第五十五話 花は根に鳥は古巣に
「お久しぶりですね」
「姫様もお元気そうで」
そう笑顔で応じたのは六十過ぎの老人。
「お嬢様もお変わりなく」
こちらは四十歳くらいの男性。
「お二人に紹介しますね。こちらが今度の新領主のヘンリー様です。男爵位に新たに叙爵された、子爵家のご三男の方ですよ」
「ヘンリー・クラレンドンです。よろしくお願いします」
二人は目を見張った後、徐々に表情が明るくなりだした。
「ひょっとして」
「もしかして、本当ですか?」
何やら二人の期待が膨らんでいる。
「そうですよ」
「ヘンリー・ハロード様」
名乗っていないのに老人は旧姓『ハロード』を知っている。
「ヘイディ様とアルフィ殿のお孫さん」
ヘイディは祖母の名、そしてアルフィというのは祖母の最初の夫、ヘンリーにとっては祖父だと記憶している。それをこの壮年の男性は知っている。様と殿の違いがあるのは、性別の違いか? それとも『アルフィ殿』とした祖父の身内なのだろうか?
「エジン家のバラッドです、今は隠居になりました」
「グラス家のゴードです、先年当主を継ぎました」
老人がバラッド、壮年がゴードと名乗った。
「私たちのことを覚えていませんか」
バラッドがヘンリーに訊く。
「まあ、無理でしょうね。私のことですらすっかりですから」
「えー、お嬢様のことも、ですか。あれほど懐いていたのに。ならば私のことは丸っきりですか」
ゴードが呆れ顔をする。
何なんだ。この二人とは初対面のはず。ヘンリーの知らないところで会話が進んでいる。
「バラッドですよ」
薄くなった髪をさする。
「ゴードです」
日に焼けた顔。ない顎髭を撫でる。
この顔に覚えがあるだろうとでも言いたげに、二人が再度名乗った。
「アナベルよ。二十年ほど前を思い出しなさい」
三人にじっと見られる。二十年ほど前に何があった? 三人の顔から二十年前を想像する。
「この別荘でのことよ」
白亜の風格のある別荘、ヘンリーの想像通りの建物……。
ユラリ。記憶の中からいくつもの映像が浮かび上がってきた。
四歳、いやもっと前だ、三歳か、二歳ではない、意思の疎通ができたのか三本の指を出して褒められた気がする。薄着だ、夏なのか。祖母がいる。馬車に乗っているようだ。仲の良い兄たちはいない。白い重厚な造りの建物に着いた。窓から可憐な少女が顔を覗かせている。金色の髪は三つ編みのユケライネ巻きだ。
この別荘に来た時に想像した少女の記憶が遥か彼方から鮮明によみがえる。記憶の中の少女と今日のアナベル嬢の髪型が一致した。そして……面影がある。
続けて男性の顔が浮かぶ。二人、いや四人いる。二十年の歳月を経た顔の二人が今ここにいる。海でみんなと遊んでいる。少女が手を握ってくれた。もちろん幼きアナベル嬢だ。髪の豊富なバラッドも、日焼けし顎髭を生やしたゴードも笑顔だ。
「私は以前この別荘に来たことがある。窓からアナベル様が顔をのぞかせた。みんなで海へも行った」
三人がうなずいている。
「この建物の絵を描いた」
「ワシが持っている」
バラッドが答えた。
全てのピースがキレイに嵌った。
「末っ子の姫様がヘンリー様を『弟ができたわ』と言ってずっと付きっ切りで面倒を見ていたのだよ」
アナベル嬢には次期当主の兄がいたはず、ほかに兄か姉だけで弟、妹がいないのか。ルイーズ王女は異腹の兄と弟、一瞬間違えそうになる。
「ヘンリー様はとてもお嬢様に懐いて『お姉様』と呼んでいらっしゃった」
ヘンリーはとても恥ずかしい気がしてならない。
「そうよ。王都で久しぶりに二人になった時に『お姉様』と呼んでくれると思っていたのに、……『レイディ・クーツ』にはがっかりしたわ」
宿舎に侍女とともにやって来て、そうだあの時、無言で待たれていた。ミスターと返され正解を出したと思っていたが、からかわれたのではなかったのだ。そして今朝の微かに浮かべた寂しげな様子も……お姉様と呼んで欲しかったのか。
もう子供じゃないんだから、それは無理な注文というものだ。
「ヘイディ様が身罷り、縁が切れてしまうと悲しかったわ」
リーン、ゴーン、リーン、ゴーン。
教会の鐘の音が耳の奥で再生される。
祖母はヘンリーが六歳の時に亡くなった。
「貴方のおばあ様のヘイディさんはエジン家の出なのです。そしておじい様のアルフィ様はグラス家の出身なのですよ」
えっ、それは初めて聞く、今まで知らなかった。
ここはヘンリーの故郷と言ってもいい地なのだ。そうか兄二人は母が異なるから一緒ではなかったのか、と改めて理解した。ヘンリーの母は祖母ヘイディと祖父アルフィの娘で、兄たちの生母とは異なり、祖父母も別人。
「本当に大きく立派になられました」
バラッドの言葉にゴードがうなずいている。アナベル嬢は目を細めながら話の穂を継ぐ。
