1-10 ヒト・ネコ・エルフ
落ち着きがない全裸コートの黒髪少女を背負い、ようやく森を抜ける。目的地はもう目と鼻の先だが、僕らの前に村の守護者が立ちはだかった。
村長の飼い犬――アレクである。
アレクは僕らを警戒し低い唸り声を上げている。一歩でも前に進んだら噛みつかれそうな迫力だ。余所者の僕、あるいはおんぶしているフィーニャをこの村に入れないようにしているのだろう。もう少しでたどり着くのに……どうにかして通してもらえないか?
「動物風情が私の邪魔しようっての? 相手になってやろうじゃない!!」
魔獣であるフィーニャは、見た目は似ているが知能が異なる動物を基本的に見下しているようだ。だからって僕の背中から挑発しないでくれ!
「どうしたの? かかって「バウ!!」ひぃん!?」
アレクが低く一鳴きすると、フィーニャはびくっと震え、僕の背中に隠れるように身を縮みこませた。
「びっ、ビビってないわ。ちょっと驚いただけよ」
フィーニャは完全に怯えているようでずっと震え続けている。もし猫状態だったら尻尾がくるんと丸まっていそうだった。アレクは警戒心が強くなったみたいで、目線を僕たちから絶対に離そうとしない。おそらく回り道しても逆に先回りされてしまうだろう。
アレクの唸り声が大きくなる。絶対に余所者を村に入れてなるものか、という意志をひしひしと感じた。彼は村長の命令を遂行しようとしているのだ。アレク……今朝は「言葉が通じないと、結局何考えているか分からなくて怖い」なんて思ってごめん。通じても何考えているのか分からんものばっかりだったよ。
僕は心の中で謝罪し、アレクの目線に合わせるように屈んだ。
「マシロ?」
背中のフィーニャが戸惑っているが、僕は今の気持ちをそのままアレクに伝えた。
「アレク、いつも村を守ってくれてありがとう。でも、ここを通してくれないか? この子が困っているんだ。頼む……」
僕はアレクに頼み込むように頭を下げた。いつの間にか低い唸り声は消えていた。
顔を上げるとアレクは大人しくなっており、道を開けるように座っていた。
言葉が通じるかどうかじゃない、相手を尊重し、思いの丈を伝えることが大切なのだとようやく気付いた瞬間だった。
「ありがとう、アレク」
僕は急いで立ち上がり、目的地までの歩みを再開した。背中の上のフィーニャは未だに戸惑っている様子だった。
「ほら、フィーニャさんもお礼言わないと」
「えっ、あ、ありがとぅー「ヴォフ!」ひゃぁ!」
去り際に投げかけられた一鳴きは、僕らの行く末を応援してくれているような気がした。
村の守護犬に道を譲ってもらい、ようやく目的地の教会にたどり着く。
後ろ姿しか見えないが、教会の花壇で水やりをしている人物こそが魔法に卓越しているエルフ、マザー・エリーザである。
マザーなら人間の姿になってしまったフィーニャを何とかできるかもしれない。
「彼女は実質この村で一番偉い人だから、失礼のないようにお願いしますね」
「う、うん」
アレクの時のように他種族を見下して怒らせても困るので、背負っているフィーニャに一応忠告しておく。さっきの出来事で流石に堪えたのか、フィーニャは程よく緊張感を保っていた。これなら失言することもないだろう。
「マザー・エリーザ!」
僕が呼びかけると、マザーは機嫌が良さそうな調子で振り返った。
「はぁい♪」
「おっぱいでっかッ!!?」
おぉい!? 失礼のないようにって言ったでしょうが!
「ねえマシロ! あなたも見てよ! あんなおっきなおっぱい見たことないわ!」
僕を巻き込まないでくれ。それに人のおっぱいはそんなじろじろ見る物じゃない。……もしかして君、今も自分の言葉は人には通じないと勘違いしてない?
