第二十六話 次の一手
遂に王国軍は占領された地域を挽回し、ノース公国の領地を独立前だけにすることができた。
ヘンリーが前線に投入されて一年弱、最前線は、ノース公国の最南端のそば、王家領の北部、敵の要塞城の目と鼻の先に設けられることになった。
地理的にも形勢的にも一年前とはほぼ逆の状態なのだが……分からん。ヘンリーは、堅城と名高いノーザン城を落とした後、この地を目指すように言われ、到着すると拠点を築くよう命じられた。上官殿の命令だから従うものの、奇異な感を拭えない。せっかくの勢いが削がれるだけではないのか、こんな所でモタモタしないでこのまま突っ走った方がよいのではと思う。若さゆえの血気に走り過ぎているだけなのかもしれない。ただ情報として上の考え方と敵の様子があまりにも伝わってこないのが気がかりだ。
ここには北部方面基地から三分の二にあたる兵師団の約一万七千人と魔術師団の四つの分隊の約百五十人がいる。支援師団も魔術師団と同様の態勢であった。
欠けた兵力は、主に民間人引き込み城での攻防戦。ヘンリーたちはスルー派だったのでどういう戦い方をしたのかは知らない。攻城派の誰もが口を噤む。漏れ聞いた話では落城させたが悲惨の一言で詳細は語らないそうだ。死傷者が三割に近いとは全滅と言っていい。一般には、兵士の三割程度が戦列を離れた場合、戦力としてその部隊を数えることができなくなり、『全滅』とされる。ちなみに五割で『壊滅』十割で『殲滅』という。スルー派では魔術師団第六分隊第一部隊七名が戦列を離れたのが最大で、ほかは一、二名単位で二十名しか欠けなかった。傷病者と兵士の残りの三分の一は北部方面基地に駐留している。
ここ北の地では秋の気配が早い。朝の鍛錬をしながら日の出が遅くなったのを感じている。
陣を構えると王家軍から降伏の使者が出るのと時を同じくして要塞城からも降伏の使者が出るという開戦の挨拶が苦笑いで済まされた。
ただ、味方の使者は敵の使者から一通の書状を預かってきた。
「ノーザン城主の娘メリッサが解放されれば、王家軍が退去する際に攻撃はしないとの一文があったそうだ」
夜、バイロンにスミス大尉と共に呼ばれると、そう言われた。顎ツン令嬢の名前がメリッサだと初めて知った。そばにいたスミスに顔を向けると怪訝な顔をされた。当然のごとく知っていたようだ。
「まあ開戦が決まったことだから反古に等しい内容だが、幹部連中は後生大事に取っておくだろう」
保身という言葉がヘンリーの脳裏に一瞬浮かんだ。いやそんなことはないか、書状があれば状況によっては使い途があるもしれない。
「何かあった時の交渉材料でしょうか?」
「多分な。将来人質交換もあり得る。それに使者はノーザン城主の嫡男だったらしい。メリッサの兄だ」
顎ツンの兄か、執拗に狙われそうな気がする。
「先ほど聞いた情報ですと、メリッサ嬢はノース公国の公主の次男ダニエルの婚約者ではないかとの話があります。ただこれは、裏は取れていません」
スミスは一体どこから仕入れることやら、極秘の情報をサラッと話す。
「そうなればメリッサ嬢の扱いがますます厄介だな」
「今どうなっているのですか」
ヘンリーは初めてメリッサの状況を知ろうとした。
「王都に送ると聞いた。多分幽閉されるはずだ」
やはり、死は免れていたか。しかし婚約者のいる立場でよくもあんな無謀なことをする。自分に余程自信があったのだろうか? 世間知らずのお嬢様なら仕方がない。
「偽旗作戦の片棒を担いだ咎でもっと厳しい処分、断罪を求める声もあったのだが」
断罪、つまり死を意味するが、回避に値する理由とは……。
「その事実を糾弾すると、キョトンとした顔をして、それは私の知らないところで行われたこと。私は皆さんを饗応するよう言われただけです。と宣った」
メリッサは何も知らないのか? それとも知っていてとぼけただけなのだろうか。
「尋問した人間の感触では白。全く知らなかったというのが正しいらしい」
ヘンリーはスミスと顔を見合わせた。
真実なら死を求めるのは行き過ぎ、幽閉が妥当だろう。
「メリッサ嬢は、城内に入った上層部と城外の我々に毒入りの酒を配ったことはご存じない。早朝の騎馬の出陣も知らなかったようだ。調査した結果、極秘の作戦でほんの一部の人間しか知らず、騎馬は両軍でのセレモニーだと言われ、直前に実戦だと明かされたとのことだった」
だから夜討ちではなく、朝駆けとなったのか。あそこにいた大勢の王家兵を討つには大規模にせざるを得ず、城兵のほぼ全てで夜襲を決行するには作戦を大っぴらにせざるを得ない。そうすれば王家軍にもどこからともなく伝わってしまう。漏れを恐れて極秘作戦にし、朝駆けとなったおかげでこちらとしても助かった。セレモニーを早朝に行うことは皆無ではないからな、とヘンリーは思った。
「再度、メリッサ嬢にその旨伝えると、大変申し訳なく存じます、と謝罪した」
