第七十三話 雲の上はいつも晴れ 一/二
ヘンリーは老人に扮装してクラレンドン城の厨房にいた。料理長の師匠筋に当たる人物の紹介状を持ち、特製ソースがつくれるという触れ込みである。調合には料理長しか立ち会わせなかった。材料のリンゴや野菜を吟味し、香辛料や塩、酢をまぜ保存する。程よく熟成するまで数週間かかる。ヘンリーはその間に城内を隈なく探索する。
ルイーズの気配がしない。
離れは、かつて数棟建っており、いずれも門塀なぞなく簡単に出入りできた。しかし今は水堀を備え、ご丁寧に跳ね橋でしか到達できない離れが一棟ある。元から気にしていた場所、迂闊には近づけない。ようやく機会を得てヘンリーは料理人について行き、降ろされた跳ね橋を渡り水堀の内側に入った。もちろん姿を消し研ぎ澄ました感覚と記憶力を頼りにひっそりと後をつけた。
――ここにルイーズがいる。
建物の外からでも紫の魔力の気配を感ずるのだ。その後も何度か誰かの後を密かについて行き、離れに入りルイーズのいる部屋を特定した。警固の者がいるが、緊張感がない。跳ね橋を通過する者への警戒もせず、上げ下げものんびりとしたものだ、下がりっ放しで誰も警固していない時もある。二十年間余りも何もないのだから、だらけて無理はない。水堀と跳ね橋という防御施設に胡坐をかき過ぎだ。かと言ってヘンリーは慢心しない、一つの気の緩みが命取りになることだってある。
――俺なら囮を立てるか、監禁場所を複数設ける。囮は簡単に見破れるが、監禁場所を変えられたら厄介だった。まあ最初の頃はそうしたかもしれないが、上層部にとって重要でも二十年も平穏に過ぎれば旬の重要事項に意識が奪われ目が届かなくなる。そうなれば末端は面倒なことはやっていられないと手を抜き、終いには端折るだろう。こちらにとってはありがたいことだ。
寝かした材料がそろそろ頃合いだろうと、厨房の倉庫にヘンリーは料理長と二人だけで入った。
目当ての樽を開け、ヘンリーはスプーンを入れ一杯すくう。特製ソース用に仕込んだ材料が熟成されて鼻につんと来る。ヘンリーが差し出したスプーンを受け取り、一嘗めした料理長の目が見開かれた。最後の工程、濾し方と混ぜ方にも秘伝があるのだが、それは本人の創意工夫次第だと割り切り手助けする積もりはない。指南してくれた幼馴染には、全てを教えても良いと許可を得ていたが、それをしてしまえば仁義にもとるとヘンリーは思っていた。それを犯してまで料理長への義理もなく、個としての魅力を感じなかったのも大きい。
ヘンリーは厨房を去った。その足でクラレンドン領のイータンから新生ノース王国に通じる砦へ向かう。
この先をほんの少し行けば砦に至る。マシュー最期の地で『憤怒の涙』と新生ノース王国では呼ばれ、マシューの死の報を聞いた日にヘンリー王が命名した、と言われている。しかしその日の記憶が定かでないのか名付けた覚えがない。
立ち止まったヘンリーは両手を合わせる。
――マシュー、お前には申し訳ないことをした。さぞ無念だったろう。今から、お前が迎えに行ったルイーズとジュニアの為に最後の仕上げをする。見届けてくれ。
予め猟師に聞いた獣道に至り、間口を広めて中へ入る。少しだけ通りやすい状態となるよう枝葉を取り除き、足場を固めながら括り罠、仕掛け矢、落とし穴を何カ所にも施す。再度通るので自分だけが分かるように罠には目印を付けての作業になる。新生ノース王国の街道に通じるまで整備する。途中、二人ほど横になれるよう地面を平らにし、葉っぱを敷き詰めた避難スペースも設けた。
――これで女連れの逃げ道としては上出来だろう。
去ってから四日後の早朝、準備をし終えて急ぎ舞い戻ったヘンリーは城に密かに入り、夜になるまで隠れて過ごした。
そしてルイーズの救出を一人で誰にも気づかれないように成し遂げた。
「遅すぎます。待ちくたびれました」
胸に抱いたルイーズの頬が濡れている。
「申し訳ない。立て込んでいて準備に時間が取れず今になった」
泣き笑いのルイーズがここにいる。いまだ初々しく清らかさを湛える妻にヘンリーはときめく己を感じていた。
二人はセントラル共和国の首都を目指す。故郷を自分の目で見たいとルイーズが望んだからだが、それはヘンリーにとっても予定通りの目的地で都合がよかった。何故なら、
