第四十三話 ため息
近衛魔術師団長室への道すがら、考えることが多い。
花の香りのことは忘れよう。空想しただけで現実となりそうで、それがまた面倒ごとを呼び込む気がしてならない。年上の女性に関わると大変な仕事ばかり押し付けられる……否、顎ツン令嬢は若かった。となると自分には女難の相でもあるのか? それも艶っぽいものではなく無理難題が降りかかってくるものばかり。二度と起こりませんようにと神様にお祈りしたい気分だ。
そんな事より今、重要なことはルイーズ王女の架空誘拐疑惑とヘンリー自らが関わるマクスウェル家の男爵位の継承問題。
そして第一警ら隊の動向。
一警の隊長がこのまま黙っているとは考えにくい、会っていないせいもあり、思考回路が読めないという不明瞭さからなのだろうか。トラブルのなさがどうにも引っかかる。
もし第一警ら隊が動けば、裏と表の全面的抗争に発展しかねない。ダスマン一味が、『バンジャコ派』と呼ばれる最近台頭してきている市民の中でも過激と評判の一派と組めば国は内乱になり、収拾が簡単にはつかなくなる。二つの公国と交戦中の今、内憂外患となれば、とても危険だ。
――あれ? 俺はこの国の王か、重鎮か、いずれでもない。王宮関係者でもない。しがない貧乏子爵家の三男坊、今は一兵士、たかだか少尉である。落ち着け、課題を整理しよう。
一つ目、ダスマンへの対応は警ら隊の問題。第一警ら隊がどう動こうと兵士の自分には関係ない。警ら隊が蒔いた種、自らが刈ればよい話。
二つ目、王女のことを考える必要があるのか。ないと断言できる。王宮関係者が対応すればよい話。誘拐が仕組まれたものとは演者以外誰も思いつかないだろうし、王女は虚偽の証拠を残していないはず。となると偽装と考えるのは早計か……たしかに断言はできないが、……いや今俯瞰しても本物とは思えない。いずれにせよ自分が口を噤んでいればいいことだ。
それにこの二つは、今後何かが起きると決まってはいない。何もない可能性だってあるのだ。自分たちは、任務自体は失敗していないから、功名とはいかないまでも昇進の足しにはなるはず。これ以上かかわることもない、考えるのもよそう。
自分が気にしなくてはならないのはマクスウェル家の男爵位継承のことに尽きる。任務が完了したからには、師団長の話を聞いて時間ができ次第、早急に貴族名鑑をあたりに行こう。
「ご苦労であった」
近衛魔術師団長ティナムに労われた。
「無事、ルイーズ王女を取り戻せたようだな」
スミスが代表して応える。
「はい、道中も襲われず、つけてくる者もいませんでした。またダスマンたちは裏口から何事もなく撤収しました。彼らのあとをつける者たちも見当たりませんでした」
ダスマン憎しの警ら隊であろうが、今回は自重したのだろう。
「ダスマンのことは仕方がない。クーツ総監から『脱獄を許したわけではないから、任務を全うしたと評価する。さらに改善点を示していただき感謝する』とお褒めの言葉を頂いている」
監獄でのダブルチェックとチェックシートの提案が評価されたようだ。
「喜べ、お前たちに特別な褒美が用意された」
ティナムから景気の良い話が聞けそうだ。
「はっ」
部下たちが期待する。
「先ずは、魔術師試験の合格の証、魔術師資格証が届いた」
「ありがとうございます」
部隊長のヘンリーが代表して受取り、各自に配る。
「そして」コホンと咳を一つする。もったいぶってなかなか話してくれない。十名全員をゆっくりと見渡して続ける。
「全員が二階級特進だ」
ティナムの言葉に部下たち全員から驚きの声を上がる。戦死や殉職以外での二階級の昇進は異例中の異例、それだけ価値のあった戦果、快挙である。
ヘンリーもこれには驚いた、そして喜びがこみ上げてきた。
「やった」「よっしゃ」「おうおう」
全員がそれぞれ歓喜を爆発させている。団長の前とは言え、これは仕方がない。団長も微笑んでいるから許してくれているのだろう。
先のダイナソー作戦が正式に認められたのだ。高名盗みから功名を取り返すことができた。近衛支援師団が真っ当に評価してくれたのは、このティナム団長のおかげだ。そしてもちろんヘンリーの属しているストーナー第二魔術師団長が報告書の写しを添えてくれたことも大きい。
「特進には内訳がある。まあ普通は、二階級はないからな。今回は戦果と成果の二階建てによってなっているからだ。スミスは当然この十名を率いた功績が大による。ウォーカーとベーカーは、戦果とヘンリーの部下を教育しストーナーからの推薦もあり幹部候補生学校の教官資格取得に対して与えられた。ヘンリーはダイナソー作戦の立案と恐竜対応そして敵城への攻撃、特にノーザン城での働きが認められた。ヘンリーの部下たちは戦果とノーザン城での回復薬作成への協力と魔術師の資格を得たことによる。そしてノーザン城主の娘メリッサの護送作戦と今回の警ら隊出向任務への成果を加味して全員が二階級特進となった。もし今日の結果が思わしくなければ、一階級の昇進で終わっていたのだぞ」
