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第五話 窓から槍

 父の『学院生活は長いようで短い』という指摘が正しいと思ったのは研究科四年生が終わる間際だった。

 あっという間に十二年が過ぎた。


 向日葵が存在感のあり過ぎる武骨な花をこれでもかと青空に向かって咲かせている。亡き祖母の愛した鬼灯(ほおずき)の小さく可憐な白い花はもうない。花壇は時を経て趣を変えながら色を描いている。その中を通り過ぎ母屋へ向かう。

 ヘンリー二十三歳の初夏だった。

 若い執事長が賓客でもない単なる弟を恭しく出迎えてくれる。ヘンリーを小学舎へ連れて行ってくれた執事長とシエナの母親の侍女頭はもういない。二人とも何年か前に退き、代替わりしている。

 父が鬼籍に入り三年が経つ。実家が変わりつつあるのをヘンリーは感じた。

 折り目正しい執事長が当主執務室のドアを開けてくれる。

「ヘンリー、お前の婚約が決まった」

 久しぶりに実家に呼ばれたので、何かと思ったら子爵を継いだ長兄のトーマスにいきなり言われた。

「喜べ、男爵位をもつマクスウェル家の当主から婿入りを望まれた」

「はあ、兄貴、唐突になんだよ。俺は『ラリウム』の代官になるんじゃないのか」

 亡き父の遺言書に、ヘンリーには鉱山都市『ラリウム』の代官を成人になり学院を卒業し本人が申し出た時期にまかせる、と記されていた。生前の約束を遺言として残しておいてくれた。

「状況が変わった。うちの台所は火の車だ。このままいくと『ラリウム』自体を手放さなくてはならない」

「聞いてないぜ」

 子供のころからウチは貴族といいながら貧しいとは感じていたが、まさかそこまで悪化しているとは思っていなかった。

「『ラリウム』代官になると思って研究科卒業後の九月からは仕事も鉱山経営の役に立つはずと王国官吏試験、それも上級に合格し官僚として奉職することに決まっているんだが」

 王国官吏試験の上級は学院研究科卒でも成績上位者しか合格できない超難関の就職口。将来は高級官僚が約束される。自分のように国のかじ取りから鉱山のかじ取りのために途中で辞めても理由が家のためだけに、それまでの上下と横のつながりで何かと便宜をはかってくれることも少しは期待してのことだった。

「それもなしとしてくれ。先方は武門の家柄、軍隊に入って武功を挙げてこいとの仰せだ」

「ちょっと待ってくれよ兄貴、頭が回らん。思考が止まって、理解が追い付かねえ」

「お前は魔術師の資格を持っているので、軍でも優遇されるはずだ」

 確かに研究科在学中に勧められて魔術師の資格を取ったが、軍隊へ入るためではない。純粋に魔法が好きだったからだ。

「頼む。ハロード子爵家が生き残れるかどうかの分かれ道だ。私の代でつぶすわけにはいかない」

 婿入れ先のマクスウェル家からの援助があるらしい。うちにいても爵位は望めない、条件のよい婿入り話だからと説得された。

「切羽詰まっている。お前が『うん』と言ってくれたら(うち)()つ」

 確かにヘンリーが就職してもいきなり国のかじ取りを任されるわけではない。何年か()たないことには家のための便宜をはかれることもない。

 子爵家当主からの命令ならいくら兄弟でも断れない。それをこの兄は下手(したて)に出て頼んでくれているのだ。

 子供のころは本を読んでくれ、取っ組み合いにも付き合ってくれた。今なら分かる、いいところでわざと負けてくれていた、そんな優しい兄だ。ローガン(二番目の兄)だってそうだ。二人の兄は学院でも浮きこぼれていないか心配してくれていた。振り返ればうなずける。ローガン(二番目の兄)がよくクラスに用もないのに来ていた。(長兄のトーマス)も始終寄宿舎に来ていた。

 ――受け入れざるを得ないよなあ。

 それに(長兄のトーマス)の結婚話が進んでいる。子爵家の内証(ないしょう・経済状態)が悪いと支障になりかねない。収入源の鉱山経営の不振も、援助があれば好転するだろう。兄への結婚の(はなむけ)とするか。

 ――受け入れよう。

「分かった」

 (長兄のトーマス)がホッとした表情を浮かべた。


 ヘンリーはその晩、離れに泊まった。

 たまに帰って来てもいつも手入れされているのは、亡き父、そして現当主の兄が気配りしてくれているからだろう。ありがたいことだ。今日断れなかったのも今でも兄が自分に気を遣っているのを分かっているから、それも大きな要因だと思う。