「はぁい、おっきぃですよぉ♪」
ノリノリなマザーはわざとらしく身体を揺らす。軽い動きに合わない重量感あふれる物体が激しくバウンドする。
「す、すごい……! まるでそれぞれ別に意志を持っているような……」
「ま、マザー! 相談したいことがあるのですが……!!」
これ以上エスカレートしても困るので、本題に入ろうと話を進める。
「ええ、では中でお話しましょうか」
僕らはマザーに案内され、教会の応接間に通された。マザーがぱちんと指を鳴らすと緩やかな風が吹き、カーテンが閉まっていく。入ってきた扉も自動で閉まり、鍵がかかった音がした。
「他の誰かに聞かれたくない話なのでしょう?」
マザーはこっちの気持ちを察しての行動だった。しかし、その行為はまるで僕らを逃がさないという意志表示の様だった。ここからは慎重に言葉を選ばなければならない。
なぜなら人にとって魔獣は魔物の一種で、人類の敵という認識だからだ。
フィーニャが魔獣だとばらさない方向で、なんとかフィーニャにかかっている魔法について調べてもらうようにしなければ……。
僕はフィーニャを椅子に下ろし、意を決して説明を始めた。
「あ、あのー、ですねェ! だんっ、ダンジョンへ行く道の途中でこの子を見つけたんス、ですよぉ! そ、そんでぇエ! なんかぁ? 魔法? みたいな? のが、かかってる的なァ?」
嘘 が 下 手 !
……というより、本当の事を言わないように誤魔化しまくっているのがなんとも見苦しい。
汗だらだらの僕をぽかんとした表情で見ていたマザーは、しばらくすると僕をスルーしてフィーニャに質問を投げかけた。
「お嬢さん、お名前は?」
「…………」
フィーニャは質問に答えず、椅子の上で身体が小さくなるように足を抱え、周りをキョロキョロしている。さては緊張してるな? 僕もだけど。
「フィーニャさん、訊かれてますよ」
「!」
小声で話しかけると、フィーニャはぴくっと肩を震わせた。そして僕とマザーの顔を交互に何度も見た後、思い切った様子で口を開いた。
「……こっ、こんにちは!」
……挨拶? 大切だけど何でこのタイミングで?
「はぁい。こんにちは」
マザーは全く動揺せず、いつもの調子で挨拶を返す。
「! こんにちは!!」
「こんにちは」
「こんにちは!!!!」
フィーニャとマザーはしばらく挨拶の応酬を繰り返していた。どうやらフィーニャは自分の言葉がマザーに伝わっている実感がなかったようだ。挨拶をしているフィーニャの笑顔が眩しい。
「マシロ! 私の言葉、エルフにも通じるわ! そもそも魔法に詳しい「ヒト」って言ってたのに「エルフ」じゃないの!」
う、うん? どういうこと?
「ああ、まだマシロさんには「種族」について話していませんでしたね」
マザーの説明によると、「人」は僕と同じ種族だけを指す言葉で、ヒトを含めエルフ、ドワーフや小人といった二足歩行の知的生物をまとめて「人間」というらしい。つまり、僕は「人間のヒト族」でマザーは「人間のエルフ族」とのこと。うーん、ややこしい。
……となると、フィーニャは「魔獣のネコ族」ということになるのかな。
「話を戻しますが、貴方のお名前は何と言うのですか?」
「私はフィーニャよ! あの森の向こうのダンジョンから来たの!」
わあ、言っちゃうんだ!? ダンジョン出身だと明かしたら怪しさ満点だろうに!
「ダンジョン……。それは大変でしたね。スライムに服を溶かされてしまったのですか?」
どうやらマザーはフィーニャのことをダンジョンに挑戦して、敗走した冒険者だと勘違いしてるっぽい? 服だけを溶かすスライムって本当にいるの? 後で詳しくお願いします。
「? 「服」はマシロのよ? エリーザさん、ちょっといい?」
フィーニャは椅子から飛び降りて、四足歩行でマザーに近づいてく。違うんだマザー。そんな目で僕を見ないでくれ。貴方が思っているようなプレイはしていない。
マザーの足元で何をするかと思いきや、フィーニャは彼女の匂いとコートの匂いを嗅ぎ比べていた。匂いってそこまで気になるものなの?
「すんすん、やっぱりこのコートと同じ匂いがするわ!」
「え、ええ。そのコートは私がマシロさんに差し上げた物ですから。匂いで分かるなんて、まるで動物みたいですね」
「ど・う・ぶ・つ・だぁああ!!?」
そ、それはフィーニャの地雷だ! フィーニャ! 例えだから! 本気で思っていないはずだから!!
「私は動物じゃない! 魔獣よ!!」
言っちゃった……。
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