第五十二話 千変万化
白の防御服を着たエズラとマシューの二人が別荘の中庭で対峙している。武具は魔法で勝負するから不要だと二人とも持っていない。マシューは銅の鋼球の魔術は使うだろうが男爵の死を受け金属の核なしとし、弱い威力にするつもりなのだろう。
ピッ、ピッ、ピー。
闘いの開始の合図をホイッスルで鳴らす。
「ウォーター」
エズラが呪文を発すると同時に水流が放物線を描いてマシューを襲う。魔力壁をどうにか間に合わせたマシューだが、突き破られ水まみれになる。と同時に倒れた。マシューの魔力壁は基本魔法だけにしか対応していなかった。エズラの放ったのは麻痺の魔術。銅の魔力壁を構築しないと防げない。
「エズラ、どの程度の威力としたのだ」
ヘンリーが訊くとエズラが答えた。
「約三十分」
「分かった」
左手で金の魔石を握り回復の初級魔術を「ヒール」と唱えマシューにかける。うーんと唸って気づいたマシューが頭を振りながら、言葉を発す。
「今のは、水の魔法ではなかったのか」
「さあ、それはどうだか自分で考えるんだな」
エズラの答えに顔を下に向け目を瞑るマシュー。一呼吸、二呼吸、三呼吸くらいしてから顔を上げると、
「エズラ、申し訳ない。負けは認めるが、もう一度勝負してもらえないか。純粋にどうして負けたのか検証したいのだ」と頼んだ。
「いいよ」
エズラは笑顔で応じた。
「どうして詠唱無しで魔術が発動するのだ……。『ウォーター』の呪文だけで……何系統に分類されるのだ……」
マシューが混乱しているようだ。麻痺の魔術は銅の魔法で錬金釜に入れた薬草を錬金棒で回して体験しながら習得しているので詠唱が不要という利点がある。
休憩を三十分取って再び二人は対峙した。
ピッ、ピッ、ピー。
「ウォーター」
先ほどと同じ展開。エズラが呪文を発すると同時に水流が放物線を描いてマシューを襲う。今度はマシューが銅の魔力壁を間に合わせた。水流が防がれマシューの身体に届かない。
呪文の『ウォーター』に惑わされることなく銅の魔力系の魔術だと見破ったのは見事だ。
マシューが放物線を描く水流から逃れようと転がる。攻撃に移ろうとしている。
エズラの水流が逃すまいと放物線から勢いのついたほぼ直線の放水となってマシューを襲う。魔力壁を突き破って身体を濡らした。勢いあまってマシューが吹き飛んだ。
「エズラ、やりすぎだ」
「すみません。半日ほど寝ている可能性があります。ちょっと加減できませんでした」
魔力壁を突き破ろうと威力を上げざるを得なかったようだ。仕方がない。
無理に回復させてもぼうっとしているだけだろう。このまま半日、いや朝まで寝かせておくか、とヘンリーは思った。
ここに着いた日と同じようにマシューが担架で運ばれた。
建物に戻りながらヘンリーはマシューがしばらくの間、この地で過ごせる算段をホールズに頼みたいと思っていた。ホールズもこの数日でマシューを信頼に足りると踏んでいるようであったが、如何せん警ら総監クーツ氏の配下、おいそれとはお尋ね者を匿えない。
当然マシューのことは王都の本邸へは連絡済みだろう。
今は、ヘンリーたちの目が行き届いているからと、マシューは拘束具なしで過ごせていた。ヘンリーたちがいなくなる状況では、安易にはお願いできない。さてどうしたものか。相談できるスミスが待ち遠しく感じられた。明日の午前中にここを発たないと休暇の五日を過ぎても王都に戻れない。残された時間はあとわずか。それまでにやって来てほしいものだ。
夕飯時、マシューはいなかった。「まだ麻痺の魔術が効いていて寝ています」と付き添っているエズラが言い、マシューの部屋へ食事を二人分運んで行った。
ヘンリーは夕飯後、ホールズに断って蔵書室に向かった。クラレンドン領のこと、特にエジン家とグラス家について調べるつもりだ。昼の人名関連コーナーに行ってもそれらしき書物はない。違う場所へと移動するがなかなか見つからない。
「男爵様」
エズラの声がする。
「おう、どうした」
「ホールズさんから蔵書室にいらっしゃると聞きました。私も調べたいことがあったのでフィンにマシューを頼んできました」
「俺は、食堂の女将に聞いたエジン家とグラス家を調べるつもりだが、お前は?」
「私も同じです」
エズラは知識欲のかたまりのようだ。知らないことはすぐに調べる習慣があり、どこに行けば満たされるかの嗅覚が発達している。
