第七十五話 エピローグ:各国の行方(第三者視点)
セントラル共和国は窮していた。
二十余年前、革命直後の共和国の取り巻く状況は芳しいものではなかった。華々しく議会で平等宣言したのはいい。旧ノース公国軍を撃退し、素早くイースト公国を王国と認めて休戦協定を結ぶまでは良かった。
しかし、西家はウエスト王国、南家はサウス王国、サンダー侯爵家はサンダー王国とそれぞれ独立を果たした。大陸はクラレンドン領を支配するセントラル王国、新生ノース王国、イースト王国を含め全七か国に分かれた。
セントラル共和国の受難は続いた。地方では相変わらず旧貴族が勢力を保っており、その分の税が入らない。旧王家の直轄領だけからの税収では国家が成り立たない。
頼ったのは革命を助けてくれた商人たち。知恵と金を求めた。
まずは税収を増やすための施策が採られた。
タバコの解禁である。タバコを国の専売として許可した。実態はダスマンに丸投げと言っていい。
商人に頼ったがため、彼らへの課税を強化するのは憚られた。目先が向いたのは農村への増税。これが凶と出ないわけがない。地主・庄屋は農民へそのまま税を押しつけるだけ。豊作の年は何とかなったが、これが共和国を徐々に蝕んでいった。
革命も二十年が過ぎると税制の綻びが目立ち、農村部で暴発の芽がくすぶり始めていた。
凶作とともに遂に一揆が多発しだした。その制圧で忙しいさなか、追い打ちをかけるようにイースト王国が休戦協定を一方的に反故にし、攻撃を再開しだした。同時にサウス王国にまで攻撃され始めた。
共和国が救いを求めたのはクラレンドン領を支配下に置いた新生ノース王国のヘンリー二世王であった。隣接する国への説明のため丁度王が来訪していた。新生ノース王国側のクラレンドン領の説明を受けた後、共和国側が願い出た。
話を聞いた二世王が提示した条件は、農政改革と税制改革。税は四公六民、商工業者への適正な課税をすることであった。
「我が国でも、そしてクラレンドン領でも実施していることだ。難しいことはない」
と言い、返事を待つことなく帰国の途についた。
共和国はその条件をめぐっていささか揉めた。
強硬に反対する古株の女性闘士がいたが、自身の不正行為が発覚し、捕らえようとした警ら隊に対し魔法により抵抗した。武力衝突となり、魔法の備えをしていた警ら隊の反撃によりあえなく亡くなった。警ら隊の指揮官が死亡を確認すると、敬意を表するかのようにそっと亡骸に白い布をかけた。革命前、その女性闘士は旧ノース公国の貴族でありながら旧王国内で、囚われの侯爵令嬢だったと言われている。革命時、他の政治犯とともに解放されて過激な一派に身を投じた。顎がツンとして高飛車な物言いから嫌う人も多かったようだ。革命後は最後の王の遺体を晒すよう主張した人物の一人と取り沙汰された。かと言って当時、彼女は中枢へ意見できる立場ではなかったものの真偽を問われれば否定もせず冷めた微笑みを返すだけで、噂を利用するかのように徹底的に旧王国の事を批判した為、熱狂的な支持者も存在した。彼らは『メリッサ・ノーザンは最期まで闘った』と声明を出した。そして殺害は行き過ぎた行為だと警ら隊を糾弾した。警ら総監はやむを得ぬ対応、不可抗力だ、と一蹴した。
メリッサが愛用していたネックレスがなくなっていたことも話題になった。旧王家が所有し、革命時に没収された逸品が、いつの間にかメリッサが身に着けていた。『ノース王国の秘宝がセントラル王国に強奪された。本来は彼の国の王妃となるはずだった私の物』と旧王家の所有物を強奪品と自分の都合のいいように解釈し近しい人に語っていたらしい。
メリッサ支持者たちの要望により、警ら隊の当日の指揮官に問い質すことになった。
「存じません。部下たちにも確認しましたが、その日、しかとメリッサ様が当のネックレスをしていたのかさえも不明です。着けていたのでは? いや何もなかったのでは? という隊員が一部居りましたが、いずれも疑問符付きで、一番多かったのはそれどころではなかったというのが調査結果です。また我々は一人として彼女の私室には入っておりません。翌日の調査でも荒らされた形跡はなかったと報告されているはずです。我々突入隊はネックレスに関与しておりません」と答えた。
彼は亡骸に敬意をもって接した騎士道精神の持ち主と褒め称えられており、支持者たちも感謝しているようで、すんなりとそれを信じた。
