第四話 確かな一歩
ヘンリーは小学舎へ入学するまでに寄宿舎か母屋か、いずれに住むのかを選択しなくてはならない。子爵家から小学舎へ通えない距離ではない。現に兄二人は母屋から通学していた。
父と一緒に暮らすのは、どうなのだろう、ヘンリーにとって今は父と言うより子爵家の当主、ちょっとばかりよそよそしく感じる相手と言った方がしっくりくる。祖母のいたころはどうだったのだろうかと考えるが、覚えていない。それもそうだ、祖母はヘンリーが六歳の時に亡くなっていた。盛大なセレモニーだったように思う。どこぞのお偉いさんの名代の長ったらしい弔文を聞かされたことだけが唯一の記憶だった。それからは離れでシエナと住んでいる。
――今さら母屋で父親と家族ごっこをするのは願い下げだよな。
兄たちがいれば少しは紛れるかもしれないが、二人とも進学した王立学院では、小学舎と異なり寄宿舎に入ることが定められている。ヘンリーと兄たちの仲は悪くない。始終母屋から離れに来ていたのは、甘やかしてくれる祖母がいて、亡くなってからはシエナの作るおやつ目当てだったのかもしれないが、優しい兄たちでどちらかというとやんちゃで体格のよいヘンリーを五歳差、三歳差と年の違いもあってか、うまくあやしてくれていたようだ。そんな二人は母屋にはいない。
小学舎の学費、食費、寄宿費は一切かからないと聞く。この国は魔力持ちが大切にされているかららしい。うちは貴族だが、裕福ではないと何となくヘンリーは思っていた。そのせいもあったかもしれない。
ヘンリーは九月から王立学院附属小学舎への入学を機に寄宿舎住まいすることに決めた。
「坊ちゃま、申し訳ございません」
乳母からお手伝いさんとして働いてくれていたシエナが辞める。謝罪の言葉とは裏腹に顔は明るくみえる。
「今までありがとう」
ヘンリーも笑顔を返す。決してふてくされている表情ではない。
別れの日だった。
シエナは最初の子を亡くし夫と別れたと聞く。それがこの度再婚する運びとなったという。
トーマス兄さんからは、お目出度いことだから笑顔で別れなきゃ駄目だぜ、と言われた。
それくらいの分別はあるつもりだ。
「すぐそばですから是非遊びに、と言えなくて、本当にすみません」
シエナの嫁ぎ先はサンダー領、ここ王都からは馬車専用道を利用しても十時間ほどかかる。
荷物を積んだ馬車に乗り、シエナが最後の別れとばかり窓から手を振る。
お返しに片手を上げる。笑顔で別れられた。つらい、悲しいという思いがこみ上げて来ない。
――結構薄情なのだろうか?
ヘンリーは冷静な自分に驚いた。それより新たなる寄宿舎生活への期待の方が大きいのかもしれない。
次なる寄宿舎生活に入る前にするべきことがある。自分の引っ越し作業と、離れの後片付けをしなくてはならない。
シエナがある程度はしてくれているものの、なかなか終わらない……億劫だ。
とくに後片付けは結構面倒な作業だ。途中で嫌になり投げ出したくなるが、そうはいかない、寄宿舎へ入ればここは無人。父親や家人たちが何をしようと勝手、全てがなくなっても文句は言えない。
壁に掛けてある祖母の絵、ヘンリーが何年か前に描いたもの。ここにあっても捨てられるだけなら自分で処分しようと取り外す。
バサ。
額縁の後ろから大きめの封筒が落ちてきた。宛先は『ヘンリーへ』となっている。裏を見るとヘイディと書いてある。祖母の名前だった。
封筒を手に取り開けてみる。中から手紙と一つの鍵が出てきた。
――どこの鍵だろう?
頭をひねりながら、手紙を読んでみる。
『ヘンリーへ。
この手紙を読んでいるということは私が、貴方の十一歳の誕生日に胎内夢の魔法適性のお話ができなかったということですね』
十一歳の誕生日に胎内夢を聞くのがこの国の習わし。その日以降は適性のあった魔法を使っても問題ない。それまでの幼い身体では、魔力コントロールは習って行ってもよいが、魔法は別で発動すれば火災、水難、爆風、陥没事故になりかねず、暴走すれば耐え切れず死に至ることすらあると聞く。普通は小学舎で習うことになっている。ヘンリーも魔力を扱えても魔法は使えない。
――自分の適性は火の赤、土の茶、雷の銀だったはず。
五歳の誕生日に真珠を外したら色がなくなっていた記憶がうっすらとある。シエナに聞いても、その三色でしたよ、と言っていたはず。
ただ、魔法の適性は真珠以外に髪の色と五歳の誕生日の夜に見る胎内夢との関連もあると聞いた。シエナは胎内夢のことは聞いていないと言っていたので祖母に話したか、誰にも話していないのか、それとも見ていないのかと思っていた。一度人に話すと本人は忘れてしまうという胎内夢、もう諦めていたけれど、よかった、祖母に話していたのだ。魔法適性はたぶん、火の赤、土の茶、雷の銀だと思うが、これで入学前に魔法適性が確定できる。
小学舎の魔力検査でも髪の色から判断されたのだろう、担当の女性に指示された赤の魔石だけしか行わなかった。それだけで合格ラインだったのかもしれない。銀の魔石は用意されていなかっただろうし、幼いころ、祖母から希少魔法の銀のことは滅多に人に明かしてはならないよと聞いていた。魔法の基本を学ぶ小学舎を卒業し、希少魔法を習う学院またはその上の研究科までは誰にも言わないつもりだった。
