第七十話 交流事業とヒト・モノ・カネ
マシューを失った悲しみをこらえて、ヘンリーは我が子とその一行を迎えに行く。道すがら、『侍女の方はルイーズ様と一緒に捕らえられました。ただ家宰の方は亡くなられました』と聞いた。家宰とは、クーツ家の別荘の管理人だったホールズのことだ。家政能力に秀でていた故に留守を任せっぱなしにしていた。旧ノース公国出身のホールズには是非この地を見てほしかった。自分の歯ぎしりの音が脳に響く。
――悔しい、とても悔しい。
……パカパカ……パカパカと馬のひづめが規則的に鳴っている。
パカパカ……パカパカ……進むにつれて、いくらか平静になってきた。
ヘンリーが道端で迎えた幼子は銀色の髪をしていた。年齢は一歳。太ってはいない、やや痩せているが、足腰がしっかりしていそうだ。瞳は紫の中にオレンジ、ルイーズ譲りの神秘さがある。
――俺とルイーズの子だ。
直感した。
「ジュニア、よく聞け」
年端もいかない子を路傍に立たせてヘンリーが厳しい顔付きで話しかける。
周りを万一の襲撃に備えた兵士たちが囲むが、その表情に戸惑いが浮かんでいる。よちよち歩きも覚束ない幼子を立たせたまま話しかけるとは……早く抱いてあげてくださいと言いたいのであろう。今はニコニコしているが、いつ大声上げて泣くか分かりゃしない。
「お前の命は多数の兵士の命によって守られたのだぞ」
いくらかきつい言い方になってしまった。
つぶらな瞳がヘンリーをまっすぐ見つめている。瞬きもしない。ヘンリーの心が揺さぶられた。
「分かるか」
幼子が分かるわけがない……はずが、どういうわけか首を縦に振った。
ヘンリーはハッとした。自分が理不尽なことをしている自覚はあったのだ。
「よし。それでこそ我がジュニアだ」
無意識に両手が前に出た。テングテングと近づいてくる幼子がいる。最初から最後まで癇癪を起こさずにニコニコしている。
初めて我が子を胸に抱いた。
ヘンリーは早急に軍を整えてクラレンドン領を目指した。ルイーズと領土の奪還、そしてマシューの無念を晴らす為に兵を急がせた。
クラレンドン領と接するベリック領の城に入ると難しい顔をしたリアムが待っていた。
無言で箱を手渡される。封がされているわけではないことから既にリアムは中を検めているはずだ。
ヘンリーは訝しい思いを抱きながら箱を開けた。紫色の髪の束が見える。
――これはどう見てもルイーズの髪。
手に取ると、その下には一葉の白い用箋が入っていた。白紙のわけがない、裏返すと文字が書いてある。
『クラレンドンに軍を入れれば、ルイーズの命はない』
セントラル王国ジェームズ四世とサインがある。
――何をほざいているのだ。
用箋の端が細かに揺れる。あまりの憤りに手が震えているのだ。
「ジェームズ三世王は先々代のセントラル王だ、四世と名乗った者は、亡きジョージ王の弟、ルイーズ王女の叔父だ。やつは王の名を騙る卑劣漢、恥知らずな性根の腐った男だ」
リアムが言葉でクズ野郎を切って捨てた。
代弁してくれたおかげか、ヘンリーの怒り高ぶった気持ちが凪いできた。
「ノース公国のかたがついたのに……」
誰かがポツリと言った。
突然ヘンリーの脳裏に、
――ノース公国、否王国の妃になる筈だった顎ツン令嬢の呪か。
という、あり得るはずのない思いがよぎった。
――何を惑っているのだ。変なものに囚われるんじゃない。冷静になれ、落ち着くんだ。
息を吐き肩の力を抜く。何回か深い呼吸を繰り返す。
そうすると今度は徐々に無念さ、そしてやるせなさが募ってきた。
「一人にしてくれ」
ヘンリー軍は退いた。
セントラル共和国軍もセントラル国王を名乗る存在が目障りと兵を催そうとしていたのだが、ヘンリー軍の退去理由を聞き、「ルイーズ王女の命には代えられない」とあきらめた。街に出て無償の奉仕を行っていたルイーズへの市民の尊敬は揺るぎなかった。
共和国からのそんな情報を聞いてもヘンリーは眉一つ動かさない。ルイーズのことは心に蓋をすると決めていた。
ヘンリーはその後クラレンドン領を忘れたかのように内政に精力を注いだ。他国へ討って出ることはない。
革命のなったセントラル王国改めセントラル共和国とは友好を深めた。他の国とも一つを除き友好を保っている。唯一没交渉なのは、クラレンドン領を支配し勝手にセントラル王国を名乗り旧王弟が居座る、ヘンリー曰く『似非王国』である。
似非王国は憎き相手である。かと言ってヘンリーが私情を優先するわけにはいかない。一人でも多くの民の為になんて奇麗事を言うつもりはないが、公私のけじめはつけるつもりだ。
目の前の数多くのそれも多岐にわたる仕事にヘンリーは集中した。
