第六十話 嘘
領主としてのお披露目とルイーズとの結婚披露とが重なり、宴は一日で終わるはずもなく四日の予定を組んだ。準備に一日、内輪での披露が二日目、領民への披露が三日目で城を全面開放して催すこととし、四日目を遠方で間に合わなかった人や用事のあった人のための予備日とした。
そして怒涛のように過ぎゆく三日目の夜、領民たちにせがまれて翌日の予備日はあるが、ほぼこれで終わりだとばかりに空に向けて特大の雷魔法を花火のように打ち上げた。
「これで恐竜を倒したのだ」
アレックスが北部戦線で実際に恐竜を倒した時の模様を来場者に説明した。あの時一緒にいて麻痺の魔術で援護してくれたのはアレックスだった。
「ほー」
「すごい」
「それだけの破壊力があれば我が領に敵が攻めて来ても追い払えますね」
来場者が口々に褒め称えた。
披露宴はヘンリーにとっては疲労宴であったことは誰にも言えない。
四日目の朝食後の一時を、頬を初々しく染めるルイーズとお茶を飲みながら久しぶりにゆっくりと過ごしていた。そばに控えているのは二人。
「教会と王宮に婚姻届が受理されました」
ホールズがウォーカーから昨晩、連絡が入ったと報告してくれた。
「よかったです」
ほっとした様にルイーズが答えた。胸元のネックレスは呪の品ではなかった。そして後ろにかしずく『ラミアとお呼びください』と名乗った侍女は元凶の女性ではなく、張本人は同期の仲の良かった侍女で、今でもかの女性とは行き来があると言う。その侍女は事件後責任を感じたらしく辞職し、その翌日にダスマン殿のもとへ謝罪に訪れ、泣きながら頭を下げたそうだ。
「それがいつの間にか伴侶へとなられるのですから、人生は分からないものです。彼女は少しだけ頭のネジが緩いところがありましたから。それがダスマン殿には好ましく思われたのかもしれません」
ダスマン殿の妻になったとは意外だ。
そしてラミアは言葉を足した。
「私も嫌いではありませんでした。おっとりとした性格で、ダスマン殿が捕縛されても慌てておらず『必ず戻ってきますから』と信じていました」
「それで貴女方が一芝居打ったわけですね」
「ごめんなさい」
ルイーズが頭を下げる。
「ものの見事にみんなが一杯食わされましたよ」
「ヘンリー様が一等先に見破ったとお伺いしました」
ルイーズが少し誇らしげだ。
「そりゃ、君たちの田舎芝居を見れば勘づくというものさ」
「ヘンリー様には嘘を吐き通すことはできませんわ」
「ラミア、それはありえません」
ラミアにルイーズが抗議する。
「そうでございますね、今までもルイーズ様は嘘をお吐きなったことはございません。あの時だけが例外です」
ラミアという侍女は思ったことははっきりと言うタイプのようだ。
「そうしてくれると有り難い」
「私は金輪際二度とヘンリー様に偽りは申しませんし、今までも嘘は……」
そこでルイーズは言葉を止めた。嘘は申しておりませんと言おうとしたはずだが。
「でも……過去に本当のことを言わなかったこと、嘘というか気休めを言ったことはございます」
元王女が明らかな嘘ではないにしろ、真実を言わなかったということがあるのだろうか。
「町に出かけた際でのことです」
ルイーズは王女の頃、市井に頻繁に足を運んだと聞いた。
「病人の治療をお願いされたのです。そのやせ細った四十過ぎの女性はお腹が痛いようでした。触診すると腫れ物があるのが分かりましたが、私の力では治療を施しても本復することは不可能と思わざるを得ない状態でした」
胃か腸にデキモノができた死病、今の王都の病院でも治せないものであったのだろう。
「治りますか? と訊かれても、私にはあなたは手遅れですと本当のことは申せませんでした。大丈夫ですよ、お気を確かに持ちましょうとしか言えなかったのです」
その時ルイーズは明るい顔を意識して作っていたことだろう。だけど、ほんの小さな嘘を吐いたと罪悪感を持ったのかもしれない。この方は馬鹿正直なだけでは世の中を渡れないことを学んでいる。制限の多い王宮生活を嫌って市井に自由を求めた単なる『ワガママなお姫様』ではない。もちろん何もできない、何もしない『お飾りのお姫様』でもないのは明らかだ。
「その方は安らかなお顔で家族に見守れて旅立ちました」
風が冷たさのはらんだ空気を運ぶ。思わずティーカップの腰の部分に手を当てると温かさを感じた。
