第十七話 グランマ(祖母)の魔術再び
隠密の魔術を発動すると目は利かなくなるため、東側の地形を十分記憶する必要がある。全員で訓練へ行く前と帰って来てからは記憶の時間に費やした。隠密の魔術を行使して自陣を出て足元の確認と途中途中に目印となるよう凹凸を土魔法で施しもした。二つの魔法を同時に発動できるヘンリーの技が役に立つ。
日中ヘンリーは敵陣まで土と銅の魔法で穴を掘りトンネルを作る練習を怠らない。
「結構立派な階段だな」
「広さも十分にある」
「見た目とても洗練されている。そうか、土以外に銅の魔法を使えるのか、すごい奴だな」
出来上がりを見にきたスミス、ウォーカー、ベーカーには好評のようだ。間口六十センチで作ってある。実家の離れにあった屋根裏部屋へ続く天井付属の伸縮梯子を思い出し、それを上から見た形を頭に浮かべて作った。
ふっと横合いからいきなりの違和感。攻撃される恐れは感じないもののこんなそばに寄られるまで気付かなかった。
どこかで見たような小柄なおっさんがいた。知り合いのような気がするが、誰だかすぐには分からない。ただ気配がとても薄い。
「ちわっす」
こんな戦場のそばで一般人なら危なくないか、と訝しみながらも取りあえず挨拶をした。
「よっ」
片手を上げられた。焦点がはっきりする。ということは今まで隠密の魔術ほどではないが、気配を完全に消していたのだ。
誰だ、誰だ、誰だ。
「団長」
スミスの驚きの声に思い出した。ストーナー第二魔術師団長……そんなお偉いさんが、近所のおっちゃん風の装いで訪れるとは、二度見どころか目が点になる。制服姿しか見ていない雲の上の人、すぐに誰だか分かるわけがない。
「お前さんよく気付いたな、驚かすつもりだったのが見破られるとは、久しぶりだ。ヘンリーは気鍛流の使い手だったか」
身上書を覚えられている。
「はい、使い手とは言えませんが、十歳から指導を受けました」
団長がニヤリとしてから土と銅の魔法で作った穴を見た。
「これは例の作戦のためのトンネルだな」
「そうです」
ヘンリーが答える。
「すぐには分からんよう、出入り口を塞ぐ手当てが必要だな」
団長の有能さを垣間見た。瞬時に至らぬ点を指摘された。
「穴のないようにしろ」
トンネルの出入り口の穴が開けっ放しなのは構造上穴があるから穴のないようにしろとは……。親父ギャグ? それともユーモアを言ったのか? ほくそ笑んでいる。気さくな人柄なのだろうか、返答に困るものの、正論なので対処しなくてはならない。
ヘンリーが先頭、スミスが最後尾で進むので、二人で出入り口を塞ぐ工夫をする。ベーカーとウォーカーは指導に戻る。
土板を土魔法で作り蓋状の形にできた。
「うん、それがいい。これなら偽装も完璧だ。階段を進むのも贅沢過ぎるくらい問題ない。普通の地下室への通路だな」
「自分は天井の裏部屋へ行き来する梯子を想像して作りました」と言ったら、
「地下と天井、全く逆か」と大笑いされた。
「それにしてもよく出来ている」
団長のお墨付きを頂けたようだ。
スミスともども安堵した。と同時に、わざわざ天井の裏部屋を想像しなくとも二階から一階へ降りる階段を思い浮かべて作ればよかったのだと今になって気づいた。
団長の視線がトンネルから転じる、その先を追う。
「ハイド」
部下たちが隠密の魔術を訓練している最中だ。ベーカーとウォーカーがつきっきりで指導している。二人にとっては反応速度と同化がまだまだなのか、詠唱とイメージの持ちようを説明しているようだ。土魔法組は寝そべって大地に触れ、風組は目を閉じ両手を広げ大気を感じさせられていた。
団長の横顔を見ると、しきりに頭を縦に小さく振り満足げな表情を浮かべていた。
「これなら『ダイナソー』作戦は上手くいくかもしれんな」
団長はヘンリーに顔を向ける。
「今までも何回かトンネル作戦を行ったのだが、敵さんに見抜かれて失敗しているのだ。しかし隠密の魔術で何とかなりそうだな」
トンネル作戦はありがちな策だ、初めてではないのもうなずける。ただ今回は、人知れずピンポイントを狙って遂行する。それが肝だ。
「期待しているぞ」「風と土、両方頑張れよ」「気を抜くんじゃないぞ、お前も土を学べ」「励んでいるか。この調子なら銅もモノにできるかもしれんぞ」「新兵か、先輩について行けば問題ない」「お前も新兵だな、二人ともよくやっている」
団長は一人ずつに言葉をかけて帰っていった。うちの隊員の身上書を見て魔法適性を覚えている、すごい人だ。そして隠密の魔術の成り立ちを風と土だと見極めている、これはあらかじめ知っていたのだろうか? それとも部下たちの訓練を見て悟ったのであろうか? ヘンリーには分からない。スミスに訊くが首を横に振られた。そこまで知らないらしい。そして団長の帰った方向を見ながら口にする。
