第七十二話 青き頃の思いは枯れず
国内そして友好国から人を招き、盛大な王位継承のセレモニーが執り行われた。
「本日をもって新生ノース王国の国王はヘンリー二世とする」
――これでこの国を出て、何をしようと誰と住もうと王の出奔とは言われなくて済む。
ヘンリーは王冠をジュニアの頭にかぶせる。
この戴冠の瞬間、ジュニアはヘンリー二世が正式名となった。通称はジュニアのままだが。
儀式の後のパーティー会場では、ジュニアを囲んで遠来からきた客たちが盛り上がっているようだ。
「ジュニア、もといヘンリー二世王様」
「古の寒がり大王よ。今日は、薪はたっぷりあるぞ」
ジュニアは交流事業で地方へ行き中央以外を知り、自国に来た留学生たちと接して交誼を結び、自身も留学し、見聞を広めた。そのせいもあってか、大勢の若者が集まってくるようだ。
側近を揶揄う若い客もいる。
「員数合わせはできたか?」
一瞬キョトンとした側近はすぐに立て直した。
「もちろん、帳尻を合わせますから大丈夫ですよ」
「一人足りなければ融通するぜ」
「ありがとうございます。よくそんな昔の話を……誰に聞いたのですか」
側近は笑顔で応じた
「おっと、余裕で笑い飛ばしてしまうとは大人になったね。誰に聞いたかは秘密さ。聞くところによると、その時は二世王が一人で二人分だったそうだけど、今なら余裕で十人分をこなしそうだよな」
「まあ、あのお方ですから」
「そうだね。でも君も飛び級しての卒業組だって」
「陛下の背中を追いかけただけです」
既に陛下呼びをするあたりは側近らしい。
「よく言うよ、飛び級には簡単に付き合えんぞ」
そんな若者たちの声がひときわ響くのは勢いがあるせいか。
ヘンリーは賓客たちに満面の笑みを見せ、会釈を交わしている。
「ようこそおいで頂きました」
「まだまだやれるんじゃありませんか? 早すぎるのでは?」
「年を取れば取るほど周囲からは崇められるだけで、周りが見えなくなってきましてね。そろそろ潮時かなと」
引退の理由をもっともらしく語った。実際ジュニアに目が曇っていたことを思い知らされたのだが、そのジュニア立案の政策が先日発表され一年後には実施されることになっている。
「次代様は早速、新しい施策を打ち出すとは優秀ですね」
「なんでもかつてない鉈を振るうとか」
話題も自ずとそちらに向き、あり難いことに積年の念願を叶えようと目論んでいるヘンリーのことなぞ二の次三の次である。
「商人もうかうかできませんな」
「御用達と胡坐をかいている出入商や業者がおりますからな」
「戦々恐々している人が大勢いるのでは」
「二世王様は武にも秀でていらっしゃると聞いています」
「うらやましいですな」
「いえいえ」と小さく手を振りながら、王という重責が終わった安堵と開放感から、美味しいワインに、ほろほろと酔っているように装う。心算を誰かに気づかれては困る。
「これからは楽隠居ですな」
「息子のおかげです」
目元を緩める顔を見せながら、その胸の裡には、並々ならぬ決意を秘めている。
王位継承の公式行事が終わり、最後の賓客が帰国の途についた。
その翌日、ヘンリーはここ数年おざなりだった早朝の鍛錬を隠居宅の庭で丁寧に行っている。数日かけて昔の状態へと戻した。体全体が温まり、仕上げに細く長い息を吐き、整え終える。
部屋に戻り机の上に一通の手紙を置いた。
一行だけ『旅に出る』と書いてある。
ヘンリーは気配を完全に消したうえで隠密の魔術を発動した。重ねがけすることにより、気配を読む達人であり、隠密の魔術を心眼で捉えられる者でしか見破れなくなる。現時点でどのくらい保つのかを試すのが目的。鈍っていてすぐに術が解けて存在がばれるようなら、今後の計画を見直さなくてはならない。それと、いなくなって、捜索隊が組まれるようなら、裏をかく必要がある。ただジュニアは、とうに察しているはず、だから人を出すはずがないと踏んでいる。
発見された途端当然大騒ぎになった。
午後になり、隠居宅は落ち着いてきた。捜索隊の出番はないようだが、二世王により箝口令が敷かれたと低い声で話すのが聞こえる。
――ジュニアは、箝口令により俺の一人旅、傍から見れば失踪をなかったことにし、ここに居ることにしてくれた。ますます好き勝手にできるが、失敗すれば弔われることのない屍となるだけだ。
夕刻、旧臣の六名がやってきたようだ。待機中の係員にあれこれ訊く六名の慣れ親しんだ声がする。重臣の彼らは箝口令の埒外なのだろう。
