第五十四話 王都情報
食事の時間は静かにそして早く終わった。それもそのはずナイフを使用しないで済むように処理されていた。
アナベル嬢がぐるっとみんなを見渡し、マシューに目を留める。
気づいたヘンリーが紹介する。
「彼はマシューです」
「貴方が、王都で話題の主なのですね」
アナベル嬢が納得するかのようにゆっくりと首を縦に振る。そんなに驚いた様子がないのは、やはりホールズの注進が王都の本邸にまで届いているからであろう。
「ここにいるのは分かっていたのよ。もちろん誰にも言えやしないわ。知っているのは当家のごく一部だけ、外には出ないからその点は安心して」
「マシューのことはどれほどご存じですか」
「表面上のことだけね。詳細を知るには時間が足りないわ」
「冤罪です。それは断言できますが、証拠を揃えるのは骨が折れると思います」
そう言ってヘンリーは事のあらましをアナベル嬢に説明した。
「分かったわ。でもごめんなさいね。脱獄した事実と貴族相手では裁判で無罪を勝ち取るのは多分無理だわ」
アナベル嬢は気の毒そうな顔をマシューに向けた。
「仕方ないですね」
みんなの表情も若干暗くなる。
ナプキンを置くとアナベル嬢は表情を厳しくしてヘンリーを見た。
「王都での貴方たちの処遇の情報をお知らせするわ」
一番気になっていたことだ。
「召喚命令が出る見込みです」
まさか。
全員が驚いた後、顰め面になった。
「みんなそんな顔をしても結果は変わらないわ」
アナベル嬢の言葉に表情を元に戻す。
「最初の時点では貴方たちの態度が生意気だという御仁がいたようですが、若者らしく血気盛んでよいのではないかという意見が大勢を占めていたのですよ」
ならお咎めなしでよいはず。
「宮中の小雀たちもお姫様抱っこを見た娘がいたらしく、『わあ! 素敵!』と評判だったのよ」
そんな評判は要らない。まさかまさか、それが召喚命令に繋がったって事はないよな。
「ヘン様お姫様抱っこ順位権なるものが宮中内で流布していますことよ」
なんだそれは。
「イースト公国で体格の優れた男性たちによる肉体だけによる格闘競技『スモー』なるものが流行っているそうで、その最強の闘士に抱っこされるのが若い娘たちの憧れらしいわ」
それがどうしたというのだ。早く私たちの扱いの経緯を。
「その順位権一位がなんと私らしいの」
アナベル嬢の目が怖い。勘弁してほしい。
「まあ、冗談はさておき」
冗談なのか! これだから年上の女性は厄介なのだ。
「王宮でルイーズ王女の処遇の会議をしていた最中の昼過ぎだったらしいわ。ユーチスバ監獄から脱獄の一報が入ったのは。さらに続報では、ヘンリー隊が脱獄に関わっているという緊急連絡が入ったそうよ。これはお父様の受け売りよ。すぐに貴方たちを探し始めたわ。でも王都ではなくここに向かっているのをお父様は知っていて傍観したそうよ。ウォルポール宰相は召喚してそのまま捕縛し状況によっては殺害もやむなしという意見。ウィルミントン上卿は召喚して懐柔しようと目論んでいると感じたらしいわ」
身の潔白は確かだが、マシューをおいそれと差し出すわけにはいかない。となれば、のこのこと王都には行けないということになる。
「私の責任です。自首します」
マシューの目には真剣さが籠っている。
「いや、そんな必要はない」
即座にヘンリーが制した。しかし、このクラレンドンで暫く匿えないだろうかと考えているだけで、良いアイデアがあるわけではない。
「時間稼ぎをしましょう」
エズラが発言した。
「具体的には?」
アナベル嬢が訊く。
「召喚命令は別にして、本来の予定では本日私たちの休暇が終わります。そこで、マシューの脱獄を察知したヘンリー隊が捕縛のために向かっている、そのため休暇の五日間を過ぎても戻れないと王都の近衛魔術師団長ティナム様へ連絡を入れるのです」
「召喚命令に応じられない状況を作り上げるのですね。なかなか良い案ですが……」
アナベル嬢がしばらく沈思する。
エズラが続ける。
「私たちは休暇中で、この地は男爵が賜ったのですから、その下見を兼ねて来訪しても不思議ではなく、また時間的に召喚命令のことは知りえない訳です。そこへたまたまマシューもここへ逃げ、脱獄情報を聞いた私たちは顔を知っていますから、追いかけることにしても無理はありません」
ヘンリーもこれなら整合性が取れないでもないと思えたが、これだけでは一時しのぎにしかならない。次の一手が欲しいところだ。
「厚かましいお願いがございます」
遠慮がちにマシューが口を開いた。
「その連絡を入れた後、私をこの地のエジン家かグラス家に世話してもらえませんでしょうか」
アナベル嬢の目が光った。
