第十一話 部下を鍛える
イチ、ニ、サン、シ、と掛け声が続く。
「魔力を鍛えるのは地道な訓練しかないぞ」
部下の六人と朝食前の訓練を行っている。
彼らに課したのは毎日早朝の正しい姿勢による軍隊式体幹内筋鍛錬法と腹式呼吸による深呼吸だ。軍隊の鍛錬法は何種類もあるが、ヘンリーが毎朝欠かさない祖母直伝と気鍛流を合わせた鍛錬法と体幹内筋鍛錬法は中腰で行うことが主で相通じるものがあった。最初にやらせてみるとおざなりの我流で鍛錬に全くなっていない。背筋を伸ばさせるのは言うまでもなく、筋という筋の全てを緊張させ弛緩させる。
「こんなにきついモノとは知りませんでした」
「じきに慣れる、それまで辛抱しろ」
揃いも揃ってきつそうだ。
「コップ一杯のぬるま湯を飲んできたか」
「オス」
「忘れるなよ。たまった老廃物が出て、魔力循環がよくなるからな」
「はい」
証明されているわけではないが、ヘンリーが実際長年やっていて、コップ一杯のぬるま湯を鍛錬の前に飲むことにより、老廃物が体から出て魔力がスムーズに身体中を流れるような気がするので、部下にも半命令の形で勧めてみた。魔力にからめると部下たちは敏感に反応する。
さらに腹式による深呼吸の効果をより上げるため腹筋を鍛えさせている。
「腹筋は起き上がる時よりも下がる時に力を籠めろよ。ドタっと身体を落とさずにゆっくりと下げろ。言わば逆さトレーニングだ。こっちの方が筋力がつく。普段の生活でもこの逆トレを意識するんだ。椅子に座るときは、ゆっくりと尻を着地させろ、背もたれには極力頼るな、もし背もたれに身体を預ける時でもゆっくりと傾けろ」
「はい」
「内筋とともに確実に魔力が鍛えられ、高まる」
「頑張ります」
「姿勢が悪い、猫背になっている。胸を張れ」
「オス」
「肺呼吸をするな、魔法は腹に溜めた魔力を出すんだ。腹式呼吸は内なる筋力のアップと魔力循環効率を高める」
「コツを教えてください」
「横になって、腹に手を当てろ。その状態でゆっくりと鼻から息を吸え。腹が膨らんでくる感覚を手に感じろ。最初は意識していい。慣れたらいつの間にか無意識で腹が膨らんでくる。吐くときは口から細く腹の中のモノを全て外に出すようにしろ」
「分かりました」
「ほれ、へっぴり腰になっているぞ。どっしりと構えろ」
腰に手をあてて尻を下へ少し落としてやる。
それだけで顔つきが変わる。
「安定しました」
六人全員を指導する。リーダーシップの状況応用指導論上でいう『指示命令』中心が全員に適用できた。魔力と魔術の力量が全員五十歩百歩の低いレベルだったのが幸いした。
「少なくとも軍隊にいる間は、この鍛錬を続けろ」
「はい」
「入浴後は己の肉体のケアすることも忘れるな」
「はい」
「魔力が滞っている箇所が身体をケアすることによって解消することが往々にしてあるからな。特にふくらはぎと下腕を意識しろ」
これは雑誌か何かで読んだか研究科時代に人に聞いたかの受け売りだ。信憑性はないが、思い込みの力で魔力循環がよくなり、力量が上がればそれに越したことはない。
「鍛錬と魔法は裏切らない」
「はい」
「復唱しろ」
「「「「「「鍛錬と魔法は裏切らない」」」」」」
「よし」
――俺はけっこう軍隊でやっていけそうだな。
そうヘンリーは思った。
汗だくになった部下たちへ水魔法のミストシャワーをかけてやる。続けてさわやかな風を送る。
「ごちになります」
六人の部下の笑顔が何よりだ。彼らはボビーを含めてまだ魔術師の資格を誰も持っていない。何とかそのレベルまで引き上げてやりたい。
ヘンリーが率いる第六部隊の鍛錬と狩りの毎日が半月ほども経つと、部下たちの呼吸が腹式となり、腰が決まり、獲物に動ぜず、細かな指示を出さなくとも連携がだいぶ様になってきた。ヘンリーは、六人に新しい魔術を教えることにした。
集合場所にあらかじめヘンリーは隠密の魔術で姿を消していた。
「隊長は今日遅いな、もうすでに……」
ボビーの言葉が終わらないうちに投げ飛ばした。他の五人も次々に投げ飛ばす。
「これが隠密の魔術だ」
幹部候補生学校でやられたことをここでやってみた。
にやりと笑って姿を現したヘンリーに、部下が是非教えてくださいと頭を下げた。
朝と晩に瞑想訓練を鍛錬に取り入れることにした。
狩りの訓練もだいぶ終盤になった。
獣の気配を感じる。瞬間、部下たちの雰囲気が変わり、緊張が高まってくるのがヘンリーに伝わる。瞑想訓練の効果が少しずつだがモノになってきている。
「迎撃準備」
ヘンリーの声と同時に部下の気合が一層強くなる。瞬間ヘンリーは奇妙な感覚に襲われた。
ボビーとカレブと新兵のオーリーから緑色のぼんやりした淡い光が、そして、アレックスとエズラと新兵のフィンから茶色いぽい何かこうボヤっとした淡い光みたいなものが見えるのだ。
――あいつらから出ているモヤ状の淡い光は何だ、目の調子が悪いのか? かすみ目か?
