けに出た。この判断がどう転ぶか分からない。最悪、僕はこの村にいられなくなるかもしれない。でも……。
後ろを軽く振り返ると、戸惑っている黒髪少女とほくそ笑んでいる大狼、そして心配そうな眼差しを向ける魔獣たちが見えた。
彼らのために何かをしてみたい。そう思ったんだ。
「……儂が奴を見間違えたとでも言いたいのか?」
「い、いえ、彼は間違いなく十五年前、貴方と戦った狼です。でも彼は貴方と戦いたくなさそうでしたよ」
「……何故分かる」
僕はここで手札のカードを切る決断をする。本来なら誰にも打ち明けずに隠していた方がいいに決まっている。バレたら変人……いやフィーニャのように魔物が化けていると勘違いされてしまうかもしれない。引き返すなら今しかない、だけどもう勢いで突っ走っちゃえ!!
「僕は、魔獣の言葉が分かるんです」
この続きは明日の17時更新!