マシューがエズラと相談したのは明白だ。当然かの二家が保持する赦免状を当てにしてのことだと推察できる。
ヘンリーも利用できないかと考えていた。ただあくまでも伝説なのだ。はっきりしてからと思っていたのだが……。
「考えたわね。さすが天才エズラ君に秀才マシュー君と言ったところかしら」
やはり学院時代二人はそう称されたのか、と思うと同時にクーツ家、否警ら総監家の調査能力は個人にまで及んでいる、と想像すると薄ら寒くなる。
「赦免状のことを知っているのね。その恩恵を受けるのは一族郎党全て、範囲は国中だから、二家のいずれかに正式に取り立てられれば、何とかなる可能性があるわ」
今でも赦免状は伝説の通り有効のようだ。クーツ家のご令嬢は二家のこともきっちり把握なさっている。
「恐れ入ります。今朝早起きしたので今後のシミュレーションを二人でしました」
エズラが答えた。マシューが未明に麻痺から回復したのだろう。
「最悪のシナリオでしたが」
――おや、マシューの言うシナリオとはどういう事だ。最悪が召喚命令なのは分かる。先ほどの一連の流れがシナリオ? 召喚命令が出たら、マシューが自首を申し出る、すると俺が自首は必要ないと言うはず、そこでエズラがマシュー探索を理由に王都へ戻らないと連絡する案を出す。俺の動きもきっちり二人に読まれていたわけか。そして最後に赦免状を持ち出すとは……これはさすがに至急の検討もしくはホールズに確認しましょうという手筈だったのではないか。
「まさか、アナベル様が召喚命令を持ってくるとは想定外でした。てっきり、スミス中佐か部下のウォーカー、ベーカーいずれかの大尉が来ると踏んでいました」
エズラの言う通りだ。ヘンリーも驚いた。
「アナベル様なら赦免状の件もご存じだろうと、お願いしたわけです。ただ、二家には形だけの郎党扱いで、自分は男爵様にお仕えしたいです。男爵様にもう一度、一から鍛え直してほしいのです」
真摯な瞳で訴えられた。
それを見たアナベル嬢が、
「さあ、ヘンリー。貴方も腹をくくりなさい。今後どうしますか?」
と部屋に冴えわたる声を放つ。
試されているようだ。
――さて、俺はどうしたいのだ。
その時天啓のように国王陛下と話したことが脳裏を駆け巡った。
『ノース公国に向けて領土を広げる努力をせよ』
『切り取り自由とさせていただきとう存じます』
『勇ましいな。良きに計らえ』
『確かに承りました』
――これだ!
「ノース公国へ! 本クラレンドン領のように虐げられた民を救う為、私は立ち上がる」
さすれば、多少のこと、マシューのことも召喚命令をも吹き飛ばせるはずだ。力強く言い切ったその瞬間、
「ヘンリー様」
と、打ち震えたような声が意外なところから上がった。ホールズだ。
「私もお手伝いさせてください」
一歩前に進んだホールズは、
「私はノース公国出身です。必ずやお役に立ちます」
と意気込んだ。
「私たちもご一緒しますよ」
ボビーが言うと、アレックス、カレブ、エズラ、オーリー、フィンも「当然です」と追随する。
「私もお連れください」
マシューも負けじと言葉に強い意志を込める。
「よし、分かった。頼むぞ、みんな。全員で立ち向かうぞ」
「おう」
「先ずは、クラレンドン城に入る。フィン、国王から授かった書類を用意しろ」
「はい」
フィンが自分に宛がわれた部屋へ向かう。証書フォルダーを持ってくるつもりなのだろう。
「決断が速いわね。見込んだ以上よ。男爵証を持って城へ向かうのはいいわ。でもその前に地元の有力者に顔と話しを通しておいてくださいな」
アナベル嬢が微笑んでいる。
「そうだった。今からエジン家とグラス家の方がいらっしゃるのだな。丁度いい、挨拶をし、彼らにも協力をしてもらわねば」
「そうね。でもホールズまでもがと思うと、一寸ペースが早過ぎるわ」
そうだ、ノース公国出身だと言ったが、過去に国元で何か遺恨があるのかもしれない。
「元ノース公国の貴族よ、ホールズは」
「没落した成れの果てです。もう何十年以上昔の話です。政策に反対した兄が、父母が犠牲になりました。私だけが逃れられました」
相当な事情があるようだ。ゆっくりと今は聞けないが、仲間としていいだろう。ノース公国出身なら異なる考えもできるはず、それに年上の方がいれば若い世代の抑えにもなる。
「一緒に頑張りましょう」
「ありがとうございます」
ヘンリーの言葉にホールズが頭を下げた。
「それはそうとして、時間稼ぎはやはり必要ね。エズラ君とマシュー君の意見を取り入れて王都の近衛魔術師長宛てに連絡を入れましょう」
「分かりました。早急に対応します」
ホールズが請け負った。
証書フォルダーを持ったフィンと同時に見知らぬ二人の男性が部屋に入って来た。
エジン家とグラス家の方であろう。




