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第五十一話 貴族名鑑

 別荘にただいてもつまらんと、ヘンリーたちは商会に臨時に雇われた王都から来た護衛兼人足(にんそく・力仕事要員)と装って、領都そして海へと見て回ることにした。ヘンリーは、マシューの言い分から信が置けると判断して、「一緒に行くか?」と誘うと、「え、いいのですか」と驚かれ、こちらがうなずくと「はい、ありがとうございます」と笑顔を返してくれた。まあ、逃げることはないだろうが、ここに一人で置くより七人の目の届く範囲の方が安心だ。

 街に出てみると、みな喜んでいる雰囲気をその明るい表情から感じた。ノース公国支配から王国に戻れて、税が六公四民から逆の四公六民へと軽くなったのは大きいようだ。さらにこの地に代々住んでいる豪族が有能らしい。

 食堂に入って女将(おかみ)らしき人物に聞いてみると、

「エジン様とグラス様のおかげ」

 と答えが返ってきた。

 二家が中心となり昔からこの地の領主を支えて繁栄させてきたらしい。今も二家を始めとした地元民の手助け無しには何もできないそうだ。食堂に来る前に調べた限りでは、王国兵はヘンリーたちが奪還し去った後も師団の一部が留まっていたが、そのうち王都からの応援兵が来ると原隊へ戻り、応援兵も支援師団一部隊十名足らずを臨時代官として残し最前線へ()ったらしい。対ノース公国へ向け兵力が必要な時である以上現地で委任でき()る人材がいるところは、王国兵が少なくても仕方がないとは言え、微力過ぎる。この点が心配で、

「敵兵以外にも盗賊などからの防御や治安、みんなの安全は守られているのですか?」

 とヘンリーは女将に訊いた。

「二家を中心とした豪族たちの抱える地元兵が動員されているから大丈夫。ノース公国時代より安全ですよ」

 あっけらかんと話された。

 それだけ二家が信頼できると考えるしかないのか……。

「古い話ですが、エジン様とグラス様は功績により王家からもノース公国からも特権をもらっていますから」

 特権? 二家の取得した特権の内容と経緯を知りたいものだが、この女将に訊くとさすがに怪しまれるか。様子見に当たり障りのない内容を振ってみる。

「特権ですか。由緒ある名家(めいか)ってわけですね。どんな内容なのですかねえ?」

「さあ、よくは知らないけど、何でも免状を持っているとか、聞くよ」

 免状だけでは範囲が広すぎる。凶状持ち(マシューのこと)連れだ、詮索し過ぎて不審がられると厄介、これ以上女将からは聞かないほうがよい。書物に当たるか近しい人に尋ねるしかなさそうだ。

「昔のクラレンドン伯爵様の時のようになればいいのですがねえ」

 と女将がしみじみと言った。

 旧クラレンドン伯爵が(おさ)めていた時に海産物の養殖技術が確立され、帆立や牡蠣、サーモン、昆布と飛躍的に獲れ高が上がり、好景気に沸いたらしい。

「ノース公国の奴等(やつら)は搾れるだけ搾って持って行ったから。地元には何も残りやしない」

 となれば意欲は減退するばかり。

「六公四民どころじゃなかったんだから。生産量も先細りしていたし、どうなることやらと思っていたんだよ。セントラルに戻れて、税が軽くなると噂が流れてねえ、そりゃ期待したわよ。そこへお触れが出て四公六民だと分かるや、みんなもやる気を出して今年は大漁に大豊作だよ。来年以降もこの税負担を維持してくれたらありがたいんだけどね」

 この地をこれから治めるヘンリーは責任の重さをずっしりと感じていた。

「それに馬車専用道の通行料が半値以下になったんだよ。どれだけノース公国の奴ら掠め取っていたんだと思うわ」

 馬車専用道が混んでいたのも休憩所が人で溢れていたのもうなずける。

「俺たちもその専用道を通って来たんだが、確かに交通量が多く、休憩所も活気があったよ」

「そうでしょう。今は税の軽減と開放感からか景気が良くってね。おかげでどこもかしこも人手不足なのよ。あんたたちもガタイがいいのだから、臨時とは言わず、ずっとここで仕事をしてくれないかねえ」

 ヘンリーたちは苦笑いを浮かべるしかない。

「考えておくれよ。海の仕事も里の仕事も給金を弾むらしいから。人を紹介してくれてもいいよ。そうだあんたたちゃ王都もんでしょ、王都から呼んで来てくれたらありがたいんだけどね」

