第六話 幹部候補生学校生活(イタい思い) 一
幹部候補生学校の寮は、王都のはずれにある。
幹部候補というエリートを思わせる冠がついていながら個室ではなく三人部屋を宛がわれた。他の二人は官兵学塾、聖騎士学校の研究科卒、同じ二十三歳だ。リアムとソニーと名乗った。二人は黒髪、魔力持ちではない。王都にある三大学校、魔法の王立学院、文の官兵学塾、武の聖騎士学校と呼ばれる三校の卒業生を一部屋に集めたようだ。
「ヘンリーはその赤髪から魔力持ち、魔術師の資格持ちなのか」
学塾卒のリアムが訊いてきたので、「そうだ」と正直に答えた。
「ひょっとして貴族か?」
「貧乏子爵家の三男だ。敬語は不要だぜ」
「そ……そうか」
「本当にいいのか」
ソニーも確認してくる。
「もちろんだ、何ら問題ない」
「「分かった」」
二人は気持ちよく応えてくれた。二人はいずれも爵位持ちの家柄の出ではなかった。
「ここを卒業後は魔術師団へ入るのか」
リアムが訊く。
「たぶんそうなるだろうな」
我が国の軍隊は大きく分けて魔術師団、一般兵士中心の兵師団、それに兵站等の裏方作業を行う支援師団の三つからなる。兵師団と支援師団に魔術師は、回復や治癒の魔術を行う治療部隊のようにいないことはないが、役割や作戦により流動的で、数はとても少ない。
「魔術師は貴重だからな」
学院卒の魔術師の有資格者は端から試験が不要だったことをリアムが説明してくれた。そう言えば学院に軍隊の案内物が多数あったような気がするが、興味がなかったので目も通していなかった。
「それは知らなかった。てっきり王国官吏試験に合格していたから免除されたと思っていたよ」
「それは……思い切った転換をしたね。ひょっとして上級?」
「ああ」
嘘を吐く必要はない。
リアムのみならず、ソニーも目を丸くしていた。
ヘンリー自身も客観的に見れば軍隊よりも高級官僚の道を選ぶはず。どうしてこうなったか、と今でもため息がこぼれそうだ。
「ソニーは?」
「俺は騎士隊を希望するから兵師団だ」
「私は裏方だから支援師団かな」
学院と聖騎士学校、官兵学塾は毎年三学祭を行っている、たぶん彼らとも会っているだろうが、覚えていない。
「君はたしか四年生、五年生のときの個人総合競技会で結構いいとこまでいっていたよね」
個人総合競技会は三学祭の華と言われる武器あり、魔法ありの武術大会。ソニーは二年連続と言ったが、ヘンリーは三年連続決勝まで進んだ。
三年生のときの相手は最上級生、遠慮があったのかもしれない。勝ったと思って手を緩めたが、まだ審判が判定していなかった。この後『斟酌』という言葉が流行った。勝者は軍の要路を多数輩出している名門貴族家の子弟だったせいもあるかもしれない。あれはヘンリーの未熟さのなせる迂闊な行為の何物でもないと自覚している。
四年生のときは寄宿舎でお世話になった上級生、五年生のときはクラスメイトだった。二人とは練習ではたいがい四分六で負けていた相手だった。いずれも勝ちそうになったので慌てて手を緩めた隙に一本取られた。
三年連続チャンピョンになりそこなった。あとで「君が本当のチャンピョンだったと思う」とこれも三年連続言われた。武術の先生に「ヘンリーは練習ではそうでもないが、本番にやたらと強い。お前の強みは本番でもいつもと同じ事、いやそれ以上の事ができることだ。普通の奴は本番では普段の半分の力も出していない」と言われた。
そして「加減しただろう」とニヤリとされた。
わざとではないが、自分が相手に勝って優勝者になっていいのだろうか、とあの時脳裏に浮かんだことは確かだ。特に四年、五年の相手の二人は真面目に個人総合競技会に向けて努力していたのを知っている。それに引き換え、自分の将来は代官として鉱山経営が中心だからと、魔法を磨くことは大好きだったが、武にそこまで真剣に取り組んでいなかった。そんな一瞬の躊躇が、勝つチャンスを逃し、隙につながり負けた。かといって、当時は後悔しなかった。
研究科に進んで競技会で審判だった先生に言われて魔術師の資格は取ったが、鉱山経営の勉強の方に力を入れていた。
それが……。今とはなってはなんだかなあ、と思ってしまう。一八〇度の方向転換を余儀なくされた。