今日の役割で風魔法を担当する三人からは緑の淡い光が、土魔法を担当する三人からは茶の淡い光がヘンリーの目に見えている。
イノシシが獣道からこちらへ突進してくる。茶の淡い光の三人が土壁を各々一枚ずつ作る。一枚目にぶつかり止まる。緑の淡い光を出している三人が風の鎌鼬の魔術を発動した。
ドスッ。
イノシシが倒れた。新兵の二人が精悍な顔つきでイノシシへ向かい止めを刺した。
「よくやった」
六人の魔術の威力と精度が高まり、それに応ずるかのように全員の連携がとてもスムーズになっている。みな満足顔である。
――先ほどの色の付いたモヤのような淡い光は何だったのだ。魔法を発動する際に見えていたように思えたのだが……。
ヘンリーは自身の目に見えた淡い光の正体を見定めようとした。
狩りを続ける。餌をついばんでいるキジが四羽いる。ボビーとカレブと新兵のオーリーから緑の淡い光が見える。鎌鼬が発動され、三羽が仕留められた。飛び立とうとした残りの一羽はヘンリーが意識して鎌鼬の魔術で常しえに眠ってもらった。同じ魔術としたのは、淡い光が見えるのか、見えたならその色も同じなのかを確認したかったからだ。
結果はヘンリーの右手にも緑の淡い光が見えた。
昼食時、火を熾すオーリーの手に赤の淡い光が点いていた。食後、食器を洗っているフィンの手から水色の淡い光が水とともに注がれていた。
――魔力の色が見えている。
淡い光の正体が判明した。
夜、瞑想訓練を終えて、隠密の魔術を皆で練習する。ヘンリーはいつものように見本を行う。自然と一体化するようにイメージする。ヘンリーに詠唱は不要だが、部下はそうではないので教官に習った詠唱をして呪文を唱える。
「ハイド」
自分の周りに緑の淡い光が漂っている。一体化するイメージを消す。淡い光も消える。
嬉しいことに、ここにきて瞑想を続けた効果がヘンリーにも表れ始めたようだ。魔力の色が淡い光として見えるようになったのだ。火の魔法は赤、水は水色、風は緑、土は茶の淡い光として目に映るようになった。
ヘンリーは、直感的にこれは役に立つ、と思った。
今行った隠密の魔術で見えたのは緑の淡い光、系統は風の魔法だったのか? となると、風の魔法を使えないと己の姿を隠せないのだろうか? まだ部下たちはだれも隠密の魔術を習得していない。
風の魔法を使えるボビー、アレックス、カレブ、オーリーに
「風の魔法を意識しながら隠密の魔術をやってみろ」
とアドバイスした。
「はい」
近くにいたオーリーの耳元で風となり大気を一体化するイメージで行えと囁く。
微かにうなずくと緑の淡い光が見え始めた。オーリーの実体が薄くなり、そして肉眼では見えなくなった。
そばで見ていた同じく新兵のフィンが思わずといった態で「消えた」と発した。
心眼でオーリーを追うと淡い光が同時に動いている。フィンの後ろにまわり、投げ飛ばした。フィンは受け身を取り瞬時に起き上がり「どこだ」と周りを見渡す。オーリーがまたフィンを投げ飛ばす。目は見えずとも声からフィンの位置を割り出したのだろう。
「それまで。オーリー一体化のイメージを止めろ」
オーリーが実体化する。
「できたようです」
風魔法を使える四人がその日のうちに隠密の魔術をマスターした。
風魔法の使えないエズラとフィンをどうすべきか、緑の魔石を持たせて訓練するしかないのだろうか。できれば魔石なしで何とかしたいのだが……。
ヘンリーは悩ましい思いを抱いた。