第十三話 防御服
夕飯後、部下全員がヘンリーの部屋に集まっていた。防御服を着たオーリーがいる。
「では隊長、麻痺の魔術を私目がけて放ってください」
オーリーが自ら志願して「私が言い出しっぺですから」と実験台となっているのだ。
なぜこうなったのかは理由がある。
昼間、ヘンリーは麻痺の魔術が、淡い光の色から銅の魔法に分類されると思われ、水や風系統ではない、その理由と意味に何か引っかかるものがあり、ゆっくりと検討する必要があると考えていた。
そして部下たちは、自分たちで体験し習得した魔術を実際に呪文だけで放ってみて、無詠唱に浮かれた後、宿舎に戻っても高揚した気分が続き、自然とみんなが集まり、そこでも冷静になることなくさらに盛り上がり、詠唱が不要でこんなにすごい力の魔術が使えたことを喜び合い、「あの苦しい錬金釜での辛抱の甲斐があった」と話し合っていたようだが……、その時誰ともなく、「錬金釜で銅の魔法を俺たち使えたんだよな」「そうエズラだって銅の適性があると言いながら弱いからと、全員が隊長に移譲してもらっていた」「じゃ、俺たちが使った麻痺の魔術って何の魔法に分類されるんだ?」と疑問を感じたらしい。
そして出した結論が、『グランマ秘伝の麻痺の魔術は基本魔法の水と風となって現れるが、錬金釜で毒薬生成をして身につけたもの、つまりオリジナルの銅の魔法が大元』ではないかと。だからエズラが他の人間より秀でていたのはないかと。そこでオーリーが、
「となると、防御服を着た兵士でも気絶させられるのでは? 防御服は基本四魔法を吸収し無効化するが、希少魔法は防げないはず」
と言い、「試してみたい」と全員でヘンリーの部屋にやってきたという次第だった。
夜風が部屋の男たちの熱気を冷ます。麻痺の匂いを逃がすため窓は開け放たれている。今しがた防御服が正しく機能する確認を鎌鼬の魔術で行った。
念の為、オーリー以外の部下は回復薬を手に持っている。ヘンリーは外ポケットに回復薬を入れ、グランマから譲られし金の魔石を懐に忍ばせている。
この金の魔石、子爵家の経営が芳しくないと察したヘンリーが学生時代、兄に供出したことがある。丁度金の魔石の価値が高騰していた。兄は笑ってそこまでひっ迫してない、と言いながらもありがたく利用させてもらうよ、と受取った。兄はそれを売りに出さず、知人の薬師夫婦にレンタルした。借りた夫妻は店舗を構えており、回復と治癒ができる薬師がいると王都で評判を取った。夫妻は希少魔法の適性はなかったが、金の魔石を有効活用する魔力と知識と確かな技術があった。魔石がカラになりそうになればヘンリーが出向いて魔力を込めた。祖母の手紙にあった通りヘンリーには金の適性はないが、右手から銅の魔力、左手から風の魔力を同時に込めれば充填ができた。二人に感謝され、金の魔法の手ほどきを受けた。おかげで魔石があれば金の初級の魔術が使える。その後夫婦は金の魔石を自分たちで手に入れるまでになり、ヘンリーの魔石は返却されて兄から戻された。ささやかな良き思い出が胸をよぎる。
「隊長、お願いします」
オーリーの目がヘンリーを捉えている。
「分かった」
意識を目の前に集中する。
「ブリーズ」
ヘンリーが一番弱い風の麻痺の魔術を、防御服を着てベッドに腰掛けているオーリーに放つ。ゆっくりとベッドに倒れるオーリー。
紛れもなく防御服をも物ともしない銅の希少魔法だった。銅色の淡い光を発していたのもこれで合点がいく。
「では私にもお願いします」
フィンがボビーに言う。
フィンが隊長以外の隊員誰かに麻痺の魔術をかけて欲しい、でないと隊長だけ特殊な可能性があると主張したのだ。
カレブ、エズラが、フィンが倒れても邪魔にならない位置にオーリーをベッドの端に寄せる。二人目の準備が完了した。
「ブリーズ」
ボビーが防御服を着たフィンへ麻痺の魔術を放つ。
フィンもゆっくりとベッドに倒れる。
フィンが十五分ほど、オーリーは三十分ほど意識を失っていた。
「これは誰にも言えんな」
フィンとオーリーが意識を戻して、単なる気絶症状で身体的に問題がないことを確認してからヘンリーが首を回してそう話した。
うなずくみんなが、揃って嬉しそうなのはヘンリーの気のせいか。確かに彼らにとっては希少な銅の、それも強力な攻撃魔法を手に入れたことになる。
「隊長ありがとうございます」
ボビーがみんなを代表して礼を言う。
「希少な銅の魔法を使えるようになるとは思っていませんでした」
みんなが真面目な顔をヘンリーに見せる。
「お前たちが努力したからだ。俺はほんの少し手助けしただけだ」
みんなが首を横に振る。