税制改革、四公六民を柱に進める中、農地が狭い、持たない小作人などの生活苦問題が起きたが、リアムが解を持っていた。農地解放と税の優遇を伴う耕作地開発を、ベリック領を手始めに全占領地域に強制力を持って広めた。
抵抗する旧支配層及びそれに追従する者たちはいる。旧ノース王国時代、重税、貧困、飢えの連鎖から逃れようと権力者にすり寄るものがいた。この劣悪な境遇から脱することができるかもしれないと期待しての事だった。他人の来年の種もみ、種芋すら隠匿だと密告し、曲がった忠誠心を示すことで取り入ろうする輩が存在したのだ。
十分な調査をして手古摺りながらも権力者ともども一掃した。
支配層の貴族の問題は、旧ノース王国を滅ぼしたヘンリーに爵位の授与権はある。誰一人叙爵していない現時点ではヘンリー王以外旧貴族でしかいない。要塞都市では旧セントラル王国貴族を一国民として受け入れた。共和国は爵位制度を廃止している。それに倣い、王は存在するが、爵位制度を採らず、国民は全て平等であるとヘンリーは宣言した。
旧貴族の抵抗勢力はほとんど滅ぼしたが、残りの降伏または恭順した者は全て王都ニューシティに集めた。家屋敷と二十年間の年金を約束した。
新生ノース王国の課題は腐敗の根絶、爵位の廃止だけではなく人材の育成も急務である。旧公国の貴族中心の旧態依然とした施策により、人が育っていなかった。
人を育て事業を興すには種を蒔き開花するまでのように時がかかる。発芽を促すためにと、他国から有能な人々を招いた。
ある日、ヘンリーの次兄ローガンが訪ねてきた。ハリスの立案した殖産興業の一環で北部地域での鉱山開発に依頼した相手がたまたまローガンだったのだ。ヘンリーが指名したわけではない。
ローガンは、セントラル共和国において鉱山開発で名を上げていた。元々ヘンリーが代官を務めるはずだった鉱山都市『ラリウム』で国内有数の事業を展開していたのであった。
「結婚して子供もいるんだ」
ローガンが、弟ヘンリーの境遇、妻ルイーズと引き裂かれているのを慮ってか、申し訳なさそうに言った。
そればかりではないのかもしれない、ローガンの妻の名前はルナーゼ、愛称はルナ。ヘンリーの非公式ながら元婚約者、当時はマクスウェル男爵家の令嬢であった。
ローガンの成功を見ると、元男爵の人を見る目が確かだったと思われる。いや、ひょっとして、令嬢のルナーゼがそうであったのかもしれないが。
ヘンリーは、彼女との手紙のやり取りで兄に好印象を持ったと書かれていたことを思い出していた。
長兄は残念ながら革命時のどさくさに巻き込まれ命を落としていた。長兄の妻も、けがが元で満足な治療を受けられず亡くなったらしい。ローガンはその時夫婦ともども『ラリウム』にいて難を逃れた、と言う。「ルナは俺の幸運の女神らしい」と惚気られた。
貴族街の邸宅は爵位を問わず全家がいったん共和国軍に接収された、とローガンから聞いた。
「何とか家は取り戻したいと思っている」
芯のあるローガンの言葉にヘンリーも同じ思いを抱いた。
ローガンを筆頭に他国から実業家、技術者を招き、教えを乞うた。
新生ノース王国として一歩ずつ進んで行くために必要だと思うことはやる、そうヘンリーは決めている。
教育を重視し、職人を育て、農林水産業を復興させ、鉱工業を興し、ひいては国を富まそうとヘンリーは奮闘した。
中央と地方には貧富の格差以外にも、国としての一体感がなく、情報が中央からの一方通行で、かつその情報が地方で反映されていない。人の気持ちとしても、なにげに中央は地方を見下し、地方は中央への羨望と、相対すれば萎縮や己を卑下する、傾向があった。もちろん全員ではない。
ヘンリーは地方から中央、中央から地方へ、子供たちの交流事業として長期のホームステイ制度を実施した。子供たちが互いの文化や伝統などを学べば、少しずつ心の垣根が取り除かれていくのではないかと思ってのことだ。ある程度フリーハンドで任せた結果、中央に来た子供たちが帰る時には垢抜けて名残惜し気な様子で、申し合わせたようにまた来たいと言い、また地方へ行った子たちは受け入れ先で地域ならではの生活を送っていたようで、帰ってきてから中央との違いを生き生きと話してくれて、また行きたいねと無邪気に喜び合っていた。ヘンリーは、子供たちの率直な声から、好感触を得て、他国間へもこの制度を取り入れ始めた。その結果、年を経ると、両者を橋渡しする人材が生まれていた。ヘンリーは国内外を問わずこの制度を強力に後押しした。
ヒトだけでなくモノの往来も活発になった。子供、学生だけでなく商人が動きだしたのだ。これはハリスの施策『道路整備事業』に拠るところが大きい。商人が動けばカネが動く。
成果が見えるのは長い年月がかかる、そんな事業が多い。
ヘンリーに休む暇がなかった。
「雲起の章 完」