 人手不足は深刻なようだ。ヘンリーたちは思わず顔を見合わせた。


 街から戻った午後、休暇最終日の前日。エズラ(軍曹・四番)マシュー(脱獄者エズラ同級生)の勝負にはまだ間がある。

 ヘンリーはこの地の豪族エジン家とグラス家を調べようと思っていた。書かれた資料があればよいのだがとホールズ(別荘管理人)に訊いた。

「蔵書室にご案内します」

 さすがクーツ家の別荘である。大層な蔵書が揃っていた。

「領地の人物伝的なものがあればありがたいのだが」

「人名関連の書籍がありますが、この領地限定となると、どうでしょうか」

 そう言って案内されたコーナーに行くと、『貴族名鑑の読み方』というタイトルが目に留まった。『貴族名鑑』より実用的な内容が書かれた書籍である。爵位別に分かれている。

 ――これなら俺が婿入りする予定のマクスウェル家を調べられる。意識していなかったが、意外な所から意外な物が出てくることもあるものだ。二家のことは後回しにしよう。

「こちらでお読みいただいて構いません」

 ホールズ(別荘管理人)に机と椅子を勧められた。

「ありがとう」

「どうぞごゆっくり」

 ホールズ(別荘管理人)がニコリとうなずき踵を返した。

 ヘンリーは『貴族名鑑の読み方・男爵編』を手に椅子に座る。奥付を見ると今から三年前のものであった。貴族名鑑は五年に一度改訂されるので、最新といえる。

 『マ』の項目を探すとマクスウェル家が掲載されている。男爵に間違いない。

 内容は家族構成、領地、特産物等が書かれている。家族構成を見る。

 現当主、ビル・マクスウェル(基本四魔法の適性あり)。元軍人。軍部とのつながりがある。

 ×妻、エレン(ピーター男爵家の当主で女男爵でもあったが、三十歳で病没。それ以降、ピーター家は夫のビル・マクスウェルが代行している。エレンに兄弟姉妹がいないため、二人の子供が優先してピーター男爵家を継承すると定めた上で結婚。該当する子供がいなければ叔父の血統の子孫を充てる、と定めの補足事項あり)。

 妻、レイラ(エレンの侍女であった。エレンが二児を生んだ後病没した為、二児が懐いていた侍女を妻とした)

 第一子、ヒューゴ(長男、将来のマクスウェル家当主の予定。基本四魔法の適性あり)。

 第二子、ルナーゼ(愛称ルナ)(長女、将来結婚した夫がピーター男爵家を継承する予定。魔法の適性あり、未成年のため適性種別未公表)。

 第三子、ジェイク(次男、ヒューゴの備え。現妻レイラの子。魔法は就学前のため未公表)。

 第四子、ロージー(次女。現妻レイラの子。魔法は就学前のため未公表)。

 とある。

 ルナと結婚して母方のピーター家の男爵になるという事だったのだ、とヘンリーは理解した。

 しかし、自分が男爵になったからにはどうなるのだろうか。第三子のジェイクがピーター家を継げればよいのだが、ピーター家の血が流れていなければ無理だろう。

 『ピ』の項目でピーター男爵家を念の為調べる。

 現当主は不在。故エレン・ピーターと夫であったビル・マクスウェル男爵との実子またはその配偶者が継承するまでビル・マクスウェル男爵が代行する。

 としか載っていない。次代のことは具体的に触れられていない。ただ実子またはその配偶者とあるのでルナ(ヘンリーの婚約者)の弟妹は継げない。

 そう言えば婚約、結婚の手続きってどうなっているのだ? ヘンリーはほとんど知らないことに若干、己に飽きれつつ、本の目次に戻る。巻末に婚約、結婚の項目があるのを見て婚約の頁を探す。

 【婚約】貴族家の婚約は子息・令嬢ともに十六歳以上でないと認められない。教会と王宮に婚約届書を提出することで成立する。本人の自署と双方の家族または保証人(家族がいれば必ず家族、本人が当主以外ならば必ず当主)一人ずつの自署が必要。提出のない場合は正式な婚約ではない。双方の家が了承していれば許嫁(いいなずけ)と呼ばれることが多い。また婚約届書を提出した場合、正当な理由のない破棄は違約金などの問題が発生する。提出していなければその限りにあらず。

 ――そうか、俺の場合、婚約と言いながらまだ正式ではなく許嫁と言った方がよいのかもしれない。届書を出してない以上、破棄されようが、破棄しようが何ら問題はないようだ。ただしこちらからの白紙撤回は、ハロード子爵家の借金問題が浮上する。でもこちらから白紙に戻す理由はない。

 先方の出方次第だな、なるようにしかならんだろう。

 ――もしマクスウェル男爵(許嫁ルナの父)が篤志的というか前途有為な若者を応援しようという人なら対象者の俺が男爵となったと分かった時点で婚約の話をなかったものとして、爵位を継げない有能な若者をルナの婿とする可能性が高い。そうすればピーター家(許嫁ルナの生母の実家)の男爵位を死蔵することなく有効に使える。先方からの破棄なら借金問題はハロード子爵家(ヘンリーの実家)には不利にはならないはず。多分俺も学力と魔力の高さから選ばれたに違いなく、会ってもいないので情も湧かなく事務的に進められるだろう。

 ルナ(ヘンリーの婚約者)との縁はなかったことになる可能性が高い。

 ――ルナ。

 心の中で呼びかけてみる……。いつも思い描く黒いシルエットさえ(はかな)く消えてしてしまう。

「はー」

 大きくため息を()いてヘンリーは書物を閉じて元に戻した。

 もうすぐ午後四時、エズラとマシュー(脱獄者・エズラ同級生)との闘いの刻限になろうとしていた。

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