「それにしても滅多にないことだと思う。団長自らが訓練中の部隊に護衛も伴わずにふらりと来て声をかけた、なんて話は少なくとも俺は聞いたことがない」
スミスの説明に、基地に手詰まり感が漂う中、ひょっとするとこのわずか十名でやろうとしていることは、光明に思えるような作戦になるかもしれんぞ、と胸が高鳴った。
「お前たち、俺たちは注目されている。いいところを見せる絶好の機会だぞ、チャンスだ」
ヘンリーは気合いを入れた。
その後、部下たちは訓練に一層熱が入り、夜も麻痺の魔術の精度を上げるべく発現速度と命中率を高めようと繰り返していた。瞑想、魔力向上の鍛錬、隠密の魔術、麻痺の魔術と魔法漬けの毎日を送る。
敵はその間毎日恐竜をデモンストレーションするばかりだった。何かを待っているのではないかと噂されている。それが何かを答える者はいない。また一部の恐竜の動きが、ぎこちなさが取れスムーズになったという。
――それは未熟な恐竜か、駆出しの恐竜使いを訓練していたのではないか。
とヘンリーには思えた。ダイナソー作戦を早く行った方がいい。
焦れる思いを胸にして夕食を終えて三十分ほど後、スミスがヘンリーたちのテントへやってきた。全員が聞き取れるほどの小さめの声で話す。
「今晩、西側の壁に夜襲をかけることになった。よって我が隊は夜襲前に隠密の魔術を使って東の壁際まで到達する。そこから土魔法と銅の魔法でトンネルを掘って相手陣地の貫通する直前までで待機し、夜襲が始まる時刻から十五分後、最後の一突きで抜け出る。あとは、恐竜使いを強襲し無力化する。捕虜にできるかどうかは臨機応変だ。そしてトンネルで戻る。恐竜の開放はヘンリーが対応しサポートはボビー、いいな」
「了解」
全員が小さく答える。緊張感が高まる。
ヘンリーはスミスがいなくなってから部下たちに言った。
「戦闘になった場合、極力麻痺の魔術で倒せ。全員が同じ魔術を行えば広範囲に展開できて有利だ。合図は……グランマだ」
フィンが目を輝かせた。他の部下たちも顔を綻ばせた。肩の力が抜けていくのが見てとれた。
「合図とともにすぐにウォーターかブリーズで麻痺の魔術を放て」
「分かりました」
部下たちがうなずく。
回復薬をポケットに入れ出陣の刻限を待つ。
深夜二三〇〇時、隠密部隊十人が敵兵士の格好をして出発する。敵の装いは予め分捕ったものを用意してあった。
予定では二六〇〇時に北部方面基地全体の約十分の一、魔術師団半数と兵師団の三千人の兵士がヘンリーたちとは反対側の敵の西壁へ夜襲をかける。ヘンリーの属する第六分隊も兵站部隊強襲作戦から一旦戻って来ている。
陽動らしく魔術をバンバン放って、派手に騒いでくれよ。西側に敵の目が向けば、それだけ東側のヘンリーたちの作戦が楽になる。
二四〇〇時、東壁まで約二十メートル地点に姿を消した十人がいる。自陣を出てここまで、目の利かない隠密の魔術でスムーズに来られたのは下準備で作った途中途中の凹凸のおかげもあるが、それよりもエズラの能力が素晴らしく、まるで目が見えているかのように「あと何メートル、自分の足であと何歩」と的確な情報を提示してくれたことによる。自分の歩幅の長さを知っており、歩数から計算していたようだ。それを褒めると「いえ、隊長の方向感覚が正確で途中途中の凹凸に誤りなく到達したからです」と謙遜された。ヘンリーの方向感覚は気鍛流の稽古のたまものだと思っている。
月も星も見えない曇り空。雨は落ちていない。夜襲には持って来いの空模様となると、敵さんの警戒も強かろう。
壁の上からは、灯りをこちら側に向けて照らしているのは事前に調査済み。厳重警戒態勢をとっているのはこの恐竜エリアがそれだけ重要なことを物語っている。隠密の魔術で姿を消さないと、普通の兵士では近づけない。
ヘンリーが一人だけ入れる穴を敵に気づかれないように隠密の魔術をかけたまま少しずつ土魔法で作り中へもぐる。両手で魔術が放てるヘンリーならではの特技が威力を発揮する。隠密の魔術を解くと闇夜の穴の中にも視界が利きだす。地中から外に向けて徐々に穴を大きくして同時に銅の魔法で錬成しトンネル状とする。続けて上り下りしやすいように階段を設えた。全員が中に入り隠密の魔術を解いたらしく、九人の姿が見える。最後のスミス大尉があらかじめ工夫した土板で穴を塞いだのだろう、一気に暗さが増す。閉じたことで少しくらい明るくしても外からは分からない。携帯用小型灯火器で前方だけを照らしながら土魔法と銅の魔法でトンネルを作っていく。
ここ数日みっちり練習した甲斐があり、スムーズに進む。あと一回掘削の魔術を発動すれば貫通する位置まで至った。後ろに最終待機地点到達の合図を送る。これで味方が夜襲をかけて敵が迎撃を開始し戦闘が激しくなると予測される時刻二六一五になったら、突き破る。目標は恐竜のいる檻の奥行を三十メートルと考え、正面東端から北側へ約四十メートル地点と定めている。