しかし、実際は異なった。メリッサは最近流行りのハンドバッグを利用するより服の内側のポケットを利用する方であった。闘いに邪魔とネックレスをポケットにしまったのだろう。指揮官は死を確認する際に首を含めて抵抗で破れた衣服越しに何カ所か手を当てていたし、白い布をかけた際も体に触れていたのだ。その行為に不審を抱く隊員はおらず、首に巻いていないのなら、ここと目的をもって密かに内ポケットを弄っていたのを気付いた隊員はいなかった。そもそもこの突入隊は選ばれた猛者たちだ。女性のハンドバッグの流行や内ポケットの構造が分かるわけがない。ましてや上役を証拠もないのに内報するような隊員はいない。
さらにメリッサは抵抗中に死したのではない。公になっていないが、クーツ家から内々に協力を要請されたヘンリーが浅からぬ因縁を感じる相手だと引き受けて、老人に扮し助っ人の魔術師として参加していた。機を見て麻痺の魔術を分からぬよう放ち意識を失わせただけで、すぐさまその場を去った。自分がやったことだと、ばれるのはまずいと考えたからだろう。味方のけが人を運ぶのを手伝いながらいなくなっていた。しかし最後まで見届けなかったことを後でメリッサの死を聞いて悔やむことになる。
指揮官は確認するふりをして息の根を止めて白い布をかけたのだ。そして、タバコ王ダスマン邸に旧王家の至宝が運ばれたことも当事者以外誰も知らない。
「このネックレスは私が幼いルイーズ王女のために宝物庫から借り受けたものです」
「持ち出しただろう?」
「あらそうだったかしら。いずれにしてもあなたにご迷惑をおかけしたネックレスに間違いありません」
タバコ王ダスマン邸での会話内容は公になるはずもない。
宝物庫の管理帳に件のネックレスの欄にはこう記されている。
『〇年頃 ノーザン領で稀なる大きさの紫色の貴石、銘パープルジャイアントが発見される』
『〇年 北家に嫁ぐ娘のためにパープルジャイアントを中心に据えたネックレスに加工され、彼の地に渡る』
『〇年 北家より王家に嫁ぐ娘の持参品となる。死後王家の宝物庫に保管。宝石鑑定結果、パープルジャイアント及びその周りにブドウの蔦に成る果実のような紫の宝石もすべて金剛石。全体でロイヤル・グレープネックレスと命名』
『~中略~』
『〇年×月 行方不明となる』
『同年同月□日 ジョージ国王の第二子ルイーズ王女より返却される』
『〇年〇月 共和国管理となる』
『〇年△月□日 メリッサ・ノーザンに貸し出される』
『〇年☆月□日 メリッサ・ノーザン死去により行方不明となる』
不可解な点が残るものの、メリッサ事件後から反対意見は鳴りを潜め、共和国議会は二世王の条件を受け入れた。
ヘンリー二世王はその連絡を受け、共和国へ再度出向き議会で演説をしている。セントラルシティに住む両親とは何回か会っているはずだが、正式な記録は残っていない。
二世王はすぐに動いた。先ずは国内問題を解決すると宣言して、外敵には共和国軍に現状維持を命じ、防備に専念させておいて、その一方、国内の旧貴族の領地には新生ノース王国軍を十分な食料援助とともに向けた。農民への宣撫工作と圧倒的な武力を前にして旧貴族はなす術がなかった。一年もかからずにセントラル共和国から旧貴族は排除された。同時に『四公六民』の旗は一揆中の農民の支持をも集め、鎮静化してゆく。そのそばから農政改革の肝、農地解放を断行した。ある種のショック・ドクトリンである。先代のヘンリー王の治世がうまくいったわけを探るうちに分かったある学者の説である。わざと具体的内容をお題目として公言せず、領主が敗れた、一揆が制圧されたというショック状態のところにつけ込んで農地を解放するという荒業の政策が採られたのだ。共和国政府も約束通りこの政策を隣国の武威を背景に全国に広めた。商工業者への課税も同時に『四公六民』となるよう改正された。
これらの他国の武威を背景にした一連のショック・ドクトリンはスムーズに進んだ。
セントラルシティにヘンリー二世王は凱旋した。市民の熱狂に迎えられた王は旧王宮へと入城した。国内の平定には用意周到な表裏の策があったのは間違いない。旧貴族及び一揆の首謀者の投降に首を傾げざるを得ないケースや一揆があったことすら疑問符が付く農村もあったらしいが、それも含めて王の御威光の賜物、戦う前にひれ伏すほどの威厳のなせる業、とされた。
その後、攻撃をしてきていたイースト王国へ進軍しそのまま一族を滅ぼした。サウス王国へは進軍した途端、家臣に諫められたサウス王が恭順を示した。サンダー王国は戦わずしてセントラル共和国の一部になることを選んだ。サウス王国及びサンダー王国の王族は旧公爵・旧侯爵の称号と二代に限り支払われる年金とセントラルシティに住まいだけを与えられた。
