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第三話 はじめの半歩

 子爵家の樹々からセミの鳴き声が聞こえ始めていた。十一歳のヘンリーは一人で亡き祖母の教えてくれた朝の鍛錬をしながらセミ捕り、トンボ釣りの季節がやって来たことを感じた。

 鍛錬後はいつものように離れのダイニングへ向かう、その足取りは軽い。ヘンリーの頭の中は遊びのことでいっぱいだ。

 ――そうだ、セミ捕り用の網、トンボ釣りの竿と糸も必要だな、ローガン(次男)兄さんが遊びにくる前には準備しておこう。

 お手伝いのシエナが用意してくれた朝食を取り終えると、普段はいない執事長が待っていた。

 シエナが余所行(よそゆ)きの衣装を準備している。

 何だろう? 昨晩、何も言われなかったんだけれど? ヘンリーは不思議な気持ちが募る。網と竿と糸の用意ができないといやだなあと思いながら二人のいずれかの言葉を待った。

 執事長がにこやかな顔でヘンリーに言う。

「今日は馬車でお出かけいたします」

 ヘンリーの気分が一挙に晴れた。というのも昨年の春先、十歳の誕生日の前にも執事長と馬車で出かけたことがあったのだ。行き先は現在も続けている気鍛流の道場だった。入門を許された後、先ずはと、受け身を習うと「体幹が練られている。君は素質がある」と褒められた。ヘンリーは一度で虜になり今では週三回通っている。気を練り、相手の気を読み、その気の流れに合わせて相対する体術を教わっている。一年経ってからは、組手の稽古を許されるまでになった。「脇が甘い」「腰が決まっていない」「身体が据わっていないぞ」「気に緩みがある」と手を触れた刹那、宙に飛ばされ、床にたたきつけられる。もちろん直前に受け身を取れるようになったが、宙に舞うのは始終のこと。空気のように投げられてもそれが次への励みになる、と心が湧き立つのだ。十一歳の誕生日を過ぎてからは上級者へ魔力を放つ稽古も追加された。道場では魔力持ちは少ないらしい。自分の鍛錬のためと思っていたが、上級者にとても喜ばれた。「ヘンリーは、こっちの要望通り魔力の強弱をつけて放ってくれるからとてもやりやすい」彼らにとってもいい稽古になるらしい。

 今日も執事長に言われるまま馬車に乗り、今回はどんな楽しみが待っているのかとワクワクしながら揺られるうちに目的地へ着いたみたいだ。降りると王立学院附属小学舎と書かれた門が見えた。

「ヘンリー様、学科の試験と魔力の検査があります。大人の方がいますから、その人の指示通り行ってくださいね」

 そう執事長に言われて送り出された。

 事前に聞かされていたわけでないが、言われた通り試験と検査を受ける。案内された部屋には三十人ほどの子供たちがいた。いずれもヘンリーより背が低そうだ。

 筆記試験『数の問題』『図形の問題』『言葉の問題』『推理の問題』を受けた。

 最初の『数の問題』と次の『図形の問題』は時間が余って暇で仕方がなかった。みんな問題を解いているのか、確認をしているのか、最後までよそ見をしているような子はいなかった。ヘンリーは試験用紙を裏返して終了の合図をただただ待っていた。

 意味が分からなかったのは三科目目の『言葉の問題』、しりとりとか言葉の意味とかいったいこれのどこが問題なのかと頭をひねらざるを得なかった。

 面白かったのは最後の『推理の問題』、迷路や動物の速い順当てや人の食べ物の好き嫌い当て。ルールというか基準が記載されていてそこから判断する問題だった。

 終わった後は部屋を移動し、たぶん魔石だと思う白っぽい石に、担当の女性に促されて触れさせられた。ふっと力が奪われる感触がすると、石が真赤に染まっていた。思わず手を離した。