幹部候補生学校の生活はキツイ。朝六時起床、就寝二十三時。昼間は訓練につぐ訓練、その上に座学の勉強が一日のカリキュラム。週末も休みと言いながら自習を強制される。それが一年も続くのだ。幹部候補生というこちらの選良意識をくすぐりながら実態は一兵卒と何ら変わりはしない。
なまった身体が悲鳴を上げている。魔術師にしては体力自慢のヘンリーだったが、学院の研究科最終学年時は王国官吏試験のため机に向かう時間が長かったせいか基礎訓練で筋肉痛に襲われた。それも臀部の筋肉が痛いなんて生まれて初めての経験だった。
――耐えられるのか。
と自問し始めた、一か月が経ったころ一通の手紙が届いた。差出人はルナーゼ・マクスウェル。誰だっけと思って読んだ。
『親愛なる婚約者様へ』
一行目を読んでそうか、自分をいばらの道に追いやった張本人がいたのだと気づいた。
――婚約者ねえ、思い出しもしなかったよ。あんたのおかげでこちとらヒーコラしているぜ。
と愚痴りたくもなる。それほどの疲労が溜まっていた。
『初めて差し上げるお手紙にドキドキしております。
私は現在、あなた様も卒業した学院の一年生になりました。中庭へ通じる小径をあなた様は覚えていらっしゃいますでしょうか? 今は盛りと咲き誇るコスモス、ピンクと白の二種類が迎えてくれます。
あなた様もこの小径を通っていたのではないかと想像するとワクワクします。
いつかあなた様と二人この小径を歩いてみたいものです。
ただこのコスモス、原産地がこの大陸ではないと知っていましたか? なんと西の大陸から巡り巡ってこの大陸に来たようです。海にいる恐竜に襲われるため航路さえないという別大陸。どうしてコスモスが繁殖したのか不思議です。飛来した渡り鳥に運ばれて来たのでしょうか?
その真実はなんと、漂流船だそうです。乗っていた船員からもたらされたと聞きました。何ともすごい旅をしたのですね。
船の旅は憧れますが、恐竜と出遭うのは困りますね。
でもあなた様は魔術師の資格を持つ有能な方。軍隊でも力を伸ばし、恐竜もあっという間にやっつけてくれますよね。
学院であなた様の三学祭の噂を聞きました。三年連続のファイナリスト『幻のチャンピョン』素敵すぎます。
なお、私のことはルナとお呼びください。
訓練は大変かと思いますが、これからも頑張ってください。
かしこ』
このセントラル大陸以外に海の向こうにも四つの大陸が存在する。彼女の言う通り海には恐竜がいて船で航海可能なのは近海のみ、遠洋には出かけられない。狂暴な恐竜の餌食となるか、嵐で難破するかのいずれかで、東西南北にある大陸への航路はなく、どことも交易をしていない。他の大陸のことは、運良く助かった漂流船の乗員や漂流物から分かったようだ。恐竜は海以外の陸地のセントラル大陸にも以前いたが、人の力で駆逐してその脅威はなくなっている。
手紙を読んで机にしまった。
――分かりました。ルナさんとやら、何とか頑張りましょう。しかし『幻のチャンピョン』ですか、そんな二つ名がついているとは……。
ふー。大息をついた。
「ヘンリー、なんかいいことがあったのか」
リアムが訊いてくる。
「別に」
十四歳の小娘にときめいているわけではない。
「変な奴だな、何にやついているんだ」
なんとなく嬉しい気持ちでその日は休めた。週末には眠い中、学院時代の先生の事なぞを書いた返事を送った。
決して婚約者からの手紙に心が弾んでいるわけではない。自分が不興を買うと実家の子爵家に迷惑をかけるのを恐れているだけである。ややもすればニヤニヤする自分の気持ちを、兄のためだ、そう無理やり思い込ませて、ようやく折り合いがついた。
投かんし部屋に戻って来て、唐突に思い出した。『幻のチャンピョン』、以前聞いている、確かサンダー領に行った際にリリアンがつぶやいていたように思う。あの時どうしてリリアンが出迎えてくれたのかが、不思議だった。それが『幻のチャンピョン』見たさだったのではないか。女子学生の間で七不思議にでもなっていたのかもしれない。
あの後学院に二人ともいるのに一度も会わなかったのも道理だ。一度見れば十分だからな。
勝手に青春の一ページにした自分がイタい勘違い野郎に思えた。