第三十七話 本の道と貴石の道
部下たちを新任務のため招集すべく一旦スミスと宿舎に戻る。今ならクーツ嬢のことを訊くのにちょうどいい機会だ。
「任務外なのですが、クーツ総監の……ご息女アナベル様はどうして結婚なさっていないのでしょうか」
クーツ嬢と姓で言いそうになり、父親の総監と被るのに気づいて、とっさに名前の『アナベル嬢』から『ご息女アナベル様』に変えた。
「ヘンリーは知らないのか」
怪訝な顔をされた。
「あまりそちらの方は疎くて」
「世代が違い過ぎるからな」
十年は違わないが、五年以上離れているのだろう、研究科生の四年間、学院生の五年間でも学んだ期間が重ならなかった。
「アナベル嬢は俺たちの世代では憧れの存在だったのだ。金の髪といい家柄といい高嶺の花ではあるがな」
金の魔法適性をもつ者は希少、つまり価値が高く引く手数多となるはずが、いかんせん身分が高すぎる。
「大公上がりの伯爵家ですからね」
大公の子孫でも爵位のない何ら特権、価値のない旧王族という冠を用い選良意識だけは高い方々もいる。
「そうだ、名家でありながら、気安い方でお勉強もできたし、何と言っても魔力も魔法の能力も高かった。そんな彼女のお相手も伯爵のご令息テオバルド様であったのだよ。学生時代にはもう婚約していた。ファッションも小物や目立たない見頃の端や裏地をさりげなくアベックコーデしてお似合いのカップルだった。うらやましいを通り越していたよ。周りのみんなにも理想の二人と映っていたようだ」
スミスがどこか遠くを見た。若かりしころを思い出しているのだろうか。
「アナベル嬢とは同学年だったのだ、そしてあの年は同じクラスの時だった」
と前置きをして語り出した。
「お相手のテオバルド様はオグーラ家の嫡男。ヘンリーも知っての通り、クーツ家は交通網の一族、そしてオグーラ家は郵便、運送業を司る一族」
オグーラ家か、かの家もクーツ家同様ご先祖様は王に繋がる。郵便事業を最初は料金前納とした封筒販売から興し、交通網の発展とともに大陸中に広がり、ひいては国家事業となって、伯爵位を叙爵され、いまや運送業にも手を広げている実力のある家。両家のご令嬢とご令息なら十分釣り合いが取れている。
「テオバルド様は、学生時代に後継者になる一貫として現場を知るため、馬車で王都からサンダー領へ『本の道』を通り書籍を運び、帰りは魔石や原石類を積んで『貴石の道』で戻ってくるはずだった」
王都への上り路線の主な物流は食料だが、各地の特産物の名前が通称となっており、西方からの絹の道、南方からのお茶の道のほか、サンダー領からは魔石や宝石及びその原石などの鉱物資源を運ぶため『貴石の道』と称される。北家、東家からの道は交戦となり誰も通称では呼ばなくなった。王都からの下りは最新の文化を伝播し、多くの書籍が運ばれるので各地へ向かう路線は西家領へは『文化の道』、南家領へは『知の道』、サンダー領へは『本の道』と呼んでいる。
「だが……」
スミスは、ふぅと息を吐き、やおら俯き加減の顔を上げて言葉をつないだ。
「テオバルド様は不幸にも馬車専用道路で交通事故に遭い亡くなったのだ。それも王都の直前まで来ていて、スピードが出過ぎた馬車の事故に巻き込まれた。ヘルメットをかぶっていたそうだが、身体全部は守れなかった」
「それは……」
なんと痛ましい。軽率な言葉ははけない。
「あの後、アナベル嬢が登校なさった際は、見ていられなかった」
気丈に振る舞う姿が涙を誘ったのであろう。
「馬車から降りて、ご友人たちと会うたびに大泣きするんだよ。本人のみならず、周りもみんなもらい泣きさ」
はあ、そこは健気にも涙を堪えるのでは。
「授業が始まっても、先生が、『アナベル嬢は今日からか』、と言うと、本人が『お願いします』というそばからまた泣くんだ。先生も『つらかったろう』と言いながら泣く始末さ」
先生まで泣くとは……。
「『気丈に振る舞おうと思っていましたが、できませんでした。みなさんごめんなさい。悲しくて悲しくて涙が止まりません』と言ってたっけ。二日目もほとんど泣いていたよ」
高位貴族は感情を表に出さないのが美徳とされている中、伯爵令嬢といえども一人の乙女なのだ。頭では亡くなったことを理解したつもりで登校したのであろう。だけど友人、先生と接し、感情が追い付かなかった。あまりにも自然な言動、無理に気高く剛き女性を演じないアナベル嬢の姿を、その場にいなくとも想像でき、すがすがしさを覚える。
「三日目は違った。別人かと思うほど明るいお姿であった。そして『今日からは新しいアナベルです。恋多き乙女になります』と高らかに宣言なさったのさ」
俗に言うなら『涙も枯れ、一生分泣きつくした』ということなのかもしれない。一時発散しないと諦めがつかなかったのであろう。アナベル嬢にとって学び舎が踏ん切りをつける場所だったのだ。それ以降に会った人は、なんと気丈な方であろうと思ったのにちがいない。