「はぁ……」

 ため息がこぼれる。官僚から軍人へ、仕方がない、あきらめるしかない。

 涼風を求めて窓辺に寄る。外を仰ぎ見ると、虫の音がセレナーデにでも聞こえてきそうな星空が広がっていた。人恋しくても今は一人、コップのアルコールだけが付き合ってくれる。時だけがいつの間にか過ぎてゆく。

 窓の外では小さな光があちこちで輝いている。幼いころも蛍がこの離れからはよく見えた。それが今も(また)いている。ここで生まれて育ち、祖母とシエナ(お手伝い)と住んだ実家だとひしと感じる。

 そう言えば、シエナから珍しく手紙が来たのも去年の夏の今ごろだったことを思い出す。サンダー領に遊びに来ないかと招待された。社会に出れば長い休みも取れない。これといった予定もない、暇を持て余すより、いっそ誘いにのってみるのもいいかと遊びに行くことにした。

 そこで待っていたのは銀の伯爵ことコーキッド老であった。彼には子供がいなかったが、兄の孫、大姪で「リリアン」と名乗る少女がシエナ(元お手伝い)と一緒に出迎えてくれた。ヘンリーの五学年下で「学院の三年生、九月から四年生よ、先輩」とにこやかな少女は水色の長い髪に膝丈の水色のワンピースが細く伸びる脚と白い肌に似合っていた。十月生まれの彼女はまだ十六歳。『幻のチャンピョン』とシエナ(元お手伝い)と小声で交わす言葉が聞こえたが、いったい何のことを指したのかは分からなかった。

 コーキッド老には、しこたま銀の魔法を仕込まれた。有難いことではあったが、いかんせん厳しい。ついて行くのがやっとだった。

「先輩、ファイト」

 励ましの言葉と明るい笑顔に元気づけられて何とか頑張れたような気もする。

「まあ合格点かな」

 王都へ帰る直前にようやく笑顔で頷かれた。詠唱無しの呪文『サンダー』で威力のある雷光(らいこう)を放つことができた。

「これでヘイディに借りを返せたかな」

 遠い目をされた。コーキッド老は亡き祖母に恩があったようだ。ヘンリーは祖母に心から感謝した。

 その晩、「花火をしましょうよ」とリリアンに誘われた。炎に「キャッ」と可愛い悲鳴を上げ、腕に触れられた。瑞々しい横顔がまぢかにあり、とても眩しかった。十六歳の少女に二十二歳のヘンリーはドギマギしていた。花火がなくなるのが惜しかった。ふと視線を感じると、まっすぐに見詰める青い瞳が輝いていたように思えた。若く健やかな髪をなびかせる夜風が吹いていた。

 王都に戻った後、リリアンとの再会を(ほの)かに期待したのだが、研究科生と学院生では活動エリアが異なるせいか見かけることはなかった。ただ最近になって市民に公開されている学院生による魔法の競技会で水魔法の使い手の女性がなんとなくリリアンに見えた。かといって、大勢の中、わざわざ探し回ることも気が引けた。王家領の研究科生とサンダー領の学院生では接点がなさすぎる。よほどのことがない限り学院内で異なる領地の男女が付き合うことがない。実際ヘンリーの周りにはそんな人物はいなかった。

 あの花火の晩から一年が経ったのだ。今年の夏はサンダー領へ行くことはない。もうリリアンとは会うこともない。

「青春が終わってしまった……」

 思わずつぶやいた。


 こうしてヘンリーは国の官吏になることなく、期間一年の軍の幹部候補生学校へ行ことになった。

 軍隊の学校に入ることがあまりにも急に決まったにもかかわらず、魔術師の資格と王国官吏試験の合格そして学院研究科卒業の肩書は、軍隊でも有効なようで、一兵卒扱いではなく、幹部候補生として遇された。試験も受けずに幹部候補生学校に入学が許されたのだ。

 ただし軍隊の学校では爵位は関係なく全員が平等に扱われる。もちろん卒業後の確定事項として戦地に()く。

 現在この国『セントラル』は戦争中だ。元々セントラル大陸には一国しかなかったが、北家と東家と呼ばれた公爵の領地が独立してノース公国、イースト公国とそれぞれが名乗った。近隣のセントラル王家領や王家から侯爵として遇されていた領地を続々と奪っていった。それが現在も続き領地を侵食している。

 セントラル王国は現在王家領、西家、南家の公爵領とサンダー家の侯爵領でしかなくなった。

 ヘンリーは、婚約者と一度も会っていないのにも関わらず、望んでもいない道を歩むことになってしまった。


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