第三十三話 シルクロードとティーロード
翌日からは待機休暇に当てられたが、第二魔術師団は前線にいるので第二専用の兵舎は閉鎖中で使えない。そのためヘンリーたちは近衛魔術師団の兵舎に厄介になることになった。
外出も許可を得ないとままならず、部下たちは部屋で無聊をかこつけるしかない。本来はここにいてはいけない、最前線にいるべき兵士たちである。ヘンリーはこの機会に部下に魔術師の資格を取らせられないだろうかとカーゾンに相談を持ち掛けた。
「部隊単位ならなんとかなるはずだ。今晩、部屋で待っていてくれ」
カーゾンが資格を管理する部門に問い合わせてくれるという。
夕食後、兵舎の部屋で待っているとトントントンとドアがノックされた。
てっきりカーゾンがやって来たと思って開けた。
「あら、結構いい部屋ね」
気軽に入り込んできたのは白のブラウスに紺のスカートをはいたクーツ嬢であった。後ろにジャケットを預かった侍女と思しき姿が控えている。今は勤務時間外、高位貴族のご令嬢ともなると兵舎に侍女を伴っても問題にはならないのだろう。
「この部屋は尉官レベルではなく佐官レベルよ。ご存じ?」
やけに大きな目で見つめられた。この方は目鼻立ちがとてもはっきりしている。思わず目を下げると、衣服に目がいく。白いブラウスは肌触りがしなやかなそうで、なめらかな光沢がある。高級シルクでしか出せない上品な色合い。多分養蚕業の盛んな西方のメッシーナ地域産の一等素材を王都のハイセンスな衣料工房で仕立てた誂え物であろう。しかし何をしに来たのだ? 階級が違うと、部屋の交換を指示されるのだろうか? 案内された部屋に入っただけだが……。それとも恐竜の檻でスカートの裾からのぞく足を見たと言い張り、謝罪しろというのだろうか? それは濡れ衣だとはっきり言おう。
「恐れ入ります、ご用件は何でしょうか?」
クーツ嬢は何も聞こえなかったように窓際のテーブルに座る。部屋の配置はご存じのようだ。
コツコツコツ。
リズムカルな音色。人差し指で早くここへ座りなさいと命令された。
席に着いた途端、侍女がお茶の準備をする。
「ウバ産よ、ストレート、レモンティーどちら」
「ストレートで」
南方の『ウバ』産は紅茶の最高級銘柄と名高い。王都まで南方から運ぶ路線をお茶の道と呼ばれ、その馬車専用道路、つまりクーツ伯爵家の管理する道を通ってきたのに間違いない。それに、この方のブラウスの生地ともなった西方の生糸も馬車専用道路にて運ばれたはず。こちらは絹の道と称している。いずれもクーツ家のお茶の道、絹の道を利用してきたことは確か。
侍女がお湯をティーポットにいれる音がすると、すっきり爽やかな香りが立った。
「ご用件は?」
再度訊ねる。
「……」
無言。正解は何だ? 用件を聞くだけではダメ……、となると、ちゃんと名前を呼びなさいということか。クーツ嬢は金色の髪からして高位貴族。指輪は、右手中指にしている。これは邪気を払うもの。結婚の証、左手の薬指に嵌めていない。
「レイディ・クーツ。ご用件は何でしょうか」
独身ならミスは子爵以下、クーツ嬢の出自は、かの伯爵のはず、レイディは公爵、侯爵、伯爵の未婚の令嬢の称号。
「何を言っているの? ミスターハロード、貴方からの要望の件よ」
口調にはからかうような色が混じっている。正解を引き当てたようだ。クーツ嬢はヘンリーが子爵家三男のことを知って、伯爵以上の称号レイディに対応する男性用のロードではなく、正しく子爵以下のミスターと呼んだ。
しかしヘンリーがクーツ嬢に何か依頼した記憶がない、あるのはカーゾンへ魔術師資格試験を依頼……廻り廻ってってクーツ嬢にたどり着くってことがあるのか? 軍隊での試験の管轄はひょっとして支援師団? そうなのか?
