第六十一話 リンゴ
最後の披露宴兼アナベル嬢の送別会がたけなわを過ぎつつある。遠方の人々のほかは所用で出かけていたエジン家とグラス家の一門の方々が主なようだ。
ルイーズは控えめで落ち着いた薄紫のワンピース姿で、裾のヒダが豊かに広がっているせいか歩くたびに服は軽やかに揺れ、踊っているように見える。隣にいるアナベル嬢が着の身着のままでやってきた元王女のために急遽手配をしてくれたドレスだ。そのファッションセンスはルイーズを引き立たせている。
ヘンリーと初めての夜を過ごして以来、片時も離れたがらなかったルイーズであるが今日ばかりは明日王都へ戻るアナベル嬢とともにいる方が多い。ただ表情に緊張の色が見えるのはこの地に馴れていないせいもあろう。早く馴染めるよう気を配らなくては、とヘンリーは思った。
「大変だ! 大変だ! 恐竜が大挙してやってくる」
ルーニーがバタバタとやって来ると同時に叫んだ。
「落ち着け、ルーニー。今どこにいて何頭くらいで、どこに向かおうとしているのだ」
エズラが問うた。
「本日の夕方には、五十頭がこちらに到着すると連絡が来ました」
「連絡? 誰かが来たのか」
「はい、一人の若者、カイと名乗っています」
どうやらカイが先触れとして来たようだ。恐竜はダーリーが王都で、それ以外は北部戦線にいるはずだが。
エズラがヘンリーを見る。了解していいですか、と目が語っている。
「カイは私たちの知り合いだ。問題ないからここへ通してくれ」
ヘンリーが直接答えた。
「はい」
ルーニーが戻っていく。
ヘンリーは恐竜との経緯を知らない人たちのためにあらましを説明する。驚かれたり呆れられたりしたが、結局ヘンリー隊はすごい、ということで落ち着いた。二階級特進と伯爵位についても改めて納得した様である。
ルーニーがカイを伴ってきた。
「久しぶりだな」
「伯爵様におなりになられまして、お、おめでとうございます」
「堅苦しい挨拶はいいよ」
「すみません」
カイがこちらに来た理由を説明する。
長のダーリーが王都から北部戦線に戻って来ると、ノース公国との最前線へストーナー団長が向かうことになり、『一緒について来い』と言われ、五十頭で進軍したのですが、すぐに『次の北部戦線の司令官は信用ならん。だから一緒に来てもらったのだが、ヘンリーがクラレンドン領を賜ったからそちらへ行くか』と訊かれたので、長がここへ向かうことを決断した、と話した。
「分かった。歓迎する」
「ありがとうございます」
「よし、今からみんなで迎えに行こう」
マシューが、
「アナベル様の送別会が……」
と気配りをみせる。
「あらいいわよ、私もご一緒するわ」
アナベル嬢は以前王都で恐竜を見ているはずだが、ヘンリーの今後のことを慮ってくれたようだ。
「私も行きます」
「俺たちも見てみたい」
ルイーズもエジン家もグラス家の面々も興味津々の様子でついて来るようだ。
「わざわざお迎えいただき畏れ多いことです」
ダーリーが恐縮している。
「話はカイから聞いた。ダーリーたちの行く末が気になっていたから、ちょうどいい。私たちの領でずっといて欲しい」
どこか他に行かれて万が一、敵対するのは嫌だったというのが本音だ。
「ありがとうございます。昨晩星空なのに特大の雷が見えたのでヘンリー様がいらっしゃると確信できました」
昨晩良い気分で放った雷魔法が少しは役に立ったようだ。雷の光は二百五十キロの距離から確認できると科学的に証明され、実験でも百五十キロ離れた地点で確認できたとの報告がある。
「あれは見事だった。わしも仕事を終え家に向かう途中で見て一体何事かと驚いた。帰宅して家族から新しい領主様の雷の魔法だと聞いて、これでこの領は安泰だと老妻と喜んだよ」
そう応じたのはグラス家の隠居ゴラス。雷魔法の攻撃力を正確に知っているのだろう、大きくうなずいている。エジン家の当主のバードも同様である。この二人は昨日まで所用でいなかったらしい。やはりヘンリーが幼い頃会ったことがあると言っていた。
「司令官のストーナー団長から次に来る師団は朱に交われば赤くなるの見本のような隊だと言われました。上層部が賄賂に転ぶタイプらしく、下も同じになり、有能な人間が割を食っていると申しておりました」
組織論でいう腐ったリンゴが軍隊に混じっているとは酷い。
