第五十七話 願い事
「ルーニー」
リアムが部下に声をかける。すかさずルーニーが机の上から書類をリアムのもとへと運ぶ。
「ここへきてから今までに調べた資料だ」
三つの束になっている。
「このクラレンドン領の地形はこちらを見てくれ」
指差した壁にクラレンドン領を中心とした周辺の地図がかかっている。ここは王都から見ると真北というより少し西にずれた北北西に位置する。
領の北側と西側は海、南側はヘンリーたちによる多数の奪還地、そして東がノース公国。
西側の海に沿って山脈が延び、北側から中央部は南にも広がる平野があり、東側は山地と川に沿って開けてノース公国に至っている。
「海の海産物関連、山の木材・牧畜・鉱山関連、里の農産物関連に分けて過去十年分の資料をもとにして、まとめたものだ」
海の幸、山の幸そして里の恵みと全てがこの地にあるということだ。必然的に商いも盛んになる。
「過去の資料は調べれば分かるが、それをまとめ上げた……つまり温故知新ならぬ、過去を見れば未来が予測可能ということか」
ヘンリーは感心した。
「ほー。当家にも過去の資料はありますが、いずれも単年単位で、まとめ上げたものとなると、ちょっと記憶がないですな」
薄い髪をさすりながらバラッドが応じた。
「ウチもそうだ。年度によって獲れ高がブレるからな」
「それは気候のせいか?」
ヘンリーがゴードに訊ねた。
「そうです、海水温によって獲れる量も魚の種類も変動します」
「農産物も天気に大きく左右される」
「その年の気候条件もできるだけ加えた資料だ」
リアムの仕事には手落ちがないようだ。
「働き手の数とやる気の違いも大きいんだが」
ゴードがない顎髭に手をやりながら言った。
「それは海、山、里、全ての事業において当てはまる」
バラッドも同感のようだ。
「残念ながら正確な就業人数と従事者のやる気までは把握できなかった」
「だが、これはとても役に立つ一級の資料だ。働き手の数を加味して今後も継続すべき統計データだ」
ヘンリーの褒め言葉に、リアムがニヤリと笑う。
「ヘンリー、この地は宝の山だぞ」
ヘンリーは目を細め、顎をちょっと上げ、先を話すように促す。
「ここ数年、気候も大して変動していないのに海も山も里も全体的に生産量が落ちてきている」
「となると理由は人か?」
「そうだ、人手だ。つまり働き手が少なくなってそれに伴い獲れ高、生産高も少なくなったというのが一番の原因と考えらえるのだ」
「どうして人手が少なくなったのだ?」
「一つは戦争だ。若くて生きのいい男たちが兵役に就かされた」
「ノース公国のやつらに無理やり連れて行かれたのだ」
バラッドが苦々しく口を挿んだ。
リアムがうなずいてさらに続ける。
「もう一つは税のせいだ」
「四公六民と六公四民の違いと聞いていたが?」
ヘンリーが問いかけた。
「王国とノース公国では税が全くと言っていいほど違うのだ」
そうリアムが話している最中から、ゴードが身を乗り出している。
「税率だけじゃないんです。運上金・冥加金を取られた上に、商人には窓税・戸口税・間口税、つまり窓と戸口の数と店の入り口の幅に応じて税をかけらたんです」
そんな税は聞いたことがなかった。そんな税があれば窓がなくなり暗い部屋ばかり、戸口は一カ所で間口が狭くなって仕方がない。火事があったら大変じゃないか。
「独身税なるものもあったそうです。子供を増やす目的だったらしいのですが、結局、重婚や偽装婚が多発して、子供の数が増えずにすぐになくなったそうです」
と言ったのはルーニーだ。
「さらに全ての仕事に雇用人数分の人頭税をかけられたんだから、こっちはたまんないですよ」
人頭税は王国でも以前あったと聞いたことがある。働いている人数にかかる税金だ。
「つぶれるなら仕方ないと、ウチもみんなも使用人を臨時雇いにして税逃れしたのです」
税の抜け道か。正規の雇用人は税の対象となるが、一時の働き手は除外できたってわけだな。
「そうなりゃ不景気です。仕事がなくなり、おマンマが食えない、挙句の果てに徒党を組んで野盗、山賊だらけの地になったのです」
ゴードが途中ルーニーの独身税の話をはさんで具体的に説明してくれた。
「働き手が兵士と盗賊になったわけか。それで生産量が落ちた」
ただ、今年は景気が良いと食堂の女将が言っていたが、税の軽減効果だけで目に見えて良くなるのか?