「お手を煩わせて済みません。我が部隊員たちをどうにか受験させていただきたく」
真面目くさって頭を下げた。推測が当たっていろよとの願いを込めて。
「まったく、面白くないわ」
今度はすねた色が入っている。
「無理すればできないことはないのだけれど」
顔を上げると、片頬に手を当てて考えている風である。思わせぶりな回答には待ちの一手とヘンリーの処世訓が言っている。
侍女からお茶を供される。
「ありがとうございます」
クーツ嬢がティーカップを音もなく口に寄せる。
ヘンリーも飲む。コクがあり、爽やかな渋みがある。高級葉は全体的にまろやかで、尖ったところ、雑味がまったくない。久しぶりのおいしいお茶。
「大変美味しゅうございました」
最低限の礼儀のみで済ます。
「ヘンリー」
歌うように呼び掛けられた。
「貴方はもう魔術師の資格試験は必要ないのでしょう」
「はい」
ヘンリーがうなずく。
「髪の色、お洒落ね」
何を言っているのだろう? 明後日の方向からの指摘にヘンリーの頭はこんがらがる。
「赤色が銅色にグレデーションされ、左側の銀のメッシュ、お似合いよ」
ヘンリーはポカンとしたのだろう。
「鏡を」
クーツ嬢が侍女に鏡を要求する。
侍女からヘンリーは鏡を差し出された。自分の頭部……髪の毛を見て驚いた。クーツ嬢の言った通りの髪が目の前にある。
そう言えばいつから鏡を見ていないのだろう。軍隊に入り、幹部候補生学校の卒業式の際に見たのが最後か、それ以降の記憶がない。前線に出てからは身だしなみに無頓着になっていた。
「髪の毛の色から、もう魔法適性を隠すのはご無理なようよ」
最近、火の魔法より、銅由来の麻痺の魔術、風の隠密の魔術そして銀の魔法を使うことが多かった。髪の毛の色は魔法の適性により変わることが知られている。使用頻度によっても適性の度合いが上下し、変色したのかもしれない。
「ふーん、うふふ」
笑っている。遊ばれているのだろうか。真面目な表情では先ほど『面白くない』と言われた、どうすればいいのだ。なるようにしかならんと開き直った。鏡を「ありがとう」と侍女に返し、自然体でクーツ嬢に再度向き合った。
「貴方の実力は疑いようもないわ。でも部下たちの身上書からは、まったく無能だとしか読み取れないのですが? それでもやる価値はあるのですか?」
ヘンリーはクーツ嬢の目を見てしっかりとうなずく。
「貴方の魔術、お見事だったわ。カーゾンから聞いたわ、部下たちも……そうなのね?」
隠密の魔術は極秘扱い。カーゾンが部下のことまで話しているわけはない。鎌を掛けられているだけだろう。
表情を変えずにまっすぐ目を見る。首も振らない。
ふうっと、柔らかな色合いがクーツ嬢の顔に広がる。
「お見事ね」
お眼鏡にかなっただろうか。
「明日、行ってあげるわ。近衛支援師団の受付に九時に来るように部下たちに言いなさい」
「ありがとうございます」
ヘンリーの感謝の言葉に、「一つ、いいえ二つ貸しよ」と言って、手際よく後片付けをした侍女とともに、軽やかに去って行った。
貸しって、そんな馬鹿な、借りた積もりが全くないのに……それに覗いてもいないスカートの中を見たかのように言うし……、はあ、そうか。だから二つか……年上のヒトは横暴すぎる。もし自分が官僚に奉職していれば、クーツ嬢のような女性たちと仕事をしていたのであろうか、ならば面倒この上ないところであった、との思いがヘンリーの脳裏をよぎった。
気持ちを切り替えよう。部下の試験を明日行ってもらえるのだ。
部下たちの部屋を廻り「喜べ、明日魔術師の資格試験を受けられるぞ」と言うと、皆がやる気と自信をにじませていた。この表情を見たらクーツ嬢との神経を使ったやり取りのことも元が取れるし、さらに合格すればお釣りがくる。
ボビーを含めて誰もまだ魔術師と名乗れない。資格取得は上官として必須の役目だと思っている。
翌朝、部下を前にヘンリーは言葉をかけた。
「銅の希少魔法についてはダメもとで測ってもらえ」
エズラとフィンの二人は解毒剤を作れたので合格レベルだと思っているが、他の四人も麻痺の魔術を実戦で使えたのだ。一種類だけだが、ひょっとして銅の適性がついているかもしれない。そうなれば今後の昇進にも有利だ。
「成人してから他の適性がついた記録を研究科生の時代に読んだことがある」
嘘ではない。学生時代に指導教授から薦められて新しい学説や研究論文も目を通している。
「はい」
みんなが気負いのない顔を見せた。少なくとも一つの適性で合格する自信があるのだろう。
「隠密の魔術を思い出せ。魔術師団の中でも十数名しかできんのだ。お前たちにはそれだけの実力が備わっている」と部下を送り出した。