「隊長、どうして私たちを置いて行くのですか」
一番若いフィンがヘンリーを昔の名で呼び、嘆く。
「隊長に助けてもらって今の俺たちがあるんだ。今こそ恩返し、それはジュニア様に精一杯お仕えして返せばいい」
年かさのボビーがフィンを慰めている。
アレックスの、カレブの、エズラの、そしてオーリーのため息があらい。鼻をすすっている者もいる。涙を堪えるように。みんなの顔を見たいが隠密の魔術中は目が利かない。解いては水の泡となってしまう。
「オコゼの干物を買ってきましょうか」
オーリーが思い出したように言った。山の神への貢ぎ物、彼らが出会った頃の懐かしい記憶が蘇る。みんな若くて未熟だった。訓練という名の狩で、鍛えられ強くなり彼らの顔付きが変わっていくのを見て、ヘンリー自身も隊長としての自信がついた。そう言えば当時、新兵のオーリーとフィンが買い出し係だった。
「オコゼか、久しぶりだ」
「イノシシ、最初は簡単に倒せなかった」
「きつかった……ふらふらしたけど励まされて頑張れた」
「熊だって倒せるようになった」
「みんなで捌いて、食べた」
「甘くて、うまかったなあ」
「楽しかった」
「そうだな」
みんなが、うんうんとうなずいているのが分かる。
六名の股肱と言っていい臣が去って行くのを確認してから、
――これで思い残すことはない。
と、ヘンリーは隠密の魔術を解いて、気配を戻した。大息が思わず出る。少し辛いのは魔術の腕が鈍ったからだろうか。半日保ってまだよかった。そうでなければ今頃奴らに頭を下げて同行を願わざるを得ないところだった。後事を託したジュニアから『経験豊富で有能な家臣を削らないでください』と文句を言われずに済んだ。
今から修行のやり直しだと気合を入れなおし、ヘンリーは住まいを後にした。
山に仙人がいると要塞都市『アルヴィアル』でささやかれだした。あれっと思うと消えている。幻だったのか、見間違いだったのかと、山を下りその話をすると、我も我もと同じ体験をした人間が大勢いた。
セントラルシティ行きの乗合馬車で若者たちが、そんな話で盛り上がっているのをヘンリーは微笑ましく聞いていた。
セントラルシティの芝居小屋の楽屋にヘンリーは通い始めた。熱心に化粧の仕方を学んでいる。一度、急遽芝居に穴があくからと頼まれ老け役で舞台に立ったこともある。
営業時間外のレストランに裏口から入り、ソースづくりも学んでいる。
いずれもヘンリーが昔馴染みに頼んで出入りを許してもらった。
「店で見かけましたよ」芝居小屋の若手役者がドーランを塗りながら、化粧師のそばで学ぶヘンリーに声をかける。若手役者の顔が一瞬引き攣る。ヘンリーが強い気を発していた。若手役者はその場では口を閉ざしていたが、部屋を出ようとした時、ヘンリーより先に化粧師が動きそばによって耳打ちした。小刻みに首を振っている。外に漏らさぬよう脅したのに違いない。「お手数をおかけいたします」「とんでもございません」師匠に当たる化粧師がヘンリーにへりくだっていた。
化粧師が使用した道具を鞄に片付ける。裏地に『C』のマーク、表面には控えめなの『C』と刻印された鞄、クーツ商会の高級品であることがうかがえる。クーツ商会は旧伯爵のクーツ家が経営している国内外で多角的に展開している有名な大商工業者である。元々は高速馬車道路事業で財を成し、革命後一時高速馬車道は国有化されたが、国では新規敷設はおろかメンテナンスもできず、結局クーツ家に全て任すことになった。今では、服飾や美容にまで手を広げている。流行を文字通り作り出すようで、他の競合は相手にならず、追随するだけで精一杯のようだ。流行の色、柄、デザイン、最新の美容法、髪型、そして香水に宝石、全てをクーツ商会がリードしているらしい。ヤリ手の娘がいて以前からその方面を牛耳っていると取り沙汰されている。
ヘンリーが譲位する前、クーツ商会の重役から新生ノース王国に支店を出すにあたり挨拶を受けた際に、もしやと思って訊いたが、そのヤリ手の人物はアナベル様であった。しかし彼女はヘンリーに会いに来なかった。理由は分からないが、怒っているのかもしれない。ただ、新生ノース王国の事業には賛同してくれていて、「ヒト・モノ・カネ」の援助をしてくれている。
今回も会えなかったが、相応しい化粧師を手配してくれた。
譲位から一年後、ヘンリーはルイーズのいるクラレンドンへ向けてセントラルシティを後にした。
――一か八かの大勝負、負ければ死するのみ。