きちんと話せば通じる、道理の分かる人のようだとメリッサを見直した。
「ただヘンリー少尉は父の仇、そのことは変わりません。とも言ったそうだ」
メリッサの評価を上げたのはやはり間違いだ。
最後にバイロンからノース公国側にノーザン城の偽旗作戦のことを厳重抗議したと伝えられた。残念ながら先方は全てこちらのでっち上げだと反論してきたそうだ。結局第三者がいない現状では力での勝負しかないのかと改めて思う。
「一応、頭に入れておいてくれ」
関係者の一員ということで話してくれたらしい。
小競り合いすらない小康状態が一か月以上続き、戦場でも剣戟の代わりに紅茶が欲しくなりそうな昼下がりに全員集合の号令がかかった。
「中央からの連絡を伝える」
兵士を前にこの地の最高司令官の第二兵師団長アストレイが声を張った。第二魔術師団長は北部方面基地に最高司令官として残っている。現在ここの魔術師団のトップは第二魔術師団第一分隊の隊長が師団長の代行をする。
「前の陣地での恐竜との戦いは、『恐竜夜襲大作戦』と呼ばれ、大勝利に王都は喜んでいる」
「おう!」
兵士たちが呼応する。
「その勝利からほぼ一年で遂に奪われた領土を全て奪還できた。我が部隊の力で成し得たのだ。我々は優秀だ、誇れるべき部隊だ」
兵士たちは歓喜の喝さいを上げる。
論功行賞は未だだ。王都から褒美の連絡なのでは、と誰もが期待している。
「これを機に、ノース公国に攻め入り攻め滅ぼせとの仰せだ」
兵士の反応が遅れた。てっきり褒美と帰還と思っていたところがもっと働けだと、そんな馬鹿な、という空気が流れた。
――これはまずい兆候だ。兵士たちからはやる気は見えず、落胆さえしているのではないか。
そう思ったのはヘンリーだけではないはず。本来最前線での戦いは二年交代でそれがあと半月先のことだった。みんなが王都に戻って褒美にあずかるぞと思っても無理はない。ヘンリー自身、堅城を落とし、この後は速攻でノース公国の本拠地ノースシティを目指すのが本筋だと思っていた。ところが、この地にしばらくいることから、てっきり有利な条件で和睦するのだと疑いもしなかった。それが敵の要塞城の真正面にいて、さらに時機を逃しているのにかかわらず今からまた北上するとは、全く理解できない命令だ。
「新たな作戦を授ける。それまでは十分英気を養い、待機しろ」
兵士からは歓声が上がらない。それでもぽつぽつと「おう」という声が上がり始める。義務感からの掛け声では勢いがつかない。
意気が上がらないままの散会になったのは仕方のないことだろう。
夕食後、ヘンリーのテントにスミスが来た。
「おかしな具合になっている」
スミスがしかめ面をしている。
「どういうことですか?」
「どうもこうもない、王都から来た報告の詳細をようやく聞けたのだが、事実とは異なって伝わっている」
「と、おっしゃいますと?」
まだおかしなと言う内容がよく分からない。
「俺たちが行った『ダイナソー作戦』のことだ。『恐竜夜襲大作戦』という呼び名になって第二兵師団が中心になって夜襲を実施し、敵陣に壊滅的打撃を与え、恐竜五十頭を生け捕り、五十頭を殺戮したことになっている。報道もされたようで、魔術師団の魔の字すらどこにもないと聞いた」
「そんな馬鹿な。監察がいたでしょうが」
戦地の状況を正確に報告するのが支援師団に属する監察の役割。
「そのはずだが……、解らん」
「少なくとも、私が五頭を雷魔法で倒したことは第二兵師団の団長付副官ギルビー中佐が確認しているはずです」
「ああ、ウォーカーに聞いた」
「それに敵陣には死んでいた恐竜がいませんでしたよ。ダーリーが言うには、行方知れずの四十五頭は帰巣本能で北へ向かったのではないかと」
二人は頭をひねるしかなかった。
ヘンリーにとっての初手柄が、横取りされるのはしゃくにさわる。待ってくれている婚約者へもこのままでは誇りようがなく喜んでもらえない。軍隊で自分の実力が発揮できているのでは、自分に向いているのでは、と思った矢先のことだ。冷水を浴びせられたような気がする。実力本位のはずの軍隊で腐敗社会のようなどろどろとした権謀術数がまかり通っているのか。ヘンリーの気は晴れない。
「一度、王都へ帰ってみた方がよさそうだ」
スミスたち三人は第二魔術師団に属しているわけではない。スミスは元々幹部候補生学校教官、ウォーカーとベーカーは教官候補からヘンリーの部下たちへの指導を評価したスミスが教官として相応しいと保証しかつストーナーの推薦が得られ肩書に教官が付いた。つまり三人は幹部候補生学校教官でありながら、極秘情報の伝言という特別任務のため所属先が近衛魔術師団長預かりとなっていた。果たした後は交代時期までは前線勤務として残り、その後は自由裁量。帰還するか残るかは自分たちで決めてよいと認められているそうだ。スミスは帰還することを選ぼうとしている。