そんな過去がアナベル嬢にあったのだ。
だけど、ヘンリーは思う。想い人が会うことも話すことも触れることも叶わなくなった現実を真に受け入れ、納得できるのだろうか、それは未来永劫ないのではなかろうか。自分なら、亡くなったとしても記憶は残り続け、心の中で生き続けてくれている。そう折り合いをつけるのではないか。
アナベル嬢も同じだろう。
もし生きてさえいればどんな困難があろうが、どれだけ年月がかかろうが諦めるつもりはないのだが……。想い人が永遠にいなくなれば他者からは悲しみを乗り越えたように装うしかない。
新アナベル宣言をして自分で自分を励ましたのだろう。
スミスが顔をヘンリーに向けた。
「婚約者が亡くなった日が二月十四日」
懐かしむ顔付きが変わり微笑みが浮かんでいる。
「その日に思い当たることはないか?」
一人の若者の偲念日に何か意味があるのか? 冬の寒い時季であるがこれといって記憶が……あっ、そうだ。
「本をそのころに何人かの女性からいただきました」
十代の学院生のころはなかったが、研究科の三年、四年生の時には何冊かもらった。三年生の時は二、三冊で魔法関連の書籍だったが、四年生の時は王国官吏試験を受験することを周りに仄めかしていたので関連する書籍が多かった気がする。応援してくれているのだと思って有難くいただいた。
「お返しをしたのか?」
言っている意味がよく分からない。
「飲み物の一杯程度は」
喫茶コーナーで一緒になった際は懐に余裕があれば御馳走したくらいだ。
「宝石を贈ったことはないのか?」
「ありません」
「そうか。ヘンリーは知らないのだな。まあ俺も最近フィンから仕入れた話だ」
フィンとくれば流行りものなのか。
「王都では二月十四日は女性から愛の告白をしてもよいという風習ができつつあるらしい。意中の人に本を贈り、貰った男性が宝石を返礼すれば愛の成就となる。戻ってこなければ一方通行のままか、愛が終わる」
そうか、アナベル嬢とその婚約者のことを喩えているのか。本を携えて行き、返りは貴石を持って帰るはずだった良人。
「悲恋が、こう言う形で残るとは、やるせない気がしますね」
「『本の日』と呼ばれているらしいが、誰がはじめたのかは分からん。仕掛人がいたのか、自然発生したのかは不明のようだ」
アナベル嬢が知ったらどう思うのだろうか、過去のこととあの場で宣言通り完全に吹っ切れていればよいのだが……。数瞬、二人の会話が途切れた。
口を開いたのはスミスだった。
「その後、アナベル嬢は恋多き乙女になると言いながら、あれからずっと誰とも婚約なさっていない。多分忘れられないのであろう。俺ですら誰か好きな人と結ばれて欲しいと願っているよ」
スミスは「まあ、俺は妻帯者だから無理だけど」と何故か意味ありげにヘンリーを見た。
ヘンリーも婚約者がいます、と声を大にして言いたかったのだが、今朝の手紙の件があり、黙さざるを得なかった。
「アナベル嬢とテオバルド様は二人ともセンスが際立っていた。流行の発信カップルと言えたな」
スミスはヘンリーの頭を見る。
「そのヘアスタイル『テオカット』だろ」
「よく分かりますね」
「ヘルメットをかぶるのにちょうどいいとテオバルド様が考案したのさ。『テオカット』のテオはテオバルド様の愛称さ。『テオ・ベル』族って聞いたことがあるだろう」
昨日行った床屋で『テオ・ベル』族の噂は聞いたところだ。
ヘンリーがうなずくのを見てスミスが続ける。
「今時の若い衆の格好はテオ様のマネさ。そしてベルと呼ばれる娘たちはアナベル嬢の愛称からだ。彼女の当時のマネなんだよな」
知らなかった。すごい影響を残している。
「今でもアナベル嬢はファッションリーダー的存在だと、小スズメたちが噂しているぜ。軍の制服もデザインはみんなと同じだが見えないところ、裏地とかが錦織でたいそうお洒落と評判らしいぞ」
そしてスミスは、今度はからかうような目つきをする。
「見たんだろう、その目でスカートの裏地を、いや裏地は目に入らなかったのかな」
「何をおっしゃるのですか」
変なところに飛び火した。ヘンリーは焦って口調も上ずる。
「恐竜の時だよ、ヘンリーを除いて檻に下りたのは彼女が先頭、上ったのは最後。いずれもスカートの裾から覗けたのはヘンリー、お前だけだ」
「まさか、まさかです。言いがかりですよ。冤罪です。恐竜を見ていましたから、アナベル様を決して見てはいません。だって、恐竜が完全に気を失っていなくて襲ってきたら大変じゃないですか、恐竜を見張っていて、気を逸らすことはできませんでしたよ」
ヘンリーは必死に言い訳する。
「まあ、そう言うことにしておこうか」
ヘンリーは肩を軽く叩かれた。お互いの部下の部屋に向かう分岐の角。
「信じてください。大尉」
スミスが後ろ向きに片手を上げて、部下の部屋へと角を曲がる。
あの場にいた団長二人とカーゾンも同じように思っているのだろうか。
ヘンリーはため息を漏らした。