ヘンリーの疑問に答えるかのようにバラッドが顔を上げる。
「そいつらが徐々に帰ってきている」
「連れて行かれた兵士たちが、ノース公国が敗けたどさくさに紛れて帰ってきだした」
ゴードが補足した。
働き手が戻ってきたのか。なら俺たちが頑張った甲斐がある。
「税が六公四民から四公六民に軽減されると聞いてみんなやる気になったところに働き手が増え、景気が良くなった。金が回り出し、仕事も増えだした。元来ここいらの人間は身を粉にして働くことを美徳とし、文句を言わず歯を食いしばって働くんだ。盗賊になった奴も職があれば喜んで正業に戻って来たよ。だれも喜んで悪人になった人間はいない」
バラッドが断言した。
「それで今年の生産量は上がりだしている。多分過去十年で最も良くなる見込みだ」
最後にリアムが自信満々に今年の出来を保証した。
「さらに来年はもっと良くすることができる」
ヘンリーはリアムが言おうとしたことが想像できた。さらなる税の軽減、王国にはない窓・戸口税と間口税と人頭税の廃止。
「運上金・冥加金と王国にはない数多の税の見直し。これをいい機会ととらえ、税を抜本的に変えればこの地は反映し続けられる」
軽減だけではないのか。税の仕組みを変えるとは一大改革になる。
「窓と戸口の数、それに間口の狭さから区画整理も発展する上には必要だ」
街そのものに手を入れるとなれば大事業となる。
「それらを俺、いえ私にやらせてもらえませんか、クラレンドン男爵様」
リアムが真面目な顔付きでヘンリーを見た。
「願いとは私をヘンリー、いや男爵様の家臣にしてほしいのです」
家臣になるとは王国の支援師団を辞めるということだが。
「このお宝の地がどうなるのか見たい、できたら自分の力を試したい。頼む、領地経営を手伝わせてくれないだろうか」
願ってもないことだ。
「それと、私だけじゃなく部隊員全員の総意でもあるんだ」
「よろしくお願いします」
ルーニーにも頭を下げられた。
「隊長に言われたからではありません。みんなの思いなんです。この領に来て調べれば調べるほど好きになりました。潜在能力はとてつもない土地です。新領主が悪い人でなければ、ここにずっといたいと思っていました」
ルーニーはあまりにも正直すぎやしないか。
「馬鹿野郎。新領主が悪人じゃなければって、男爵様が困るだろう」
苦笑いするしかない。まあそれほどこの地が好きになってくれたのなら苦労を惜しまないだろう。
「分かった。こちらこそ願ったり叶ったりだ。よろしく頼む」
こうしてヘンリーは労せずして支援部隊七名を仲間に加えられた。
リアム隊の他の五名は准尉、上級曹長、曹長、軍曹が各一人と伍長がルーニーのほかに一人いた。隊長のリアムは魔法を使えないが、部下の最上位の准尉のエスメ嬢は銅の魔法が使え、かつ金の魔石があればという条件付きだが初級の回復魔術が使える。
「ヘマをして少尉から降格になりました」
元々は少尉だったらしい。年齢はヘンリーたちより幹部候補生学校の一期上、ヘマというより貴族の上官に楯突いたそうだ。
降格人事の規定の存在は知っていたが、実際に処分された本人に初めてお目にかかった。そんな場合は除隊が当たり前で、例があるとは思ってもいなかった。
この方も年上の女性、『触らぬ神に祟りなし』のタイプなのであろうか。
みんなで、城で夕食を取っていた時にアナベル嬢がにこやかに笑いながら言う。
「後はヘンリーのお嫁さんだけですね」
姉さん面は止めてほしい。他人のことより自分はどうなのですか、と皮肉りたくもなるが胸の裡に留め置く。
アナベル嬢は顎を軽く上げ笑みを薄くする。
「さもないと独身税を取られかないですからね」
前占領下の遺物のなくなった税を持ち出してくるとは、勘弁してくれ。