 今まで無表情だった担当の女性が一瞬ハッとした表情をした後、目じりを下げにっこりとほほ笑んだ。

 物体と化していた人物が突然意味のある女性へと変わったような気がした。

 次に指示された会場で身体測定をして「十一にしてはでかいな」と男性係員に言われた。頑丈そうに見えたからといってバンバンと背中を叩かないでほしい。そして「その真赤な髪の毛から火の魔力が相当高そうだな」と目を細めていた。

 それで検査は終わりだった。


 数日後また執事長と馬車で出かけた。

 人だかりのする掲示板の前にたどり着くと、その中にヘンリーの名前があった。

「ヘンリー様、おめでとうございます。新学期は九月から始まります。期間は小学舎三年間、その上の学院五年間、さらに研究科は四年間、今から勉学にお励みくださいね」

 執事長が笑顔を向けたのだが、口調にはヘンリーに本気を促す気持ちが感じられた。

「わ……分かった」

 笑みの中の厳しさに思わず、言葉がスムーズに出なかったのは許してほしい。

 執事長が事務室で書類一式をもらってきた。その後一緒に屋敷に戻った。

 そのまま母屋に連れて行かれたので何事かと思うと、父がいた。執事長が父へ報告する。

「王立学院附属小学舎への入学試験に合格いたしました」

 父が意外な顔をした。

「どういうことだ。小学舎には魔力がないと入学できないはず」

 父がヘンリーと執事長の顔を見る。

「ヘンリー様が魔力持ちだと証明されました」

「確かにヘンリーは赤い髪、火の魔力に適性のある髪だが、真珠が……」

「たぶん大奥様が何とかなさったのでは」

 執事長がしれっとした表情で話した。

 ヘンリーは意味が分からず黙っていた。兄たちと同じように、小学舎へ入るのが当たり前だと今日まで思っていたが、学科の知識と魔力がないと(かよ)えなかったのだ。先日の検査が入学試験とは知らなかった。

「魔力がないから代わりに体術をと王都で評判の気鍛流の道場に通わせたのだが……」

 自分に魔力がないと思って父が道場を紹介してくれたのか。はじめてヘンリーは知った。祖母は魔力のあることを父に言っていなかったようだ。意外な気がする。

「ご当主様、入学祝いを」

「分かった……。兄を助けられるよう勉学に励めよ」

 父があたふたとした様子から少し回復したのかヘンリーの目をしっかりと見て話した。

「それだけでしょうか」

 しばしの沈黙の後、父が息を鼻から少し吸って吐き出すように重い口を開いた。

「ヘンリーには将来鉱山都市『ラリウム』の代官となってもらう」

「ありがとうございます」

 間髪を入れず執事長が応えた。そしてヘンリーを見る。この場で初めてヘンリーが口を開いた。

「兄たちと共に誠心誠意尽くします」

 執事長が微笑んだ。そして何やら父に耳打ちする。「席次一番……総代……遠慮……」言葉の切れ端が漏れ聞こえる。コホンと咳払いを一つすると、

「つきまして、九月から小学舎へ通うにあたり、母屋か寄宿舎住まいにするかの選択をしていただかなければなりません」とヘンリーに向き直った。

 ――えっ。

 ヘンリーは驚いた。

 父が不思議そうな表情で執事長に尋ねる。

「ここから通うのではないのか?」

「シエナが結婚を機に辞職を申し出ております」

 ヘンリーはさらに驚いた。

 ――どういうことだ、聞いていないぞ。

 父とヘンリーが顔を見合わせた。父がすぐに冷静な顔つきになる。

「ヘンリーの好きなように」

「それではヘンリー様、よく考えて母屋か寄宿舎住まいかの結論をお出しください」

 頭の中がこんがらがっている。整理しないとわけが分からない。話した言葉は唯一「兄たちと共に誠心誠意尽くします」それ以外はただただ驚くことばかりだった。小学舎への入学試験、合格、ヘンリーの魔力を父が知らなかったこと、そのせいもあって気鍛流の道場へ父が通わせてくれたこと……そして通学方法、今まで一緒に暮らしていたシエナがいなくなる。


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