ウエスト王国は王家一族が血で血を洗う争いを繰り広げ国内が乱れ、民と土地が疲弊した。国の体裁が整わなくなり、ヘンリー二世王にすがった。
王は強力な軍と豊富な食料と人材で、ある領の平定は高圧的に、異なる領では住民を立て、今までの蓄積された経験により、手を替え品を替えてその領にあった施策を実行し立て直してゆく。
ヘンリー二世王が支配下とした全ての国は農地解放、統一税制、爵位制の廃止とがセットとして執行された。
結果的にヘンリー二世王はセントラル大陸の統一をもたらした。
旧王都の市民が崇めたルイーズ姫、そのお方の一粒種、人気が出ないわけがない。母子別離と再会の物語は誰もが涙した。ヘンリー二世王への声望はとどまるところを知らない。国民はいつしか二世を付けずヘンリー皇帝と呼び始めた。
新生ノース王国の王をヘンリー皇帝と呼ぶ不思議な関係は、その実、小なる新生ノース王国が大なるセントラル共和国を含む全ての国を飲み込んだ形ではあったが、共和国議場でそれは解決をみた。
議会はヘンリー二世王をヘンリー皇帝とすることを議決した。立憲君主制を選んだ瞬間だった。
その場で新皇帝ヘンリーが「国名はセントラルとする」と明言した。それは側近が出した案を皇帝が採用したものであった。
セントラル共和国民は喜んだ。新生ノース王国民は余裕の笑みを浮かべた。
お披露目にかかわる一連の国事行為が終わる頃には、皇帝誕生と新国名を世論は好意的に受け入れていた。
最終日の儀式も恙なく執り行われ、晩の格式張らない立食形式のパーティー会場では、皇帝の部下たちも寛いだ。
「これで帳尻は合うはず。全ての国民の角が立たず、納得してくれるでしょう」
側近の一人がほくそ笑んだ。
壁際で椅子に座る老臣の耳にその言が伝えられた。
「収支計算を合わせるのに長けていた者が、漸う漸う物事に整合性をもたせる案も出せるようになったか」
老臣のつぶやきに、周りの五人もうなずいた。
「幾分計算高いところもあるが、側近ならばそのくらいが丁度よい」
暗に皇帝が引き立つと言っているようなものである。
「もう私たちも引退していいですよね」
「隊長もきっと褒めてくださるはずだ」
六老臣の顔は満ち足りていた。
ヘンリー二世が皇帝になれた大きな理由の一つが留学を含めた人材交流事業だった。
サウス王国が攻撃を仕掛けたのは国王がイースト王国に「今なら簡単に領地を奪えるから一緒にどうだ」と誘われたのが発端で、国王のほぼ独断であった。諫めたのは若者たち。その中には新生ノース王国に留学していた人物がいた。
「薪の恩義があるからな」
他の国も留学経験者と新生ノース王国と付き合いのある商人たちが王国と王国人の良さをアピールした。優秀だから留学できたのか、留学先で成長したのかは定かではないが、将来を読む力の磨かれた商人たちと、争うことより交流を選ぶのに一役買ったのは確かだ。国民はニューシティで学んだ者たちをニューボーイズ、ニューガールズと呼んでもてはやし、子供たちの憧れとなった。
ヘンリー一世王が始めた交流事業がこの後もセントラルの事業として続く。戦をなくすには相手を知り、己を知ってもらい、相互理解をし、長い年月がかかっても、ヒト、モノ、カネの交流こそが、最善手だとヘンリー皇帝は考えているようであった。
皇帝の両親、ヘンリー王とルイーズ后(※ヘンリー王唯一の妻でありながら、幽閉生活が長く、生涯に渡って后と呼ばれることはなかった)は、王が譲位後、真偽のほどは分からないとされる母子再会の物語は別として歴史の表舞台に登場することはなかった。
「完」
最後までお読みいただきありがとうございました。
これで完結ですが、現行はA案時系列版です。ヘンリー二世がクラレンドン領を支配下に置く場面七十三、四話を第三者視点で時系列となるようにしたものです。
しばらくしてから、B案後出し版に変更します。ヘンリー二世がクラレンドン領を支配下に置く場面をエピローグに移動し、七十三、四話をヘンリーの視点だけとし、七十四話の最後の手紙で、ジュニアがクラレンドン領を支配下に置いたことが分かるという形にします。
参考:
一.SL(状況対応型リーダーシップ)理論とは、一九七七年にポール・ハーシー氏とケネス・ブランチャート氏により提唱されたものです。
一.ショック・ドクトリンとは、経済学者ミルトン・フリードマン氏が唱えた内容などからカナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン氏が二〇〇七年に著した書籍です。NHK『100分de名著』より。
他、意思決定の方法などインターネット情報を参考にいたしました。