ルイーズの殻にこもらず市井で何でもやろうという気持ちが市民に受け入れられ、頼られ、看取るまでの密度の濃い接触をなさっている。戦時下の今、戦地は遠いといえども幾分窮屈で暗い世相に小さな明かりとなったのではないか。ルイーズにとっては、よい経験が積まれ視野も広がったと思われる。
期せずして夫になった者の欲目であろうか。
「嘘を吐かないで生きていくことは人間である以上不可能ではないだろうか。『嘘は吐かない』と言った時点でそいつは嘘吐きだと思わざるをえない」
ヘンリーの言葉にルイーズがそっとうなずいた。
「そうかも知れませんわね」
「私はルイーズに励ましや気休めのため以外の嘘は言わない」
ヘンリーの嘘偽りのない気持ちだった。
「私も訂正します。ヘンリー様に嘘は吐きたくありません。なので励ましや気休めのため真実を申し上げないかもしれません」
ヘンリーとしては病気になって治らないとしても正直に死亡宣告してもらっても構わないが、この場でそこまで言う必要はないだろう。
「お互いそうしよう」
「はい」
侍女のラミアも首を縦に何回も振り、
「私もそういたします。過去、あの誘拐騒動以外では嘘は吐かないで済みましたが、今後はみなさまと同じようにいたします」
と宣言した。
ラミアは幸いなことに嘘を吐かずに済む人生を今まで歩んできたのであろうが、今後は分からない。老い先短い方を見舞うこともあるかもしれない。回復を見込めないことが明らかでも『今度旅行に行こう』『一緒にご飯を食べに行こう』と善意の嘘を吐くかもしれない。子ができ、その子が難病にかかり医者が匙を投げる場合もないとは言えない。その子に『長生きできる?』と訊かれて心の中で泣きながら嘘を吐かない人はいない。『嘘は吐かない』という人に限って、想像力に乏しく善意の嘘、涙の嘘を吐くことがあるとは気づかず、それは例外だと言い張るのだろう。見落としがちなもの、レアなものに価値が潜んでいる、と察せられない人。大雑把な人には大事を任せられない。小さなことがいつの間にか大きな影響を与えることもある。
コホン。
ホールズの報告はほかにもあるようだ。
「嘘吐きと盗人は隣り合わせとも、そして嘘も方便とも言いますから」
確かにホールズの言う通り、嘘吐きは泥棒の始まりとも言うし、嘘も状況によっては正当化する場合もあり得る。
「こちらは真実の情報です」
ホールズが改まった口調で話す。
「ヘンリー様は伯爵になられ、正式に軍籍を外れました」
伯爵では一兵卒ではないにしろ佐官未満での軍籍というわけにはいかないようだ。
「それに伴い、配下のみなさまの伯爵様の家臣への移籍申請がスムーズに許可されました。同様支援師団のリアム様の部隊の伯爵様の家臣への転籍も認められました」
その二つはアナベル嬢が予めウォーカーとベーカーに頼んだと聞いていた。さすが、支援師団長付副官ともなると手際がよい。
「それは良かった」
「近衛魔術師団長と近衛支援師団長が動いてくれたようです」
各師団のトップのお二方に感謝だ。
「最後にマシュー殿の取り扱いは、エジン家の郎党として認められ、エジン家と領主の伯爵様に一任すると警ら総監様からの書状が届いております」
マシューの犯した罪の真相は速やかにクーツ家へ連絡が行き、亡くなった相手方のデイカー男爵家に圧力をかけたのは疑いようもない。
「クーツ家にお世話になったようだね」
ホールズも無言でうなずく。
マシューの免罪のみならずホールズの退職そしてルイーズの降嫁と、アナベル嬢及びクーツ家には相当骨を折ってもらった。感謝してもしきれない。
「本日の予定は、予備日でしたが、午後から遠方や用事のため昨日までの宴席に参加できなかった領の要人たちが何人かいらっしゃいましたので、その方々への披露を行います」
「分かった」
「また王都へ戻るアナベル嬢の送別会を兼ねさせていただきます」
初めて聞いた。隣のルイーズのお茶を飲む手が固まっている。
「そうかアナベル様は王都へ戻るのか」
ヘンリーは唐突に感じないこともなかったが、アナベル嬢は近衛支援師団長の副官という大切な役割を持つ職業婦人である。約一週間も私たちのために自分の休暇を使ってくれたのだ。とても有り難いことだと思う。
「お姉様が……」
ずっといるものだと勘違いをしていたのかルイーズは、寂しげな表情を浮かべている。