ヘンリーにとっては天才エズラの直観像記憶は頼りになる。
二人で探した。
それらしき内容が書かれているのではと当たったのはクラレンドンの風土記、その中に海人山人伝説があった。あらすじは、
『その昔、ウミト、ヤマトという名の二人の若者がいた。
ウミトは海で漁をして、ヤマトは野山で猟をして暮らしていた。
ある日、お互いの自慢話をしているうちに、なら得物と場所を交換してみようと言い、ウミトの貝採り用磯ノミと、ヤマトの槍とを取り換えていつもと違う道を進んだ。
海へ行き遠浅の沖に小舟で出たヤマトはウミトの磯ノミを失くしてしまう。困っていると亀が現れ、まるで案内するような目をされる。ウミトは亀に導かれて海の神様の住む島に行き着いた。豪華なお社でヤマトは歓待され、海の神様の娘と結婚することになった。
そしていつの間にか月日が流れていた。もう帰らねばとヤマトが申し出ると、海の神様は失くした磯ノミを探し出してくれた。金色の真珠を内包したホタテ貝に挟まっていたのだ。海の神様はその金色の真珠と磯ノミをヤマトに携えさせた。海の神様は言った「ウミトが許してくれなかったら、金色の真珠を出して御力を我に、と念を込めて祈りなさい」とも。
元の地に戻ったヤマトはウミトに磯ノミを返すが許してもらえない。仕方がないと、海の神様の言った通りに金色の真珠を取り出して念を込めて祈ると海の神様が現れてウミトを懲らしめた。ウミトは海の神様に忠誠を誓ったという。
ヤマトは授けられた金の真珠を海の神様に奉納した。
その後ウミトは漁に精を出し、ある日、紫の真珠を内包したホタテ貝を採った。それを海の神様に奉納した。海の神様は「これは素晴らしい」と、以前見つかった金の真珠と今回の紫の真珠を天と地を創った大神様に献上した。喜んだ大神様は「二つの真珠を採ったのは誰だ」と訊いた。海の神様は「ヤマトとウミトです」と答えた。
大神様は、ヤマトとウミトに褒美として、二人の一族郎党全てにこの大地で罪を犯しても許してやろうと仰った』
という、そんな話しである。
エジン家とグラス家の祖がヤマト、ウミトのいずれかに当たり、クラレンドン伯爵の祖が海の神様、国王が大神様の役どころのように思えた。そして伯爵は娘をいずれかの家に嫁がせたのだろう。その後、伯爵家と二家でこの地を治めたのに違いない。重要なのは真珠である。真珠を育む貝はアコヤ貝が有名だが、白蝶貝、アワビ、ムール貝、ホタテ貝などからも採れる。そして伝説で登場した色が金色と紫色、つまり生まれてから五歳まで身に着ければ金の回復魔法と紫の復元魔法の貴重な適性を授かる可能性があるのだ。多分それまでは金と紫の魔法は知られていなかったのだろう。エジン家とグラス家がその秘密を伯爵家に教え王家に伝わったのではないか。その見返りが一族郎党の国内での罪を許すという特権になったと考えられる。想像だが多分正しいはず。
「エズラどう思う」
ヘンリーと同じことをエズラは述べた。そして最後に付け加えた。
「一族郎党の国内での罪を許すという特権は食堂の女将が言った免状の一種、『赦免状』と言えます」
二人で顔を見合わせた。
ヘンリーの脳裏にマシューの顔が浮かんでいる。
ただ風土記の内容はあくまで伝説、今でも有効かどうかすら不明であるが、マシューのことに光明が見えたような気がした。
いつの間にか夜は更けている。
今日はここまでとするしかない。エズラはフィンと交代する為、麻痺の魔術から回復していないマシューのいる部屋へ向かった。
ヘンリーは自分の部屋へ戻るとすぐさま寝付いた。
外の慌ただしい雰囲気に目が覚めた。まだ夜は明けきっていない。
ヘンリーはすぐに着替えて部屋を出た。声のする方向へ急ぐ。
入り口ホールに到ると、見覚えのある女性が入って来るところだった。
「あら、お早いお目覚めですわね」
軽やかな口調は続く。
「おはようございます。クラレンドン男爵様」
「おはようございます。レイディ・クーツ。お邪魔させていただいています」
アナベル嬢が一瞬目を細めた後、艶然と微笑んだ。
王都の近衛魔術師団長室で会った時は明るく活動的でキュートな印象をもったのに、このコケティッシュな表情はまるで違う。三日前、別荘に着いた早々可憐なご令嬢の登場を想像したら今度は千変万化する年上の女性が現れた。