『あなたの胎内夢からの適性は銀の希少魔法、基本魔法の火、土、そして水と風もありました。普通着けた真珠の色と胎内夢は一致すると思っていたけれど、不思議なことが起きたようです。あなたが着けていたのは銀、赤、茶だけで、水と緑の風はなかったにもかかわらず、胎内夢の内容は基本四魔法が全て適性ありと異なりました。さらに奇妙なことに希少魔法の銅も夢では見たようです。そういえば、公にされていないことですが、銀の魔力は水と風で、銅の魔力は水と土で構成されているとの事。銀の真珠のおかげで水と風の適性がつき、さらに茶の真珠と銀の構成要素の水により、銅の適性がついたのでは、と思われます。
あなたは希少魔法の銀と銅、それに基本四魔法全てに適性があります。せっかく授かった天からの贈り物です。努力しなさい。私が教えた鍛錬を毎朝続けていますか? 魔法の基本はこの鍛錬にあります。この鍛錬はサンダー領の御留流です。特別に許されて学ばせていただいた魔力訓練技法なのです。あなたも自分の子供だけにしか教えてはなりません。守りなさい、そして気張りなさい』
五歳から祖母に言われて続けている毎朝の鍛錬法。貴方は筋がよいと褒められた。祖母が亡くなってからも続けている。今では気鍛流の鍛錬と合わせて日課となっている。この二つは、やや中腰の姿勢のとり方や動きがなめらかな点といいとても共通点が多い。違いは、気鍛流は大気から取り込んだ気を練る、祖母直伝は大気から魔素を取り込んで魔力とする。身体中を廻らせる点は同じだ。
『魔法は鍛錬ともう一つ重要なことがあります。それは発動するためのイメージ力です。養うには知識をつけるしかありません。ここに鍵を同封します。私の机の鍵です。開けてください。その中に知識の元となる書籍が入っています。また私の蔵書も貴方に差し上げます。勉強しなさい』
幸い読み書きと算術はシエナが教師を務めてくれた。彼女は侍女頭の娘、それなりの教養があった。
『最後に銀の真珠をあなたに授けます。くれぐれも大切になさい。決して人に見せてはなりません。結婚して家族になった人だけです』
ヘンリーは鍵を持って机に向かった。
解錠すると現れたのは、小さな箱が二つと、それより大きい箱、さらに手紙が一通と四冊の冊子。
二つの箱の一つの中には銀の真珠、もう一つは白と黒の真珠が入っていた。二つの箱より大きめのものの中には金の魔石が入っていた。
手紙の表紙には銅の魔法をマスターした後で読んでくださいと書いてある。金の魔石にはメモがある。
『この金の魔石は手紙の内容を試すときに回復の用途で必要になると思うので授けます。もう知っているかと思いますが真珠はカラになっても大気から魔素を取り込み、自然に元へと戻ります。ところが魔石は使用すればその分減っていきます。カラになれば金の適性のある魔力持ちに込めてもらう必要があります。
ヘンリー、貴方はこの金の魔石がカラになったとしても充填できる能力があると私は思っています。公になっていませんが金の魔力は銅と風から成り立っており、貴方にはその二つの適性があります。両手使いとなって銅と風の魔力を同時に込めればできるはずです』
また無理難題を言ってくるなあ。魔石は確かに便利なものだ。希少魔法の金と銅、基本四魔法の色の魔石を見たことがある。魔力さえあれば適性に関係なく色に応じた知識と魔術を身につければ魔法が発動すると聞いた。
まあいいや、この件は大きくなってよく読んでからにしよう。
次は、四冊の冊子だ。
表紙にサンダー侯爵家謹製と四冊全てに書かれ、『水の詠唱省略の秘術』同じ内容の『風』、『火』、『土』の基本四魔法全てが揃っていた。
一番上にあった『水の詠唱省略の秘術』を開いてみる。図が多いようだ。
これは分かりやすい。
水の成り立ちが一目瞭然となるようなイメージ図がある。
雨が降って、川になり、海に流れていき、日光に温められて水蒸気になり、雲となって、陸地に風に乗ってやってきてまた雨を降らせる。
さらに海に流れていくだけではなく、地面にしみこみ、地下水となり、湧き水や井戸からみんなの飲料水となるようなイメージ図もある。
ヘンリーはその日から冊子を繰り返し読んで自分なりにイメージを膨らませた。
祖母の蔵書で必要と思った本は寄宿舎に持っていくことにしたが、限りがあるので、残した本は執事長に保管を頼んだ。
寄宿舎に行く朝、父に呼ばれた。
「今まですまなかった。お前にだけ真珠を与えられず、魔力を授けられなかったと思い、幼いお前を義母に預けっぱなしにした。亡くなってからも遺言を免罪符に離れに住まわしたままシエナに任せていた」
不憫さが高じて避けていたかもしれないとヘンリーは解釈した。それに祖母亡き後、離れにシエナと住んだのは自分もそれでよいと言ったはず。
「しかし、魔力があったのだな。よかった。本当によかった。今までのことを申し訳なく思う。できれば許してほしい」
頭を下げられた。
「父上、頭をお上げください。今までも幸せでした。それに将来は鉱山都市『ラリウム』の代官に任命もされました。それだけで十分です」
「ありがとう」
父に目を細められた。
「やっぱり、ここから通わないか」
「いえ、もう決めたことです」
今日から三年間は小学舎、その上の学院は五年間、成績がよければさらに研究科四年間をそれぞれの寄宿舎で過ごすことになる。
「学院生活は勉学も必要だが、できるだけ楽しんでほしい。私も通ったが、終わってしまえば十二年間は長いはずが短かった」
ヘンリーには、優しげに見えるその顔が子爵家の当主から亡き祖母に相通じる温かさ、多分これが父親というものなのか、とはじめて感じられた。
ヘンリー十一歳の夏が終わる。