そういう詳細があれば二階級特進も他の兵士たちにとっても納得できるし励みにもなる。いらぬやっかみも回避できるだろう。
「ヘンリー、お前にはさらにすごいものがある」
ティナムの顔がほころんでいる。
「男爵に叙爵することが決まった」
――はー、今団長は何て言った。男爵に叙爵ってことは自分が爵位持ちとなるのか。
「隊長、おめでとうございます」
部下たちの声が聞こえる。スミスたちが荒々しく祝福してくれる。
「ヘンリー……男爵、よかったな」
スミスが我が事のように喜んでいる。
『男爵』と言われた瞬間、アナベル嬢に先ほど『男爵様』と囁かれたことを思い出した。あれはマクスウェル家の令嬢との婚約話のことではなく、叙爵を仄めかされたのだと悟った。
ヘンリーの一人うなずいた反応にキョトンとした顔をしたスミスが「どうしたのだ」と訊く。
「いや、まだ慣れなくて」
と誤魔化した。
男爵か、思ってもみなかった……のだが、はたとヘンリーは気がついた。自分の雷の魔法の威力のおかげか。サンダー領以外にいないと思われていた銀の魔法使い。身上書だけでは判断できなかったものが、実際に恐竜を倒せる強力なものであると認識し、囲い込みを図ったのか、と納得した。
「今夜の晩餐会で、国王陛下より直にみんなへお褒めの言葉がある。ヘンリーの正式な叙爵と領地と新しい家名も授けられる予定だ」
ハロードという家名でなくなるのか、とうっすらヘンリーは思うと同時にマクスウェル家のことが頭に浮かんだ。
――叙爵されるのなら、婿入りする必要があるのか? 男爵位につられた面もあるのだが……。
いやだめだ。自分の婿入りを条件にハロード子爵家は鉱山を立ち直すべく資金をかの家から融通されていたはず。男爵位は継承して貰わずとも自前で持てる見込みが立ったのだから、結婚しても卑屈にならなくても済む。それだけで良しとしよう。先方の家に婿入りするにしても家名の件は改めて考えよう。同じ屋敷に住んで、岳父と自分で異なる家名が二つ、爵位が二つあっても問題はないはず。
あれ? これって同一の屋敷に住む爵位持ちが複数いるってことだよな。このような類で一つの家で複数爵位はあり得るから、現時点でマクスウェル家はそうなのかもしれない。幸いなことに自分が爵位持ちになるのだから、すぐに貴族名鑑を調べる必要はなくなったが、時間ができたら確認だけでもしておこう。
「ヘンリー上の空だぞ」
まずい、爵位にこだわり過ぎた。ヘンリーは照れ隠しに頭をかいた。
「すみません」
「まあ仕方がないか」
ティナムが苦笑いを浮かべた後、少しばかり表情を厳しくした。
「それとな、その席で国王陛下とルイーズ王女様とが数日ぶりの対面をなさる予定だ」
ルイーズ王女と聞いて、ヘンリーは居心地の悪さが湧き起こる。
――まさかな、呪のネックレスの連鎖が終わっていない、なんて子供じみたことは思わないが、自ら人質になった王女が宴席でどういう行動をとるのかが分からない。考慮不要だと思っていた厄介ごとがぶり返した気がする。
「晩餐会が終わったら、今度こそ自由だ。ウチの宿舎でゆっくりしてくれ。明日から五日間の休暇を与える」
休暇はありがたいが、早急にスミス中佐に王女の件で相談する必要がある。
謁見用に衣装を新たな階級で用意してくれるというので、全員で衣装室に向かう。
みんなが浮かれ気味の中、ヘンリーは一人最後尾を歩く。
――今度は王女か、年齢は顎ツン令嬢と同じくらい若い。それに雰囲気は鋭角ではなく丸い印象であったような気がする。
そう言えば以前、ルイーズ王女が花と緑の式典に出かけられた際に五、六歳の幼児たちに出迎えられ「花の女神様みたい」との声があがり、はにかんだ絵姿が新聞に掲載されていた記憶がある。子供は正直、嘘はつかない、その子が思い描いた花の女神様の容姿は、間違いなくオコゼの好きな山の女神様のような見目とはかけ離れたものであっただろう。外見もそうだが、あの交換劇の場でさえ伏し目がちながらも真っ直ぐ軸がぶれないで歩く姿は気品があり装いより本人に目がいった。それ故、立ち居振る舞いにそぐわないただ一点の視線になおさら不自然な感覚を抱いたのかもしれない。
もし晩餐会の場で何か起きれば今度こそ女難の厄払いをしに行こう。
しかし子供であるが女神に形容さられた方の厄って払えるのかな?
愛らしい喩え話を本気に考えてしまいそうになったことに気づきヘンリーは人知れずため息を漏らした。