「私には旧クラレンドン伯爵の血が流れているわ。私のおばあ様が最後の伯爵家の娘、ノース公国に幼い頃占領され、この地からヘイディやアルフィたち小さき勇者に守られて王都まで追手を避けながら旅をしたのよ。その後、王家の方と結婚してクーツ伯爵家を興されたの」
その幼き子らの逃避行の逸話は聞いたことがある。それがこの地クラレンドン領だったのか。物語での場所は北の地、そして伯爵ではなく貴族となっていた。となるとヘンリーにとってクーツ家は母方の主筋に当たるのだと初めて知った。祖母と一緒にこの別荘に招かれたのも、バラッド、ゴードが姫様、お嬢様と呼んでいるのも合点がいく。そして三人がヘンリーに向ける温かい目も納得する。
「公国から解放してくれる王国軍が来た時、ヘンリー様がいると聞いて、食料をてんこ盛りにして運んだのですよ。でもあっという間に城の片が付いて、すぐさま次の城を攻略しに行ったので会えなくて、残念な思いをしたのです」
多数の荷馬車がきたのは知っているが、無血開城だったのですぐさま転戦したと記憶する。
「それがこの地を治める領主様となって戻って来られるとは、ありがたいことです」
フィンが気を利かせて、男爵証と国王との謁見時の覚書きをアナベル嬢に渡した。
アナベル嬢が男爵証に目を通し、それをバラッド、ゴードへと回覧する。
国王との謁見時の覚書きを見たアナベル嬢が、
「これは本当のことなの! そうよね、ここにサインがあるから間違いないわ。でも……まさか、ノース公国の領地は切り取り自由の保証を国王陛下から勝ち取るってヘンリー、貴方何者なの」
と呆れかえっている。
「元貧乏子爵家三男坊、今は男爵のなり立ての若造ですが」
ヘンリーは我ながら下手な役者だなあ、イナセとはいかないと思いながら答えた。
「姫様、どういうことですか」
「バラッド、ゴードこれを見てごらんなさい」
二人は同時に覚書を読んでいる。
「何という事。これはすごい」
「ノース公国の奴らに思い知らせてやりましょう」
よほど、ノース公国に恨みがあるのかもしれない。
「協力してくれるか」
言った瞬間、閃いた。今日のアナベル嬢の髪型は記憶の中の少女と同じだけではない、謂れとなった弱小領をクラレンドン、巨大領をノース公国と見立て、一発逆転劇のシンボルとして第一歩を刻むためのものであったのでは。首に巻かれたスカーフは……白だ。
「「もちろん」」
二人の答えを聞いた。そして旧クラレンドン伯の忘れ形見の血を引き継ぐアナベル嬢のサインも受け取った。
「目にものを見せてやろう」
この二家が味方ならノース公国との戦い、そして今後の領地経営が円滑に進められる。祖父母に感謝だ。
「早速ですが一つお願いがあります。詳細は後でお知らせしまが、ここにいるマシューですが」
マシューがさっと手を挙げる。
「どちらかの郎党に名を加えていただきたい」
「訳ありですな」
バラッドがニヤリとする。
「お察しの通りです。名前だけで実際は私のもとで働かせます」
「分かりました。日付は領が王国に戻ってから速やかに郎党としたことにしましょう」
これにアナベル嬢が即座に反応した。
「マシューは、学院研究科卒の優秀な若者よ。セントラル王国領に戻れて、好機とみたエジン家が商いの幅を広げるため王都で人材を探していたことにすればいいわ。クーツ家が橋渡しをしたことにしますことよ」
「願ってもないことです」
これでマシューの罪が有耶無耶にできる可能性がある。
「ありがとうございます」
マシューがホッとした顔をする。
「当家の海の事業にというより、隠居のエジン家の里の事業での人材募集とした方が、合理性がありますな」
ゴードが残念そうだ。今の会話からグラス家が海をエジン家が里を担当しているようだ。否、山も多分含むはず。それらの事業には商いも含まれているのだろう。
「先ずは城に入りたい」
ヘンリーは力強く言った。
「先導いたします」
ゴードが今度は自分だと応じてくれる。
「私も、ご一緒しますわ」
アナベル嬢も来てくれるようだ。
「城の明け渡しをスムーズにしましてよ。まあこの男爵証があれば文句を言う方はいないでしょうが」
そうかアナベル嬢は支援師団、城にいるのも支援師団、階級と近衛支援師団長付副官という肩書きが物を言いそうだ。
しかし何故アナベル嬢はこの地に来たのだ?
「どうしてアナベル様はこちらへいらしたのですか?」
疑問を直接ぶつけてみた。
「あら、可愛い子たちのために決まっているじゃないの」
――俺は子供扱いなのか、それもたちってどういう事だ。俺の部下たちのことも含めてそうなのか。
アナベル嬢はすました顔を見せるだけであった。
「さあ、着替えて出発しますわよ」
ヘンリーたちは王都で調えた昇進後の階級の軍服姿になりアナベル嬢と共に別荘を出発した。
マシューと二家の一行も帯同する。