――追手は先ず新生ノース王国への道を捜すはず。我が国以外がルイーズの身柄を欲しがると奴らは思うわけがない。領境の獣道の入り口付近に施された痕跡、ここが怪しいと、勇んで進めば必然罠の存在にも気付く、お間抜けな奴らはここを通ったと確信するに違いない。無駄足を踏むだけになることも気づかずに、勢い込んで新生ノース王国に至ってしまうだろう。焦って砦からも兵を出すかもしれん。後先考えずに一歩でも我が国に入れば、国境侵犯になる。ジュニアにつけ入れられるのは間違いない。
という読みがあったからだ。
――後で吠え面かくのは奴らだ。
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その頃、クラレンドン領のエジン家から密かに使いが領を抜け出て、新生ノース王国の首都ニューシティへ向かった。
新生ノース王国のヘンリー二世、通称ジュニアは家臣を前に口を開いた。
「クラレンドン領から母上が脱出なされた」
「「「うおー」」」
「父上が本懐を遂げられた」
「真ですか?」
ジュニアはしっかりとうなずいた。実際のところ、ルイーズがクラレンドン領を脱したことはエジン家の使いから聞いたが、ヘンリーが成し遂げたとの報告は受けていない。しかしヘンリーが行ったことだと思っていることは確かだ。
一年前、隠居宅からいなくなったとジュニアが聞いた時は遂にか、と察っていた。捜索隊を具申されたが却下したのがその表れだ。ルイーズを助けるために軍を領内に入れれば即、死に至るという脅迫状がある。単独で行うしかなく、やり遂げるのはこの世で一人しかいないと確信しているからだろう。
準備に時をかけ、周到に計画が練られたとしか思えない。魔術の力量、知能、実行力全てに秀でているヘンリーだからこそできたことだ、と結果を聞けば誰もが納得する。
「となるとクラレンドン領は大変ですな」
新生ノース王国側はジェームズ四世が建国した王国を認めずクラレンドン領または似非王国と呼ぶ。
「どう動きますかな、似非王は」
必然、ジェームズ四世は似非王。
「確か薹の経った娘が一人、嫁にもいかず居りましたな」
「和睦と共に陛下の嫁に我が娘を嫁がせましょう、と申し込んでくるでしょうね」
「一族の若輩者には、親族の長たる自分が手助けをせねば、とでも言ってな」
老臣たちが勝手なことを言い出した。
それに対しジュニアの側近たちが吠える。
「似非王国のやつら何をほざいているんだ」
「どの面下げてそんなこと言いだすんだ」
「ムカつく」
「似非王はクソじゃ」
「馬鹿も休み休み言え」
「わしが言ったのではない。向こうの馬鹿がそう言ってくるのが読めるだけじゃ」
「十も上の女を押し付けられて黙っていられるか」
「「そうだ、そうだ」」
「胸糞悪い」
「そう息がってばかりじゃ話にならん」
「使者がきたら蹴散らせ」
「国内に入るや、すぐに追い戻せ」
ざわざわした状態を見てジュニアは声を張る。
「静まれ」
一瞬で場が沈静する。
「この国に入ることすらできないようにする」
ギロリと周りを見渡す。
「クラレンドンに向けて軍を起こす」
「おう、出陣じゃ」
「これでお主等の溜飲も下がるであろう」
ジュニアは上座から、鷹揚に余裕のある態度で側近たちに申した。
「ははぁ」
この日の為にニューシティからクラレンドンの領境には広くて軍馬が走っても十分耐えられるよう高速馬車道路が通してある。新生ノース王国の民は似非王国との国境はあくまでクラレンドンとの領境と呼ぶ。そして領境の砦を『憤怒の涙』と呼ぶ。マシューの死を聞いたヘンリー王が押し殺したように漏らした呟き、それがいつの間にか広まった。当の王は由来を聞いても首をかしげるだけだったが。
城を出陣する直前に似非王国軍が当国を侵犯したという情報が入った。
「これで堂々とやれる」
ジュニアは図らずも冷ややかな笑みを浮かべていた。
疾風怒濤に進軍するヘンリー二世軍はクラレンドンの自称王のいる城を囲んだ。何重にも包囲し、何人も脱出不可能な状態にし、城を容赦なく攻めた。
セントラル王国ジェームズ四世及びその子孫は根絶やしされた。ジュニアは甘くない。彼にとっては、単に負になりかねない血の連鎖を断ち切っただけだ。
早晩、似非王家に媚びへつらっていた商人や町、農村、漁村の有力者は消え去る。エジン家、グラス家も甘くない。あらかじめ残す家とつぶす家を調査済みなだけだ。
領境の砦『憤怒の涙』にジュニアを筆頭にエズラなどマシューゆかりの面々が並ぶ。
頭を下げて一言も発せられない。
静かに時が過ぎる。
みんなが、思い思いにマシューを悼んでいる。
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