「私たちはみな、あまり者、はみ出し者です。行くところがなく、この部隊に押し込まれた者ばかりです。新兵の二人もケツから数えた方が早い成績しか残せぬ者どもです」
「そうです、竃に火をくべるだけしかできぬ能無し」
「魔石にもまともに魔力を注げぬ役立たず」
「炊事、洗濯、庭の水やりだけの出来損ない」
ボビーの発言にアレックス、カレブ、エズラが続く。新兵二人はうなずくばかり。
「微々たる生活魔法しかできぬ魔法使いと、今までずっと蔑まれていました」
それぞれが今までの鬱積を吐き出している。
「魔法を見せろと言われ放つたびに無力感を突きつけられ、周りの見下した顔付きに全てが虚しくなる。そんな私たちを隊長は引き上げてくれたのです」
「自分たちを鍛えてくれ、そしてとてつもない魔術を授けていただきました」
「ありがとうございます」
ボビーとアレックス、そしてみんなが頭を下げる。
これほど感謝されるとは、ヘンリーは意外な気がした。魔術師の資格持ちではないから能力は高くはないと思っていたが、そんなに低かったのか。最近の狩りの様子を見るとレベルは低くないはず。不思議だ。隊長としては喜ばしい限りではあるが……。まあいい、ここは一発どや顔してもいいか。
「そうだろう、俺を信じて良かっただろう」
ヘンリーはニヤリと笑って見せた。
部下たちの目が嬉しくてたまらないというほど光っている。
先の見えない道をただただ歩き続け、思わぬ頂きにたどり着けた喜びに輝いていた。
笑みを隠しもせず部下たちは足取り軽くヘンリーの部屋を後にした。
部下たちが喜ぶのも分からんでもない。希少魔法は憧れのステータスだ。確か、研究科時代読んだ魔法学の論文の統計資料では、魔術師の資格取得者の約三パーセントしか希少魔法を使えず、王立学院の王都領の五年生を十年間調べた結果、約四パーセントが希少魔法の適性があったが、その魔法を行使できる者は二パーセントに満たなかったと載っていた記憶がある。それなのに銅の麻痺の魔術一つだけだが、部下六名全員が希少魔法を使えるようになったのだ。小躍りしたくなるのも納得である。
学術的なことは分からないが、銅の魔法を使えないものが銅の麻痺の魔術だけは使えるという奇妙な事態を生み出している。それも見た目は基本四魔法の水と風。ヘンリーはその答えを持ち合わせていない。
――比率からすると二、三パーセントしか使えない希少魔法を七人の部隊中七人、百パーセントが使える。俺は防御服さえ物ともしない希少魔法を全員が使える最強の部隊を手に入れたのか? そんなことはないだろう、上には上がいるはず。
ヘンリーにも思わず笑みがこぼれていた。
翌日の最前線への出発を控えて準備をしている最中、婚約者のルナからの手紙が届いた。
『親愛なるヘンリー様へ
私も迷信は好きです。私が聞いた山の神様は舞が好きで、うら若き乙女が踊りを披露すると喜んでくれると聞きました。
またその山に入る時は必ず松の木を燻し、その煙を浴びて町の匂いを消さないと厄災が降りかかると言われているそうです。
でもオコゼの話はとてもユニークですね。学院で話したところ、皆様にとても喜ばれました。
また面白いお話をお伺い出来ましたら嬉しく思います。
ヘンリー様は森や山へ分け入って獣を狩るのですね。私は獣が襲ってこないかと少し怖い気がします。ちょっと狩りは無理かもしれません。でも山菜はとても好きです。キノコやワラビやゼンマイ、それに一度食べたアケビ、あの果実の甘さは忘れられません。
思い出したらまた食べたくなりました。うふっ。
既に戦地へ向かわれたのでしょうか? そんなヘンリー様にくだらないお話をしてすみません。
遠く離れた地からご無事をお祈りいたします。
かしこ』
ルナに山の女神様のことを前回書いて送った。迷信の類に興味を示すかどうか分からなかったが、どうも外れを引かなかったようだ。それと山の恵、山菜や果実が好きとは。
ヘンリーは口いっぱいにして食べている少女の姿があまり想像できなかった。男三兄弟だったからなあ。ふと、ルナという少女がどんな娘なのかと頭に思い描いてみた。笑みに恥じらいをほんの少し含んでいるような表情が目に浮かびそうになるが、焦点を結ばず消えてゆく。残念ながらルナとは会ったことはない。苦笑いが思わずこぼれそうになる。
ヘンリーはその晩、すぐに返事を書いた。
食べ物の話題があったので、うまい具合に仕入れたばかりのグランマ秘伝のおやつ屋さんのことを。
そして申し訳ないが、しばらくは手紙を書けないかもしれないことを添えて。
明日の朝には苦戦を強いられている北部方面基地へ向けて出発する。
ヘンリーは矢石が飛来し、剣戟の声が地に響き、魔法が飛び交う戦いの最前線へと向かう。