腐った一つのリンゴはその毒で回りを感染させると言われているが、それがトップならば伝播力はいかほどかと思うと、空恐ろしい。この国は大丈夫かと心配になる。書類一つが通るのも賂次第となれば、金持ちの意見だけが早く届き、真に必要な種類が滞ってしまいかねない。
「安心しろ。私がこの領地のお山の大将だ。何かあったら忌憚なく言ってほしい」
「恐れ入ります」
ダーリーが再度恐縮する。
「みんなも同じだ。遠慮なく私に言ってほしい」
己を律すればそれでいいというわけではない。腐ったリンゴを蔓延らせないためには人の話を聞くことくらいしか今は思いつかない。これは時間さえ許せば可能だ。聞いた情報から悪い雰囲気のある組織を見つけ出して腐ったリンゴを排除するしかない。一番よいのは腐ったリンゴを無毒化するような、聞き上手で些細なことで目くじらを立てず、目標に向かってブレずに邁進する有能な人材をその組織長に配置すること……そう学院研究科で学んではいるものの、都合の良い人材はおいそれと集まるはずもない。知識を役立たせるためには時間が必要だ。
アナベル嬢はじめ一緒に来た人たちが笑顔をみせている。
聞く姿勢を見せただけでも認められたようだ。
恐竜使いたちとみんなの挨拶が済むと、恐竜を見学し、触ってみる肝の太い奴もいた。
「よし、出発だ」
沿道に遠巻きの民衆の『恐竜だ』『新しい領主様だ』という声の中、城へと向かった。到着すると隣接地に、恐竜用に檻を土魔法と銅の魔法で造った。ダーリーたちが中へと誘導する。
「伯爵様、本当にありがとうございます」
「ダーリー、他人行儀はなしだ。今まで通りで構わん。今後どうすればよいかはみんなで考えよう」
「はい」
ルイーズがそしてみんなも喜んでいる。
翌朝、アナベル嬢が王都へ向けて出発する。
城の馬車止めにヘンリーたちは集まっていた。
「ヘンリー、貴方は立派な眉と凛々しい目をしているのですから、毎日髪を整え無精髭を当たりパリッとした服を着なさい。それではじめてルイーズの隣がお似合いとなるのですよ。分かっていますか」
「はい」
相変わらずの姉気取り。これも最後だと我慢する。
「ルイーズ、ちゃんとヘンリーの手綱を引き締めなさい」
「はい」
「ではみなさんお元気で」
アナベル嬢が手を振って踵を巡らす。
ルイーズが馬車まで並んで進み、出発直前まで窓越しにアナベル嬢と話し込んでいた。
馬車が進んでも名残り惜しそうに佇んでいる。見知らぬ土地、見知らぬ人ばかりでは心細かろう。その後ろ姿はヘンリーの目に寂しそうに映った。
視線を感じて隣を見ると、ラミアの様子が少しばかり変に見えた。ヘンリーと目が合った途端、ハッとした感じがした。
「どうしたのだ?」
「いえ、何でも……」
歯切れが悪い。こういう態度を取られると、気分の良いものではない。
「気づいたことがあるのなら隠し事は止めてほしいのだが。嘘と同様に」
昨日、嘘についてルイーズを交えて話したばかりだ。
ラミアは俯いていた顔を上げて「すみません」と言い難そうに口を開いた。
「今日アナベル様をそしてヘンリー様を見てふと思い出したのです。アナベル様の亡くなられた婚約者のテオバルト様を……。どことなくヘンリー様と似た雰囲気だったような気がしたのです」
ヘンリーにだけ聞こえるような小さな声だった。
ヘンリーの胸に半鐘が鳴り響いている。何故だか分からないが心が落ち着かない。
「テオ・ベルと呼ばれたお二人は私たち世代の憧れ……」
微かに耳に届く。
「申し訳ございません、私がそう思っただけですので」
ラミアが謝っている。
「アナベル様にふさわしい相手が見つかればよいのだが」
何とかそう口に出した。
「はい」
「何をお話ししているのですか?」
アナベル嬢を最後まで見送っていたルイーズがいつの間にかそばにいた。
「ああ、アナベル様にも素敵な男性が現れればいいと話していたのだよ」
ヘンリーは平静を装って答えた。
「そうですわね」
ルイーズがふわりと顔をほころばせた。その笑顔はヘンリーの心をほんわかと和ませてくれる。
胸の裡の半鐘が遠のき跡形もなく消え去ってゆく。
じんわりと温かさが胸に広がる。
この姫と一緒になれて本当に良かった。いとおしさがこみ上げてくる。
「さあ寒いから戻ろうか」
「はい」
ヘンリーはルイーズの背中に手を回しお姫様抱っこにする。
キャッ。
軽い姫を胸に抱きヘンリーは馬車止めを後にした。
青雲の章「完」




